2016年11月
2016年11月03日
唐津から呼子へ・・・・・・ 2016年 5月 3日 (雨)
<==その6へ戻る
とにかく唐津にまではたどり着いたが、雨脚はますます激しくなるばかり。
いろいろここでは見学したかったのだがせめて唐津城だけでもと、案内所で行き方を聞き、行ってみることにする。
バスで向かうその道すがら、街中の素敵な佇まいを伺うことが出来たのだけれど雨はどんどんに強まってきた。
なんとか城の下のバス停には着いたものの、そこからもまた試練。大粒の雨と強風にあおられながらお城の入り口へ向かう、歩いてもいけるのだがさすがに今回は観光用のエレベータに乗車、城郭のすぐ下まで連れていってもらった。
慶長7年から13年にかけて築城された城で松浦川の河口、北側の唐津湾に面した石垣が特徴だ。現在の模擬天守は昭和41年に復元されたもの。
初代藩主寺沢広高は関が原の戦いなどの戦功により天草領四万石を合せ十二万三千石の大名となったが、その後に起こった島原の乱で寺沢家三代、藩主二代・堅高は天草領土を没収され、藩財政の悪化により自害し寺沢家は断絶した・・・・という。
ここでもキリスト教がかかわってくる。 豪雨の中で残念だったがそれでも天守からの見晴らしはなかなかのもの・・・(晴天だったら尚一層のものだったろう)
城の周りの植物も見事だが見学することはままならなず・・・
とりあえず、呼子行のバスに乗車。
玄界灘を右に見ながらのんびりと進んでいく。その間に雨は小降りになってくれた。
この日の塒は「国民宿舎呼子ロッジ」。バス停からは宿の車で送迎してもらう。
宿に荷を置いて、まずは港にある温泉に向かった。「呼子台場みなとプラザ」という鮮魚市場に併設された施設だが、内湯は人工温泉、なんともしまりのないお湯だ。
隣の露天風呂は半島の南東にある「高串温泉」から運んできた湯で,、内湯に入った後だとそれでも少~しは温泉らしい湯感があった。
宿に戻っての夕食。
もちろん名物のイカは透明でかつぴくぴく動く、抜群の鮮度。
ゲソは塩焼きにしてもらい(天ぷらも選べるが)、その味を最後まで楽しんだオッサン達であった。
その8へ==>
<==その6へ戻る
とにかく唐津にまではたどり着いたが、雨脚はますます激しくなるばかり。
いろいろここでは見学したかったのだがせめて唐津城だけでもと、案内所で行き方を聞き、行ってみることにする。
バスで向かうその道すがら、街中の素敵な佇まいを伺うことが出来たのだけれど雨はどんどんに強まってきた。
なんとか城の下のバス停には着いたものの、そこからもまた試練。大粒の雨と強風にあおられながらお城の入り口へ向かう、歩いてもいけるのだがさすがに今回は観光用のエレベータに乗車、城郭のすぐ下まで連れていってもらった。
慶長7年から13年にかけて築城された城で松浦川の河口、北側の唐津湾に面した石垣が特徴だ。現在の模擬天守は昭和41年に復元されたもの。
初代藩主寺沢広高は関が原の戦いなどの戦功により天草領四万石を合せ十二万三千石の大名となったが、その後に起こった島原の乱で寺沢家三代、藩主二代・堅高は天草領土を没収され、藩財政の悪化により自害し寺沢家は断絶した・・・・という。
ここでもキリスト教がかかわってくる。 豪雨の中で残念だったがそれでも天守からの見晴らしはなかなかのもの・・・(晴天だったら尚一層のものだったろう)
城の周りの植物も見事だが見学することはままならなず・・・
とりあえず、呼子行のバスに乗車。
玄界灘を右に見ながらのんびりと進んでいく。その間に雨は小降りになってくれた。
この日の塒は「国民宿舎呼子ロッジ」。バス停からは宿の車で送迎してもらう。
宿に荷を置いて、まずは港にある温泉に向かった。「呼子台場みなとプラザ」という鮮魚市場に併設された施設だが、内湯は人工温泉、なんともしまりのないお湯だ。
隣の露天風呂は半島の南東にある「高串温泉」から運んできた湯で,、内湯に入った後だとそれでも少~しは温泉らしい湯感があった。
宿に戻っての夕食。
もちろん名物のイカは透明でかつぴくぴく動く、抜群の鮮度。
ゲソは塩焼きにしてもらい(天ぷらも選べるが)、その味を最後まで楽しんだオッサン達であった。
その8へ==>