2013年05月
2013年05月25日
<1日目> 阿蘇散歩の後はまたもや温泉でゆったり 2013.5.3
昔は「GWなんて、どこ行っても込んでるし高いし・・」と、遠出は避けていたオッサンであったが齢50の声を聞く頃から「残り少ない?人生、休みは大いに活用せねば・・」などと調子のいいことを言いながら出かけるようになった。
で、今年は以前からカミサンも行きたいといっていた「軍艦島ツアー」をメインにして行くことにした。ただいつもの通りなかなかその他の予定が決まらず、結局日程を決めたのは4月も中旬に入る頃。往復のフライトは思うようには取れない。結局、往路は熊本空港、帰りは佐賀空港からという変則的な旅程となった。
朝一の熊本便は(と、いうかこの日はほとんど全ての便が)、満席。着いた熊本空港のレンタカー・オフィスも超混雑だった・・・・・ので、空港出発は11時過ぎ。
ところでオッサン、国内で未踏の県が三つあった。そのひとつがこの熊本県(あとは大分と沖縄です・・九州ばかりですが・・やはり東京からは遠い)、それならばまず行かなきゃいけないのが阿蘇だ。
というわけでまずは阿蘇山目指してクルマを走らせる。といっても、メイン?の中岳・高岳は人でいっぱいだろうし砂礫と岩ばかりの道を歩くのも面白くない。なので、少し西の烏帽子岳にちゃちゃっと登ろう、ということになった。
登山口の草千里に着いたのは1時前。まあ、ここから頂上までは標高差200m強。高さはなくても見上げれば均整のとれた、美しい山だ。ところで、草千里といえば昔、国語の教科書に出てきた草野心平さんの「雨が瀟々と降っている・・・」というフレーズを思い出すのだが、当時子供心に想像していたよりずっと狭い(もしかしたら違う場所なのかもしれないが)。
ただ、足元にはハルリンドウの可憐な姿がいっぱい。
そしてこのキンバイみたいな黄色い花も・・・
(いたばらさん、この木々のことも含めて教えてください)
登山道に入ってからしばらく進むと地獄温泉との分岐、「あー、行ってみてぇー」と思わず唸る。そう、本来なら南阿蘇に点在する一軒宿のどこかに泊まりたかったのだが片っ端から電話するも全て玉砕、だった。(まあ、連休なので仕方ない)
途中見晴らしのいい場所で昼食休憩。これから登る階段道が見える。うーん、かなりの急傾斜だ。
休憩後は例によってカミサンはサクサク登っていく。こちらは写真を撮りつつのんびりと歩いていく。
中腹あたりからの眺めも素晴らしい。
そんな光景を楽しみつつせっせと歩いていくとあっという間に頂上到着だ。
ここからの噴火口、そして外輪山の姿もなかなか。
僕らが着いた少し後に登ってきた二人。女性は多分オッサンに近い歳か。息子さんとご一緒で午前中は中岳に登ったらしい。僕らに
「向こうは凄く迫力あるわよー。これから登るんでしょ?」
「いや、泊まる場所がちょっと遠いので・・・」
このお二人は、前日から泊まっていたそうで朝から行動開始したらしい。
(なんとも、うらやましい・・・・)
帰路は東よりの道を降りていく。結局、反時計回りに草千里の周りを一周する形になる。
道には火山らしく、溶岩もところどころ現れる。
右手には噴煙上げる阿蘇の火口が素晴らしい。
足元ではなんと「コイワカガミ」が可愛い花びらを咲かせている。本当に意外だったのが、ここの植物たち。阿蘇火山のイメージからかこれほどのお花畑は予想していなかった。そしてさすがに本州より一足先の季節を謳歌している。(写真を撮れなかったのも多かった)
ずんずん下っていくとまた草千里がどーんと広がってきた。
そんな感じでプチ登山は終了、今宵の宿へと向かう。
山を降りていく道「阿蘇パノラマライン」もその名に恥じず素晴らしく、ちょっと日本とは思えない雄大な光景が広がる。その大地もほとんどが放牧地になっていて、まるでテキサスの牧場のような柵が道の両側にある。
向かっている先は「内牧(うちのまき)温泉」。
先ほども触れたが南阿蘇の宿はどこも取れず、この温泉街のホテルに泊まることになった。
宿に行く途中、地元のスーパーに立ち寄る。旅先ではこういうところを覗くのも楽しい。ビール(恵比寿350)の6本パックが1070円と格安、つまみを物色していたら「アベックラーメン」も発見。ついつい購入してしまった。(ここにもクマモンが・・)
塒はここ「阿蘇ホテル」。まあ、普通の温泉地のホテルだ。
でも部屋からの眺望はなかなかのもの。普段は絶対泊まらないタイプの宿だが、それもまたGWならでは。
肝心の温泉はさすがに火の国だけあって加水も加温もない「源泉かけ流し」。
カルシウム・マグネシウム・ナトリウム-硫酸塩泉の源泉温度は43度。
さらっとした感触だが、よく温まるいい湯だった。
広い内湯の隣には露天もあって、まだ明るい中で浸かるのは開放感抜群の贅沢気分。
夕食は1階の食堂で頂く。
季節を感じさせる前菜の盛り合わせもなかなかだったが、「あか牛ワイン漬け サラダ仕立」がうまかった。 牛肉の風味を殺すことない、程よいワインの香りが抜群だ。
その他も以下のとおり。食事に関してはそれほど期待していなかったので「いい意味」で裏切られた。 (だが、北海道の毛ガニは???。でもこちら、きっと地元の方向けのメニューなのだろう)
ところでここの食堂、15卓以上はあるのだが、接客係りは2人だけ。
ただそれでもてきぱきした配膳、対応もはきはきしていて素晴らしかった。
そしてなにより頂いたこの「倉岳」という焼酎が・・・・2年に一回しか収穫できないというなんとかという芋の酒だそう。天草のものだという。ちょっと香ばしい風味の銘酒であった。
(と、酒さえよければ文句なしのオッサンだが、この桜の花入り温泉水ゼリーもまた絶品だった)
勿論たらふく飲み食いした後も、再び湯に向かうオッサンであった。
昔は「GWなんて、どこ行っても込んでるし高いし・・」と、遠出は避けていたオッサンであったが齢50の声を聞く頃から「残り少ない?人生、休みは大いに活用せねば・・」などと調子のいいことを言いながら出かけるようになった。
で、今年は以前からカミサンも行きたいといっていた「軍艦島ツアー」をメインにして行くことにした。ただいつもの通りなかなかその他の予定が決まらず、結局日程を決めたのは4月も中旬に入る頃。往復のフライトは思うようには取れない。結局、往路は熊本空港、帰りは佐賀空港からという変則的な旅程となった。
朝一の熊本便は(と、いうかこの日はほとんど全ての便が)、満席。着いた熊本空港のレンタカー・オフィスも超混雑だった・・・・・ので、空港出発は11時過ぎ。
ところでオッサン、国内で未踏の県が三つあった。そのひとつがこの熊本県(あとは大分と沖縄です・・九州ばかりですが・・やはり東京からは遠い)、それならばまず行かなきゃいけないのが阿蘇だ。
というわけでまずは阿蘇山目指してクルマを走らせる。といっても、メイン?の中岳・高岳は人でいっぱいだろうし砂礫と岩ばかりの道を歩くのも面白くない。なので、少し西の烏帽子岳にちゃちゃっと登ろう、ということになった。
登山口の草千里に着いたのは1時前。まあ、ここから頂上までは標高差200m強。高さはなくても見上げれば均整のとれた、美しい山だ。ところで、草千里といえば昔、国語の教科書に出てきた草野心平さんの「雨が瀟々と降っている・・・」というフレーズを思い出すのだが、当時子供心に想像していたよりずっと狭い(もしかしたら違う場所なのかもしれないが)。
ただ、足元にはハルリンドウの可憐な姿がいっぱい。
そしてこのキンバイみたいな黄色い花も・・・
(いたばらさん、この木々のことも含めて教えてください)
登山道に入ってからしばらく進むと地獄温泉との分岐、「あー、行ってみてぇー」と思わず唸る。そう、本来なら南阿蘇に点在する一軒宿のどこかに泊まりたかったのだが片っ端から電話するも全て玉砕、だった。(まあ、連休なので仕方ない)
途中見晴らしのいい場所で昼食休憩。これから登る階段道が見える。うーん、かなりの急傾斜だ。
休憩後は例によってカミサンはサクサク登っていく。こちらは写真を撮りつつのんびりと歩いていく。
中腹あたりからの眺めも素晴らしい。
そんな光景を楽しみつつせっせと歩いていくとあっという間に頂上到着だ。
ここからの噴火口、そして外輪山の姿もなかなか。
僕らが着いた少し後に登ってきた二人。女性は多分オッサンに近い歳か。息子さんとご一緒で午前中は中岳に登ったらしい。僕らに
「向こうは凄く迫力あるわよー。これから登るんでしょ?」
「いや、泊まる場所がちょっと遠いので・・・」
このお二人は、前日から泊まっていたそうで朝から行動開始したらしい。
(なんとも、うらやましい・・・・)
帰路は東よりの道を降りていく。結局、反時計回りに草千里の周りを一周する形になる。
道には火山らしく、溶岩もところどころ現れる。
右手には噴煙上げる阿蘇の火口が素晴らしい。
足元ではなんと「コイワカガミ」が可愛い花びらを咲かせている。本当に意外だったのが、ここの植物たち。阿蘇火山のイメージからかこれほどのお花畑は予想していなかった。そしてさすがに本州より一足先の季節を謳歌している。(写真を撮れなかったのも多かった)
ずんずん下っていくとまた草千里がどーんと広がってきた。
そんな感じでプチ登山は終了、今宵の宿へと向かう。
山を降りていく道「阿蘇パノラマライン」もその名に恥じず素晴らしく、ちょっと日本とは思えない雄大な光景が広がる。その大地もほとんどが放牧地になっていて、まるでテキサスの牧場のような柵が道の両側にある。
向かっている先は「内牧(うちのまき)温泉」。
先ほども触れたが南阿蘇の宿はどこも取れず、この温泉街のホテルに泊まることになった。
宿に行く途中、地元のスーパーに立ち寄る。旅先ではこういうところを覗くのも楽しい。ビール(恵比寿350)の6本パックが1070円と格安、つまみを物色していたら「アベックラーメン」も発見。ついつい購入してしまった。(ここにもクマモンが・・)
塒はここ「阿蘇ホテル」。まあ、普通の温泉地のホテルだ。
でも部屋からの眺望はなかなかのもの。普段は絶対泊まらないタイプの宿だが、それもまたGWならでは。
肝心の温泉はさすがに火の国だけあって加水も加温もない「源泉かけ流し」。
カルシウム・マグネシウム・ナトリウム-硫酸塩泉の源泉温度は43度。
さらっとした感触だが、よく温まるいい湯だった。
広い内湯の隣には露天もあって、まだ明るい中で浸かるのは開放感抜群の贅沢気分。
夕食は1階の食堂で頂く。
季節を感じさせる前菜の盛り合わせもなかなかだったが、「あか牛ワイン漬け サラダ仕立」がうまかった。 牛肉の風味を殺すことない、程よいワインの香りが抜群だ。
その他も以下のとおり。食事に関してはそれほど期待していなかったので「いい意味」で裏切られた。 (だが、北海道の毛ガニは???。でもこちら、きっと地元の方向けのメニューなのだろう)
ところでここの食堂、15卓以上はあるのだが、接客係りは2人だけ。
ただそれでもてきぱきした配膳、対応もはきはきしていて素晴らしかった。
そしてなにより頂いたこの「倉岳」という焼酎が・・・・2年に一回しか収穫できないというなんとかという芋の酒だそう。天草のものだという。ちょっと香ばしい風味の銘酒であった。
(と、酒さえよければ文句なしのオッサンだが、この桜の花入り温泉水ゼリーもまた絶品だった)
勿論たらふく飲み食いした後も、再び湯に向かうオッサンであった。
2013年05月21日
昨夜はこいつに行ってきました。
いやぁ、ニュー・オリンズ・ファンク!かっこよかったです。
普段こういう音を聴くといろいろ昔のことを思い出しちゃうんですが、さすがにライヴの間はそんなこととは関係なく、音に酔いしれていました。
前半はかなりとばしてくれました。バックはさすがにまだ若いドラムとベースの兄ちゃんたち
休憩に入ったときには会場全体が「これで終わり?」って思ったほど。
後半にはバラードっぽい曲もやってくれて、ちょっと(オッサンとしては)一息。
そうそう、プエルトリコのパーカッショニストもいい味出してましたね。
ジョンの演奏を聴くのは初めてでしたが、ファンキーながらもフレーズはビル・エアヴァンスぽかったり、キース・ジャレット風だったりと結構面白かったです。
ちょいザディコアレンジの「ニュー・オリンズ・ブルーズ」がよかった。
なにより都合2時間強、会場を大盛り上がりにしたステージはさすがでした。
(オッサンは腰が痛くなりましたが・・・・)
と、いうただの感想文にて終了です...
これは当日も演った
いやぁ、ニュー・オリンズ・ファンク!かっこよかったです。
普段こういう音を聴くといろいろ昔のことを思い出しちゃうんですが、さすがにライヴの間はそんなこととは関係なく、音に酔いしれていました。
前半はかなりとばしてくれました。バックはさすがにまだ若いドラムとベースの兄ちゃんたち
(コーネル・ウィリアムズ、ベース
テレンス・ヒギンズ、ドラム)
だけあってその辺は迫力あります。もうアドレナリン全開のステージ。休憩に入ったときには会場全体が「これで終わり?」って思ったほど。
後半にはバラードっぽい曲もやってくれて、ちょっと(オッサンとしては)一息。
そうそう、プエルトリコのパーカッショニストもいい味出してましたね。
ジョンの演奏を聴くのは初めてでしたが、ファンキーながらもフレーズはビル・エアヴァンスぽかったり、キース・ジャレット風だったりと結構面白かったです。
ちょいザディコアレンジの「ニュー・オリンズ・ブルーズ」がよかった。
なにより都合2時間強、会場を大盛り上がりにしたステージはさすがでした。
(オッサンは腰が痛くなりましたが・・・・)
と、いうただの感想文にて終了です...
これは当日も演った
2013年05月11日
<7日目> 最後の日は Houston 2012年 9月21日 晴
<=6日目・・・の2へ
今回の旅の実質最終日。
今日はヒューストンまでの移動、ここガルヴェストンからは2時間ほどか・・・
朝の海岸はすがすがしい。ジョギングする人たちも多く、明るい海岸は昨夜とはちょっと違う雰囲気。そんな海辺でのんびり過ごすのもまたいいもんだ。
何も考えずに砂浜をただ歩く。
それもまた、贅沢な時間といえるだろう。
本当はもっとのんびりしていたかったのだが、先に進まなければならない。旅の終わりに近づくといつも、少しナーバスになる・・・・・
そのヒューストンでまずは家族サービス・タイム?
とりあえずは市街の西にあるショッピング・モールへ向かう。
中ではなにやら凄い人だかりの店が・・・
そう、この日は i-phone5 のリリース日だったのだ。
偶然だがこういうのも楽しい。
ずっと田舎道を走ってきたので南部の都会にはよくある、スケートリンクもなぜか懐かしい感じ。これもまた翌週からの生活へのリハビリか!!
リハビリついでに昼飯もそこのフードコートで中華をいただく。
見た目どおりのたいしたことない飯、でも久しぶりのアジアンテイストはなぜかやはり懐かしい味だった。
さて、この日の塒はヒルトン・ユニバーシティ・ヒューストン。
都市のホテル、しかもヒルトンということで今まで泊まってきた宿とはやはり違う。それでもエクスペディアで9775円とリーズナブルな料金。
チェックインの際には、最後に係りのお兄さんがはにかみながらも "Arigatoh" と一言。(ちょっと躊躇しつつ、意を決して言ったみたい。外国語を口にする時は誰でもそうですね)
このホテルは大学の構内にあって、観光学科の学生さんたちの研修の場でもある。(実際オッサンがうまく働かないカードキーの交換のため、フロントに行った際には10人ほどの学生が真剣な目つきでその「研修」らしきことをしていた)
部屋で一服した後はキャンパス内を散歩する。入り口の案内所で構内の地図をもらったのだが、歩いたのは広い敷地の1/5ほど。
緑豊かなキャンパスは開放的で素晴らしい。
びっくりしたのはアジア系の学生たちが多いこと。
ここヒューストンは米国の中でも中国からの移民が多い街とは聞いていたが、それだけではなさそう。
東南アジアや朝鮮半島っぽい顔も目立つ。しかし、日本人らしき姿は無し。
こんなところで民族意識を発揮するのもどうかとは思うが、近頃内向きになったと言われる我が同胞の若者たちのことをつい考えてしまい、柄にも無く日本の将来のことを思ったりする。 「空白の20年」なんて言葉もあるが、他のアジア諸国から見ればまだまだ日本は豊かな国だ。もちろん膨大な財政の赤字は何とかしなければならないが、縮こまっていては未来はない。
「書を捨てよ、街に出よう」 ちょっと違うが寺山修二の言葉を思い浮かべてしまった。
ところで、最後にここに来たのには訳があった。 それが・・・
これを知ったのは9月の上旬。チケットマスターで予約の後、追加のヒューストン‐ダラス便をとり、レンタカーを取り直したり(かなり余計な出費になったが)と・・・慌しい出発直前だった。
開演は8時なのでその前にホテルのレストランで腹ごしらえ。
同じ南部料理とはいえ、これまでとは違う「アーバン・テイスト」。メインはチキンとシュリンプ、どちらも洗練されたいい料理だった。
ホールは大学の講堂、東京でいえば(旧い話になるが)杉野講堂や共立講堂、現在で言えば人見記念講堂のようなところ。まずは受付でチケットを受け取る。(予約した際のプリントを忘れてしまったのでドキドキだった) 周りにいる人たちはほぼオッサンと同年代かちょっと上の方々たちばかり。みんなこの日を楽しみにしていたみたい。主催の方々もプロのプロモーターって感じではなく、ファンが集まって開催にこぎつけたような雰囲気だ。
僕らの席は2階バルコニーの中間くらいの場所だった。飾り物などは一切無くシンプルなステージ。
オープニング・アクトの Alejandoro Escovedo(地元ではかなり有名なミュージシャンらしい)の後、9時頃に John Prineが登場。丸っこいその姿を目にしただけで興奮状態のオッサン。
リード・ギターとベースのバックにあの独特の歌いぶりが眼前に繰り広げられているだけで、ワクワクだ。
曲は初期のレパートリー中心だったので、ほぼ歌詞はわかる。何枚かある、ライヴアルバムと同じような展開で、曲の間のジョークに会場は大爆笑が続くが・・いかんせん、そいつはわからず・・ちょっと悔しい。
"Angel from Montgomery" では「この曲が有名になって・・ボニー(レイット)に感謝してるよ」って言ってましたが。
"Hello in There" や "Sam Stone" などちょっと意味深な曲もよかった。特に後者は、考えてみればヴェトナム戦争時代と現在・・・イラクやアフガニスタンから帰還した人たちのことを考えればまさしく「いま」のことだと思ってしまった。結局、あの時代から何も変わってないのだろうか・・・・
大好きな "Humidity built the snowman" も演ってくれて、大満足。
終演は11時過ぎ。こちらでは普通だとは思いますが、歩いて数分の宿へ多くの人たちとともに戻る。(実はホテルのトイレが超満員、地元の方は詳しいですね。)ロビーでも今夜のステージの余韻を楽しむ人たちの和やかな談笑が溢れていた。
そしてこれが当日の画像、隣でカミサンがコンデジで撮ったもの。(なので画質はご勘弁)
初めての You Tube アップ、結構苦労した。早送りしながら雰囲気だけでも味わってください。
曲は
"Granpa Was A Carpenter"
"Spanish Pipedream"
"Picture Show"
です。
<追記> 当日のセットリストがホームページにアップされていました。
9/21/12 - HOUSTON, TX- CULLEN PERFORMANCE HALL
SUPPORT: ALEJANDRO ESCOVEDO AND THE SENSITIVE BOYS
<9/21/2012 走行ルート>
Galveston-I45-US59-New Castle st.-Sage rd.-Westheimer-US59-I45-University of Houston
<=6日目・・・の2へ
今回の旅の実質最終日。
今日はヒューストンまでの移動、ここガルヴェストンからは2時間ほどか・・・
朝の海岸はすがすがしい。ジョギングする人たちも多く、明るい海岸は昨夜とはちょっと違う雰囲気。そんな海辺でのんびり過ごすのもまたいいもんだ。
何も考えずに砂浜をただ歩く。
それもまた、贅沢な時間といえるだろう。
本当はもっとのんびりしていたかったのだが、先に進まなければならない。旅の終わりに近づくといつも、少しナーバスになる・・・・・
そのヒューストンでまずは家族サービス・タイム?
とりあえずは市街の西にあるショッピング・モールへ向かう。
中ではなにやら凄い人だかりの店が・・・
そう、この日は i-phone5 のリリース日だったのだ。
偶然だがこういうのも楽しい。
ずっと田舎道を走ってきたので南部の都会にはよくある、スケートリンクもなぜか懐かしい感じ。これもまた翌週からの生活へのリハビリか!!
リハビリついでに昼飯もそこのフードコートで中華をいただく。
見た目どおりのたいしたことない飯、でも久しぶりのアジアンテイストは
さて、この日の塒はヒルトン・ユニバーシティ・ヒューストン。
都市のホテル、しかもヒルトンということで今まで泊まってきた宿とはやはり違う。それでもエクスペディアで9775円とリーズナブルな料金。
チェックインの際には、最後に係りのお兄さんがはにかみながらも "Arigatoh" と一言。(ちょっと躊躇しつつ、意を決して言ったみたい。外国語を口にする時は誰でもそうですね)
このホテルは大学の構内にあって、観光学科の学生さんたちの研修の場でもある。(実際オッサンがうまく働かないカードキーの交換のため、フロントに行った際には10人ほどの学生が真剣な目つきでその「研修」らしきことをしていた)
部屋で一服した後はキャンパス内を散歩する。入り口の案内所で構内の地図をもらったのだが、歩いたのは広い敷地の1/5ほど。
緑豊かなキャンパスは開放的で素晴らしい。
びっくりしたのはアジア系の学生たちが多いこと。
ここヒューストンは米国の中でも中国からの移民が多い街とは聞いていたが、それだけではなさそう。
東南アジアや朝鮮半島っぽい顔も目立つ。しかし、日本人らしき姿は無し。
こんなところで民族意識を発揮するのもどうかとは思うが、近頃内向きになったと言われる我が同胞の若者たちのことをつい考えてしまい、柄にも無く日本の将来のことを思ったりする。 「空白の20年」なんて言葉もあるが、他のアジア諸国から見ればまだまだ日本は豊かな国だ。もちろん膨大な財政の赤字は何とかしなければならないが、縮こまっていては未来はない。
「書を捨てよ、街に出よう」 ちょっと違うが寺山修二の言葉を思い浮かべてしまった。
ところで、最後にここに来たのには訳があった。 それが・・・
これを知ったのは9月の上旬。チケットマスターで予約の後、追加のヒューストン‐ダラス便をとり、レンタカーを取り直したり(かなり余計な出費になったが)と・・・慌しい出発直前だった。
開演は8時なのでその前にホテルのレストランで腹ごしらえ。
同じ南部料理とはいえ、これまでとは違う「アーバン・テイスト」。メインはチキンとシュリンプ、どちらも洗練されたいい料理だった。
ホールは大学の講堂、東京でいえば(旧い話になるが)杉野講堂や共立講堂、現在で言えば人見記念講堂のようなところ。まずは受付でチケットを受け取る。(予約した際のプリントを忘れてしまったのでドキドキだった) 周りにいる人たちはほぼオッサンと同年代かちょっと上の方々たちばかり。みんなこの日を楽しみにしていたみたい。主催の方々もプロのプロモーターって感じではなく、ファンが集まって開催にこぎつけたような雰囲気だ。
僕らの席は2階バルコニーの中間くらいの場所だった。飾り物などは一切無くシンプルなステージ。
オープニング・アクトの Alejandoro Escovedo(地元ではかなり有名なミュージシャンらしい)の後、9時頃に John Prineが登場。丸っこいその姿を目にしただけで興奮状態のオッサン。
リード・ギターとベースのバックにあの独特の歌いぶりが眼前に繰り広げられているだけで、ワクワクだ。
曲は初期のレパートリー中心だったので、ほぼ歌詞はわかる。何枚かある、ライヴアルバムと同じような展開で、曲の間のジョークに会場は大爆笑が続くが・・いかんせん、そいつはわからず・・ちょっと悔しい。
"Angel from Montgomery" では「この曲が有名になって・・ボニー(レイット)に感謝してるよ」って言ってましたが。
"Hello in There" や "Sam Stone" などちょっと意味深な曲もよかった。特に後者は、考えてみればヴェトナム戦争時代と現在・・・イラクやアフガニスタンから帰還した人たちのことを考えればまさしく「いま」のことだと思ってしまった。結局、あの時代から何も変わってないのだろうか・・・・
大好きな "Humidity built the snowman" も演ってくれて、大満足。
終演は11時過ぎ。こちらでは普通だとは思いますが、歩いて数分の宿へ多くの人たちとともに戻る。(実はホテルのトイレが超満員、地元の方は詳しいですね。)ロビーでも今夜のステージの余韻を楽しむ人たちの和やかな談笑が溢れていた。
そしてこれが当日の画像、隣でカミサンがコンデジで撮ったもの。(なので画質はご勘弁)
初めての You Tube アップ、結構苦労した。早送りしながら雰囲気だけでも味わってください。
曲は
"Granpa Was A Carpenter"
"Spanish Pipedream"
"Picture Show"
です。
<追記> 当日のセットリストがホームページにアップされていました。
9/21/12 - HOUSTON, TX- CULLEN PERFORMANCE HALL
SUPPORT: ALEJANDRO ESCOVEDO AND THE SENSITIVE BOYS
1 – SPANISH PIPEDREAM
2 – PICTURE SHOW
3 – HUMIDITY BUILT THE
SNOWMAN
4 – YOUR FLAG DECAL WON'T GET YOU INTO HEAVEN ANYMORE
5 – SIX
O'CLOCK NEWS
6 – SOUVENIRS
7 – GRANDPA WAS A CARPENTER
8 – FAR FROM
ME
9 – FISH AND WHISTLE (2ND VERSE STORY)
10 – GLORY OF TRUE LOVE
11 –
SPEED OF THE SOUND OF LONLINESS
12 – ANGEL FROM MONTGOMERY
13 – LONG
MONDAY
14 – THAT'S THE WAY THE WORLD GOES 'ROUND (ENCHILADA)
15 – GREAT
COMPROMISE
16 – SAM STONE
17 – BEAR CREEK BLUES
18 – PAINT MY
MASTERPIECE
19 – ONE RED ROSE (ELECTRIC)
20 – HELLO IN THERE
21 – LAKE
MARIE
22 – PARADISE (W/ALEJANDRO AND BAND)
<9/21/2012 走行ルート>
Galveston-I45-US59-New Castle st.-Sage rd.-Westheimer-US59-I45-University of Houston