2013年04月
2013年04月27日
<6日目・・・の2> ちょっとだけリゾート気分 in Galveston
2012年 9月20日 晴
<=6日目・・・の1へ
ゆっくりミュージアムを見学し、出たらちょうど昼時。
ミュージアム正面(ってことは、かつての駅前)にパブがあったので覗いてみる。
(うーん、結構お客さんがいる。ここで何か食べよう・・・)
と思って入ったらこの店、純粋な?パブとのこと・・・で食事モノはないという。日差しもあってちょっと汗ばんできたところだったので、車でなければビールの1杯でも飲んで地元の方とちょっと話をするのもいいもんだが、この先の行程も考えてさすがにそれはパス。とりあえず先に進むことにした。
DeQuincy からは西へと向かう。結構気持ちのよい山道だ。地図を見ると隣の町 Starks までは小一時間くらいの距離か、そこの交差点にGSがあったので給油する。
ところでこちらのGSは昔からほとんどいわゆる「セルフ」。給油機でのカード決済が基本だが10年くらい前からは本人認証のためかZIP CODEの入力が求められるところが増えてきた。当然日本の郵便番号はNGなのでそういう時はいちいちオフィスに行って金額なりガロン数なりで先に精算してから給油する。
僕が給油していると地元?のオッサンが
「隣にレストランがあるよー」
と叫んで通り過ぎた。
(おー、こちらのことをお見通しか・・・)
でもそのオッサンが行く先の建物はまったく窓のない倉庫のような外観。
知らなければとても食事ができる場所とは思えない。でも「渡りに船」とその店へ・・・
店内にはここも結構なお客さん。さっきのオッサンはビール片手に友達と昼間からなんか盛り上がっている。(一瞬、店の関係者が宣伝をかねて声をかけたのかと思ったがそうでもなさそう・・・)
ここでは今回初めてのハンバーグ(経験則からいってこういった小さな町の店のは旨い)を注文。(カミサンはまたしてもタコサラダ) で、付け合せを聞かれる。普通はポテト(フライかマッシュ)が一般的だがここはルイジアナ、ライスもある。なのでそれを・・・
ところで、今回何度も米の飯(といってもこっちでは野菜の一種?)を食ったが以前に比べて格段に旨くなっている。ハイブリッドなのかもしれないが、こいつがTPPで日本に入って10分の1くらいの価格だったら特別な銘柄米以外は駆逐されそうだ。もちろんアメリカもそれを狙っているのだろう。(その辺はちょっと難しい問題ですが・・・)
カミサンはタコサラダにライスを混ぜて「タコライス」だって。うん、それもまたいいかも・・・
食事の後は(時間も遅くなったので)まっすぐガルヴェストンへ向かう。
で I-10 へ入りしばらく走ると州境だ。ここでおなじみのヴィジターセンターへ寄る。
そこでテキサス州の公式ガイドブックをいただく。これはとっても充実していて、使い勝手もよい。最初にもらったのは15年ほど前だったか Laredo のツーリストインフォメーション。とりあえず寄ってみたらお姉さんがそいつをくれたのだった。街毎の情報が載っていて、当時重宝していた Mobile Travel Guide のテキサス版(しかもオールカラーの贅沢なつくり)のようだった。以後もこちらに行く際にはその前のバージョンを持って旅をしていた。 (これは郵送だとアメリカ、カナダへしか送ってくれないのでチャンスがあれば貰うことをお勧めする。)
ここで一服した後は再び I-10 を西へ。
インターステートをガンガン飛ばして Winnie で降りる。あとはまたメキシコ湾目指して南へ下っていく。
州は違えども4日目に走ったのと同じような湿地帯が続くまっすぐな道。そういえばルイジアナではキャメロンのLNGプラントが建設中だったが、こちらでも向かうガルヴェストンのちょっと先、フリーポートでやはりそいつが進行中らしい。
途中ものすごく大きな橋を渡ると間もなくT字路にぶつかる。その先にはメキシコ湾が広がっている。右折し、海沿いの道路を西へと向かう。この辺もリゾートか、やはり別荘っぽい建物が目立つ。売り出し中の物件も多くて、まだ最近開発されたよう。海岸へと続く道に入ろうかと思ったがその多くはプライベート道路。多少踏み込んでも文句は言われないだろうが、自重して先を目指す。(そういえばこの前後の写真がなかった。ずっとカメラを出すこともなく、走り続けていたんだった)
そんな別荘地帯の真ん中にあった真新しいSCで"酒調達"を兼ねて小休止。
SCとはいってもお客はまばら。シーズンオフなのだろう。
・・この季節この辺はハリケーンの通過道ですからね・・・
そこから間もなく、灯台が見えてきた。
ガルヴェストン島へのフェリー乗り場まで、もうすぐだ。
このフェリーも公道扱いなので無料。乗船時間は20分ほどだが、しばしの船旅気分を味わう。
船はかなりのスピードで進んでいるのだが、なかなか対岸には近づかない。
まあ、海をみつめながらのんびりするのもいいもの。
途中、反対側からのフェリーとすれ違う。
そして、たどり着いた塒はここ。財布と相談しながら決めたので中心地からはちょいと離れてはいるがそれでも海の目の前。
フロントにはヒスパニックのお嬢さんたち。オッサンの名前を「なんて読むの?」って聞いてくる。 ゆっくりしゃべるとみんなが繰り返す。
ホテルのフロントが日本語教室か・・・
でも、ひとりとってもうまく発音した子がいて
「日本語の勉強すれば・・」 って、言ってしまいました。
(それもホスピタリティーの一環なのか…)
それ以外にもここで働く人たちはみんなヒスパニック、翌日のエレベーターでも相手の Sorry って言葉にカミサンが No hay de que って答えたら表情がとっても緩んでいました。(オッサンは De nada って言っただけ。単語2つ分差をつけられた・・)
もう運転する必要はないので先ほど調達したワインを片手に一休み・・・っと。
そうしている間に(さすがに秋の陽か)あっという間に外は暗くなってきた。
やはり海のそば、なにかおいしいシーフードを食いたい・・・とさきほどのフロントへ。
「じゃあ、ここ」
って、渡されたのがレストランのネームカード・・・に彼女のサインがはいったもの。
「これを持っていくと割引(たいしたことはなかった・・・多分2%くらい)になるわよ」
とのこと。きっと少しはキックバックがあるのだろう。(まあ、持ちつ持たれつってとこですか)
夕闇の海岸を歩く。
たまにはこんなのもいいもんだ、(って思うのは、やはり歳食ったせいかねぇ・・でも、それも悪くは無い)
そして着いた先はここ。
来る途中にも目をつけていた店だった。
結構混んでいて、室内ではちょっと待つようなのでテラス席に案内してもらった。
カクテルは久しぶり・・・(でもないか)
ここでメインに選んだのはStuffed Flounder、昔やはりLA/TXの州境のレストランで食べてうまかったメニューだ。要するにヒラメに詰め物をしてオーブンで焼いたものなのだが、おいしい南部料理。 ま、当然、カキやチャウダーはその前に・・・・
と、一日だけのリゾート気分に浸ったオッサンであった。
#09へ続く===>
<9/20/2012 走行ルート>
Lafayette-I10-West Lake-LA379-LA179-LA27-DeQuincy-LA12-LA35-Starks--LA109-Toomay-I10-Winnie-TX124-TX87-ferry-TX3005-Galveston
2012年 9月20日 晴
<=6日目・・・の1へ
ゆっくりミュージアムを見学し、出たらちょうど昼時。
ミュージアム正面(ってことは、かつての駅前)にパブがあったので覗いてみる。
(うーん、結構お客さんがいる。ここで何か食べよう・・・)
と思って入ったらこの店、純粋な?パブとのこと・・・で食事モノはないという。日差しもあってちょっと汗ばんできたところだったので、車でなければビールの1杯でも飲んで地元の方とちょっと話をするのもいいもんだが、この先の行程も考えてさすがにそれはパス。とりあえず先に進むことにした。
DeQuincy からは西へと向かう。結構気持ちのよい山道だ。地図を見ると隣の町 Starks までは小一時間くらいの距離か、そこの交差点にGSがあったので給油する。
ところでこちらのGSは昔からほとんどいわゆる「セルフ」。給油機でのカード決済が基本だが10年くらい前からは本人認証のためかZIP CODEの入力が求められるところが増えてきた。当然日本の郵便番号はNGなのでそういう時はいちいちオフィスに行って金額なりガロン数なりで先に精算してから給油する。
僕が給油していると地元?のオッサンが
「隣にレストランがあるよー」
と叫んで通り過ぎた。
(おー、こちらのことをお見通しか・・・)
でもそのオッサンが行く先の建物はまったく窓のない倉庫のような外観。
知らなければとても食事ができる場所とは思えない。でも「渡りに船」とその店へ・・・
店内にはここも結構なお客さん。さっきのオッサンはビール片手に友達と昼間からなんか盛り上がっている。(一瞬、店の関係者が宣伝をかねて声をかけたのかと思ったがそうでもなさそう・・・)
ここでは今回初めてのハンバーグ(経験則からいってこういった小さな町の店のは旨い)を注文。(カミサンはまたしてもタコサラダ) で、付け合せを聞かれる。普通はポテト(フライかマッシュ)が一般的だがここはルイジアナ、ライスもある。なのでそれを・・・
ところで、今回何度も米の飯(といってもこっちでは野菜の一種?)を食ったが以前に比べて格段に旨くなっている。ハイブリッドなのかもしれないが、こいつがTPPで日本に入って10分の1くらいの価格だったら特別な銘柄米以外は駆逐されそうだ。もちろんアメリカもそれを狙っているのだろう。(その辺はちょっと難しい問題ですが・・・)
カミサンはタコサラダにライスを混ぜて「タコライス」だって。うん、それもまたいいかも・・・
食事の後は(時間も遅くなったので)まっすぐガルヴェストンへ向かう。
で I-10 へ入りしばらく走ると州境だ。ここでおなじみのヴィジターセンターへ寄る。
そこでテキサス州の公式ガイドブックをいただく。これはとっても充実していて、使い勝手もよい。最初にもらったのは15年ほど前だったか Laredo のツーリストインフォメーション。とりあえず寄ってみたらお姉さんがそいつをくれたのだった。街毎の情報が載っていて、当時重宝していた Mobile Travel Guide のテキサス版(しかもオールカラーの贅沢なつくり)のようだった。以後もこちらに行く際にはその前のバージョンを持って旅をしていた。 (これは郵送だとアメリカ、カナダへしか送ってくれないのでチャンスがあれば貰うことをお勧めする。)
ここで一服した後は再び I-10 を西へ。
インターステートをガンガン飛ばして Winnie で降りる。あとはまたメキシコ湾目指して南へ下っていく。
州は違えども4日目に走ったのと同じような湿地帯が続くまっすぐな道。そういえばルイジアナではキャメロンのLNGプラントが建設中だったが、こちらでも向かうガルヴェストンのちょっと先、フリーポートでやはりそいつが進行中らしい。
途中ものすごく大きな橋を渡ると間もなくT字路にぶつかる。その先にはメキシコ湾が広がっている。右折し、海沿いの道路を西へと向かう。この辺もリゾートか、やはり別荘っぽい建物が目立つ。売り出し中の物件も多くて、まだ最近開発されたよう。海岸へと続く道に入ろうかと思ったがその多くはプライベート道路。多少踏み込んでも文句は言われないだろうが、自重して先を目指す。(そういえばこの前後の写真がなかった。ずっとカメラを出すこともなく、走り続けていたんだった)
そんな別荘地帯の真ん中にあった真新しいSCで"酒調達"を兼ねて小休止。
SCとはいってもお客はまばら。シーズンオフなのだろう。
・・この季節この辺はハリケーンの通過道ですからね・・・
そこから間もなく、灯台が見えてきた。
ガルヴェストン島へのフェリー乗り場まで、もうすぐだ。
このフェリーも公道扱いなので無料。乗船時間は20分ほどだが、しばしの船旅気分を味わう。
船はかなりのスピードで進んでいるのだが、なかなか対岸には近づかない。
まあ、海をみつめながらのんびりするのもいいもの。
途中、反対側からのフェリーとすれ違う。
そして、たどり着いた塒はここ。財布と相談しながら決めたので中心地からはちょいと離れてはいるがそれでも海の目の前。
フロントにはヒスパニックのお嬢さんたち。オッサンの名前を「なんて読むの?」って聞いてくる。 ゆっくりしゃべるとみんなが繰り返す。
ホテルのフロントが日本語教室か・・・
でも、ひとりとってもうまく発音した子がいて
「日本語の勉強すれば・・」 って、言ってしまいました。
(それもホスピタリティーの一環なのか…)
それ以外にもここで働く人たちはみんなヒスパニック、翌日のエレベーターでも相手の Sorry って言葉にカミサンが No hay de que って答えたら表情がとっても緩んでいました。(オッサンは De nada って言っただけ。単語2つ分差をつけられた・・)
もう運転する必要はないので先ほど調達したワインを片手に一休み・・・っと。
そうしている間に(さすがに秋の陽か)あっという間に外は暗くなってきた。
やはり海のそば、なにかおいしいシーフードを食いたい・・・とさきほどのフロントへ。
「じゃあ、ここ」
って、渡されたのがレストランのネームカード・・・に彼女のサインがはいったもの。
「これを持っていくと割引(たいしたことはなかった・・・多分2%くらい)になるわよ」
とのこと。きっと少しはキックバックがあるのだろう。(まあ、持ちつ持たれつってとこですか)
夕闇の海岸を歩く。
たまにはこんなのもいいもんだ、(って思うのは、やはり歳食ったせいかねぇ・・でも、それも悪くは無い)
そして着いた先はここ。
来る途中にも目をつけていた店だった。
結構混んでいて、室内ではちょっと待つようなのでテラス席に案内してもらった。
カクテルは久しぶり・・・(でもないか)
ここでメインに選んだのはStuffed Flounder、昔やはりLA/TXの州境のレストランで食べてうまかったメニューだ。要するにヒラメに詰め物をしてオーブンで焼いたものなのだが、おいしい南部料理。 ま、当然、カキやチャウダーはその前に・・・・
と、一日だけのリゾート気分に浸ったオッサンであった。
#09へ続く===>
<9/20/2012 走行ルート>
Lafayette-I10-West Lake-LA379-LA179-LA27-DeQuincy-LA12-LA35-Starks--LA109-Toomay-I10-Winnie-TX124-TX87-ferry-TX3005-Galveston
2013年04月21日
<6日目の1> DeQuincy Railroad Museun
2012年 9月20日 晴 <お休みしていたアメリカ編再開です>
<=5日目へ 前夜、いろいろ悩んだがこの日はメキシコ湾のリゾート Gulveston へ向かうことにした。観光地ということで ホテルは Expedia で予約。(スマホでここまでできるなんて、本当に便利になったもんだ)
まっすぐ行ってそちらでのんびり過ごすのもいいが、この際前回行き損ねたここへ行くことにした。Lafayette からはとりあえず I-10 を西へ向かう。 Lake Charles を過ぎてすぐ、West Lakeでフリー・ウェイを降りて北へ進路をとる。
途中ごちゃごちゃした道を通っていくのだが、このあたりは鉄道の線路を何回か渡る。
ほぼその線路に沿った道のようだ。 幹線道路に出たらあとは一直線に北へ向かう。右側に線路が寄り添っていて行き先への期待感も高まる。
DeQuincy は小さな町だった。ので、すぐに目的地に到達できた。
かつてはニュー・オリンズとダラスを結ぶ鉄道の要衝として栄えていたということだが・・・それも第二次大戦後のモータリゼーションの発達によって鉄道がだんだん忘れ去られるようになってからは衰退の一途を辿った。
ところで、ニュー・オリンズとダラスを結ぶ・・ってことはこの旅の初日に訪れたあの鉄道と繋がっていたのかと思った・・・が、あちらはサザン・パシフィック、こちらはカンザスシティ・サザンというそれぞれ別の会社が運営していた路線。
そんな風に都市間を結ぶいくつかの鉄路があったということだけでも往時の繁栄がうかがえる。
そしてその1923年当時の駅が今は鉄道博物館になっている。駅前には線路があって東西へと続いている。もう、この線路を走る列車はないのだろうか・・・・
ドアを開けて中に入る。そこはかつての待合室で今はギフトショップになっている。
すぐに、妙齢の女性が現れて 「いらっしゃい。どちらから来たの?」
日本からで、今はラファイエットからガルヴェストンへ向かう途中だと言うと、
「あぁ、ガルヴェストンね。いいところよ」
まずは、ここの歴史などを綴った4分間のヴィデオを見せてもらう。その間も係りの方は色々丁寧に説明してくれた。現在いるこの場所はカラード専用の待合室で、奥に白人用の広い部屋があるそう。
ここでも昔の人種間の差別などいろいろ思ってしまうが、それも当時は普通のことだったのだろう。
(きっと、今も普通のことが後の世代から見たら「えぇ!」ってことがあるに違いない)
かつてはこの駅前には銀行や各種のお店などがあってとっても賑わっていたそうだ。人口も今の数倍はあって鉄道の街として栄えたらしい。
その後は隣の荷物取り扱い室へ案内された。
昔はここで外から貨物を搬入して鉄道に積んでいたところで、外側からの段差がないように設計されている。
そのあたりも合理的な造りだったようだ。
ところでこの部屋、現在は鉄道のハード部分の展示室となっていた。
かなり広い部屋で、ここでもそれぞれの部品について細かく説明してくれた。
保守に使う道具や、信号のことなど上っ面だけ知ってはいたがこのようにその現物を前にするとやはり理解が深まる。また、この建物の構造も秀逸で天井の梁が幾重にも重なっていてそれもまた素晴らしかった。
ここで、説明を聞いていると機関車の汽笛が聞こえてきた。
「見に行きたい? 行くわよね」
って、おばちゃんが言った。と思ったら走り出した。
(この方、杖を突いていてちょっと足が大変なのに大急ぎで「こっち、こっち」と僕らを案内する)
どうやら、駅(ミュージアム)の裏側には現役の線路があって貨物列車が時々来るらしい。
やってきた機関車はKCSの代表格?EMD-SD70か。すぐ目の前を通過するディーゼル機関車の迫力はすごい。
数えはしなかったがおそらく百両近くの貨車を牽引していた。
再び元の場所に戻って解説の続きを聞く。
それぞれの展示物についてかなり専門的な内容の説明。
その場では納得しつつ今になってしまえば細かくは覚えていないのが情けない。
で、しばらくしてまた・・・・汽笛の音が。
またしても走って外へ出る。
今度も同じ方向(東から西へ進む貨物列車)だった。
そしてもうひとつの部屋に案内してもらう。(かつての白人用の待合室)
ここにも数多くの鉄道遺産?が展示されている。
その一つ一つをとっても丁寧に説明してくれる。
言葉は半分くらいしか理解できないが、それでも鉄道に関することはわかるのがうれしい。
駅の金庫や、切符の販売のこと、機関士、助手、車掌、ブレーキマン、駅務員ごとに専用の帽子や制服のことなどそれぞれの現物を前にして教えてもらう。
その一言一言にはここでそうやっている誇りが感じられる。
お決まりの?ジオラマもあって楽しく列車を走らせてもらう。
そばには汽笛を体験できる紐がぶら下がっていて、紐の引き方によって音が違いそれがそれぞれ別の信号になるという。(これは何度もひっぱてしまった)
また、このトイレは当時から使われているものだが現役だという。
で、ここで昔の気分に浸りながら用足し。
その後もいろいろ詳しい話を聴くとこの方のお父さんが鉄道マンだったという。
兄妹の末っ子だったということで、父親が運転する機関車が通ると家族みんなで見にいっていたらしい。
また昔、その父上と鉄道で色々なところを旅したのが思い出だとのことなどなど、本当に鉄道を愛しているんだと感じさせてくれる一言ずつに敬服する。
今は”I have 2 babies...2boys” って言っていましたが、一人はテキサス、一人はルイジアナに住んでいるという。
「あとはゆっくり自分たちで見学してね・・・・」ってことで、本当にゆっくり見させてもらった。
アウトサイドには機関車、客車、制御車が展示されている。
外の様子も楽しい。いかにもアメリカの鉄道全盛期が伺われるよう・・柱の補強材?としてレールが使われているのがまた楽しい。多分後からのものだとは思うが、鉄道に携わる人たちはどの国でもそんな風に資材を大切に使ってきたことがわかってちょっとうれしい気がした。
気が付いてみたらここに3時間近くいた。
ギフトショップで昔の時刻表などを買って、最後に・・・ Mama Mary さんにお礼を言って後にしたのだが、鉄道を愛する人とその素晴らしさを味わえたのが嬉しかった。
その8へ続く===>
2012年 9月20日 晴 <お休みしていたアメリカ編再開です>
<=5日目へ 前夜、いろいろ悩んだがこの日はメキシコ湾のリゾート Gulveston へ向かうことにした。観光地ということで ホテルは Expedia で予約。(スマホでここまでできるなんて、本当に便利になったもんだ)
まっすぐ行ってそちらでのんびり過ごすのもいいが、この際前回行き損ねたここへ行くことにした。Lafayette からはとりあえず I-10 を西へ向かう。 Lake Charles を過ぎてすぐ、West Lakeでフリー・ウェイを降りて北へ進路をとる。
途中ごちゃごちゃした道を通っていくのだが、このあたりは鉄道の線路を何回か渡る。
ほぼその線路に沿った道のようだ。 幹線道路に出たらあとは一直線に北へ向かう。右側に線路が寄り添っていて行き先への期待感も高まる。
DeQuincy は小さな町だった。ので、すぐに目的地に到達できた。
かつてはニュー・オリンズとダラスを結ぶ鉄道の要衝として栄えていたということだが・・・それも第二次大戦後のモータリゼーションの発達によって鉄道がだんだん忘れ去られるようになってからは衰退の一途を辿った。
ところで、ニュー・オリンズとダラスを結ぶ・・ってことはこの旅の初日に訪れたあの鉄道と繋がっていたのかと思った・・・が、あちらはサザン・パシフィック、こちらはカンザスシティ・サザンというそれぞれ別の会社が運営していた路線。
そんな風に都市間を結ぶいくつかの鉄路があったということだけでも往時の繁栄がうかがえる。
そしてその1923年当時の駅が今は鉄道博物館になっている。駅前には線路があって東西へと続いている。もう、この線路を走る列車はないのだろうか・・・・
ドアを開けて中に入る。そこはかつての待合室で今はギフトショップになっている。
すぐに、妙齢の女性が現れて 「いらっしゃい。どちらから来たの?」
日本からで、今はラファイエットからガルヴェストンへ向かう途中だと言うと、
「あぁ、ガルヴェストンね。いいところよ」
まずは、ここの歴史などを綴った4分間のヴィデオを見せてもらう。その間も係りの方は色々丁寧に説明してくれた。現在いるこの場所はカラード専用の待合室で、奥に白人用の広い部屋があるそう。
ここでも昔の人種間の差別などいろいろ思ってしまうが、それも当時は普通のことだったのだろう。
(きっと、今も普通のことが後の世代から見たら「えぇ!」ってことがあるに違いない)
かつてはこの駅前には銀行や各種のお店などがあってとっても賑わっていたそうだ。人口も今の数倍はあって鉄道の街として栄えたらしい。
その後は隣の荷物取り扱い室へ案内された。
昔はここで外から貨物を搬入して鉄道に積んでいたところで、外側からの段差がないように設計されている。
そのあたりも合理的な造りだったようだ。
ところでこの部屋、現在は鉄道のハード部分の展示室となっていた。
かなり広い部屋で、ここでもそれぞれの部品について細かく説明してくれた。
保守に使う道具や、信号のことなど上っ面だけ知ってはいたがこのようにその現物を前にするとやはり理解が深まる。また、この建物の構造も秀逸で天井の梁が幾重にも重なっていてそれもまた素晴らしかった。
ここで、説明を聞いていると機関車の汽笛が聞こえてきた。
「見に行きたい? 行くわよね」
って、おばちゃんが言った。と思ったら走り出した。
(この方、杖を突いていてちょっと足が大変なのに大急ぎで「こっち、こっち」と僕らを案内する)
どうやら、駅(ミュージアム)の裏側には現役の線路があって貨物列車が時々来るらしい。
やってきた機関車はKCSの代表格?EMD-SD70か。すぐ目の前を通過するディーゼル機関車の迫力はすごい。
数えはしなかったがおそらく百両近くの貨車を牽引していた。
再び元の場所に戻って解説の続きを聞く。
それぞれの展示物についてかなり専門的な内容の説明。
その場では納得しつつ今になってしまえば細かくは覚えていないのが情けない。
で、しばらくしてまた・・・・汽笛の音が。
またしても走って外へ出る。
今度も同じ方向(東から西へ進む貨物列車)だった。
そしてもうひとつの部屋に案内してもらう。(かつての白人用の待合室)
ここにも数多くの鉄道遺産?が展示されている。
その一つ一つをとっても丁寧に説明してくれる。
言葉は半分くらいしか理解できないが、それでも鉄道に関することはわかるのがうれしい。
駅の金庫や、切符の販売のこと、機関士、助手、車掌、ブレーキマン、駅務員ごとに専用の帽子や制服のことなどそれぞれの現物を前にして教えてもらう。
その一言一言にはここでそうやっている誇りが感じられる。
お決まりの?ジオラマもあって楽しく列車を走らせてもらう。
そばには汽笛を体験できる紐がぶら下がっていて、紐の引き方によって音が違いそれがそれぞれ別の信号になるという。(これは何度もひっぱてしまった)
また、このトイレは当時から使われているものだが現役だという。
で、ここで昔の気分に浸りながら用足し。
その後もいろいろ詳しい話を聴くとこの方のお父さんが鉄道マンだったという。
兄妹の末っ子だったということで、父親が運転する機関車が通ると家族みんなで見にいっていたらしい。
また昔、その父上と鉄道で色々なところを旅したのが思い出だとのことなどなど、本当に鉄道を愛しているんだと感じさせてくれる一言ずつに敬服する。
今は”I have 2 babies...2boys” って言っていましたが、一人はテキサス、一人はルイジアナに住んでいるという。
「あとはゆっくり自分たちで見学してね・・・・」ってことで、本当にゆっくり見させてもらった。
アウトサイドには機関車、客車、制御車が展示されている。
外の様子も楽しい。いかにもアメリカの鉄道全盛期が伺われるよう・・柱の補強材?としてレールが使われているのがまた楽しい。多分後からのものだとは思うが、鉄道に携わる人たちはどの国でもそんな風に資材を大切に使ってきたことがわかってちょっとうれしい気がした。
気が付いてみたらここに3時間近くいた。
ギフトショップで昔の時刻表などを買って、最後に・・・ Mama Mary さんにお礼を言って後にしたのだが、鉄道を愛する人とその素晴らしさを味わえたのが嬉しかった。
その8へ続く===>
2013年04月13日
トムズ・キャビンから来日の知らせが届いたとき、そのメンバーを見ただけで胸がわくわくしてしまいました。
なんせ・・・
Jim Kweskin
Bill Keith
Richard Greene
Geoff Muldaur
Maria Muldaur
という名前が並んでいたのですから。
勿論、リアルタイムでは知っているわけはないのですが。ここに亡きフリッツ・リッチモンドが加われば67年当時と同じ。 仕事を早々に切り上げて室町の三井ホールに向かいました。
予想以上の観客の数にちょっとびっくり。
ところでジャグバンドと言ってもジャグはないです。フリッツがいるべき場所にジャグが置かれていました(ちょっと骨壷のようでなんか、どうかな・・・って思ってしまいました・・・そう思う自分もおかしいのかもですが..)
で、当然のごとくそのステージ、それは素晴らしかったです。
ジムとジェフのギターはさすがでしたし、マリアはいつものエンターテイナーぶり。
ビルも普段どおりのしっかりしたバンジョーでした。
リチャードはその白髪にびっくり(そういえばいつ以来?)でしたが、やはり素晴らしい演奏。後半のソロで弾いていたのは「エキストラ・ペグがあるんだよ」とか言ってましたが10弦以上のバイオリン?でした。
日本人のバックもマンドリンのTAROくん、ギターとバンジョーの有田さんといい布陣でしたね。
でもなんといってもこういった音。
やはり
「昔からいいものはいい」
などと簡単に言っていいのかはわかりませんが・・・
なんかあっという間にラストを迎えて、
アンコールの最後は「スティーリン」。
ジムとマリアが「皆で歌おう!!」って・・・
歌詞覚えていず・・・でしたが、一回聞いたら思い出しましたよ。
で、大声で歌って(叫んだだけ?)しまいました。
もうひとつ、プログラムも素晴らしいものでした。
それぞれのディスコグラフィーが詳しいだけでなく、本人たちから送ってもらったという、当時の写真が素晴らしいです。
本日の横浜と以後のジム&ジェフのコンサートに行かれる方がいましたらお勧めします。(残りがあればトムズのHPでも売ってくれればいいと思うのですが)
なんせ・・・
Jim Kweskin
Bill Keith
Richard Greene
Geoff Muldaur
Maria Muldaur
という名前が並んでいたのですから。
勿論、リアルタイムでは知っているわけはないのですが。ここに亡きフリッツ・リッチモンドが加われば67年当時と同じ。 仕事を早々に切り上げて室町の三井ホールに向かいました。
予想以上の観客の数にちょっとびっくり。
ところでジャグバンドと言ってもジャグはないです。フリッツがいるべき場所にジャグが置かれていました(ちょっと骨壷のようでなんか、どうかな・・・って思ってしまいました・・・そう思う自分もおかしいのかもですが..)
で、当然のごとくそのステージ、それは素晴らしかったです。
ジムとジェフのギターはさすがでしたし、マリアはいつものエンターテイナーぶり。
ビルも普段どおりのしっかりしたバンジョーでした。
リチャードはその白髪にびっくり(そういえばいつ以来?)でしたが、やはり素晴らしい演奏。後半のソロで弾いていたのは「エキストラ・ペグがあるんだよ」とか言ってましたが10弦以上のバイオリン?でした。
日本人のバックもマンドリンのTAROくん、ギターとバンジョーの有田さんといい布陣でしたね。
でもなんといってもこういった音。
やはり
「昔からいいものはいい」
などと簡単に言っていいのかはわかりませんが・・・
なんかあっという間にラストを迎えて、
アンコールの最後は「スティーリン」。
ジムとマリアが「皆で歌おう!!」って・・・
歌詞覚えていず・・・でしたが、一回聞いたら思い出しましたよ。
で、大声で歌って(叫んだだけ?)しまいました。
もうひとつ、プログラムも素晴らしいものでした。
それぞれのディスコグラフィーが詳しいだけでなく、本人たちから送ってもらったという、当時の写真が素晴らしいです。
本日の横浜と以後のジム&ジェフのコンサートに行かれる方がいましたらお勧めします。(残りがあればトムズのHPでも売ってくれればいいと思うのですが)
2013年04月10日
<2日目> 温泉の後は光原社へ 2013.3.17
翌朝起きたら、夜中のうち降っていた雪は上がり、風も止んで青空が広がっていた。部屋からは岩手山の頭も見えている。
清々しい気分の朝風呂だ。露天も雪の舞っていた昨日とはまた違う雰囲気。
青空の下の掛け流しの湯(硫化水素泉です)は何度浸かってもいいもの!!
風呂の後、玄関から外に出ると積もったばかりの雪。遠くに源太ヶ岳が美しい。以前あそこから下りてきてこの宿に泊ったことを思い出す。(後で聞いたのだが、宿のご主人は昨日スキーで降りて来たそう...)
さて、ここの朝食では必ず出てくる一夜干し。 いつものこざっぱりしたメニューで食が進む。
宿を辞し、再びバスで盛岡へ向かった。
降りてくるにつれ岩手山の見目形が変わってくる。
そんな車窓を楽しみながら、盛岡市内へ。
駅の一つ手前で下車、夕顔瀬橋で北上川を渡る。いい響きの名がついた橋だ。
橋のたもとに河童がいる。
けっこう由緒のある橋みたいで、幕末の歴史の舞台にもなったようだ。
橋の先を右に曲がると「材木町」。
ここは江戸時代から街道筋の市として栄えた場所だそう。
確かに道沿いにお店があるのだが・・土曜日の午前中ということもあるのか、閉まっている店が多い。
でもこんな素敵な木の家具屋さんが営業中。
そしてちょっとびっくりしたのが、「カラマツトレイン・盛岡店」・・・(右写真)
昨年函館で行った「北海道鉄道博物館」の店だ。(残念ながらこの日は休み・・・だったが)
お目当てのスペイン料理の店が見つからず、昼飯の場所を探しながら ウロウロしているとお寺にぶつかった。
その寺の前にあったのが、こんなお堂。
「酒買地蔵」っていう、とても面白い伝承だった。
こういう逸話はいつ、どこで知っても楽しいというかいろいろ考えさせられる。
・・・結局そのあたりに昼飯を食える店はなかった・・・
大通りの反対側、橋の先にホテルがあったので「そこなら何かあるだろう・・・」と入ってみた。1階に和食の店があった。ホテルの方にお店のことを聞くと、
「どこもいっぱいで・・・」
とのつれない返事。でも
「お時間ありますか?」
と、聞かれ 「ええ大丈夫です」.... 「では・・・」 ということで、
案内されたのがここ。ランチがあるよう。
四の五の言わずその客となる。
2000円のランチコースだったがなかなか美味。
まずはオードブル。炙りカンパチのカルパッチョ、生ハムそして小海老とキノコのキッシュ。生ハムは別としても、やはり地のものをうまく工夫して使っている。
パンもひとつはきのこを模したもので、これもおいしかった。
続くスープの具はなんと若布! これにはちょっとびっくり。 でもコンソメに磯の香りがマッチしていい味出している。
メイン・ディッシュにはローストビーフが・・・・・
これも見た目よりずっとジューシーで、付け合せの野菜といいハーモニーを奏でている。
デザートも甘すぎず、ハーブティーとともに充分楽しめた。
お目当ての店がなかったおかげで久しぶりのホテルランチとなったが(こんなシチュエーションじゃないと絶対来ない)、旅先でのいい昼食を楽しむことができた。
ゆったりと食事を摂ったあとは再び材木町へ・・・
いつもコメントをくださる takaboh さんに教えて頂いた「光原社」へ。
ここは宮沢賢治の唯一の童話集「注文の多い料理店」を刊行した会社。
”社名も賢治の手によって光原社と名づけられました。これは、賢治と創業者が盛岡高等農林学校で先輩、後輩の縁によるものです。当時、花巻農学校の教師をしていた賢治を訪ねた創業者は、賢治から膨大な童話の原稿を預かりこれが注文の多い料理店の発端になりました。童話名や光原社の社名をめぐって二人の間で楽しいやりとりが交わされたようですが、結局この名前に落ち着きました。” (HPから引用)
小学校時代からの賢治ファン?のオッサンには興味深いところ。原稿の展示や中庭の造りもしっとりとした感じで賢治を偲ぶのにふさわしい。
奥は北上川に面していて、当時の船運の様子も偲ばれる。
賢治の一節が書かれた壁もいい。中のお店は世界各国の民芸品などの店。
その前にあるのが支店?の「モリーオ」。こちらには岩手県をはじめとする東北地方の民芸品や特産物が置かれていた。
通りの先には賢治の銅像と(ゴーシュの)セロ。
ロマン溢れる材木通り、楽しませてもらった。
帰りの盛岡駅にはこんな雛飾りが・・・・
今回は「最後の一浴」は無し。 再びE5+E6の連結風景を見て東京へと帰るオッサン達だった。
翌朝起きたら、夜中のうち降っていた雪は上がり、風も止んで青空が広がっていた。部屋からは岩手山の頭も見えている。
清々しい気分の朝風呂だ。露天も雪の舞っていた昨日とはまた違う雰囲気。
青空の下の掛け流しの湯(硫化水素泉です)は何度浸かってもいいもの!!
風呂の後、玄関から外に出ると積もったばかりの雪。遠くに源太ヶ岳が美しい。以前あそこから下りてきてこの宿に泊ったことを思い出す。(後で聞いたのだが、宿のご主人は昨日スキーで降りて来たそう...)
さて、ここの朝食では必ず出てくる一夜干し。 いつものこざっぱりしたメニューで食が進む。
宿を辞し、再びバスで盛岡へ向かった。
降りてくるにつれ岩手山の見目形が変わってくる。
そんな車窓を楽しみながら、盛岡市内へ。
駅の一つ手前で下車、夕顔瀬橋で北上川を渡る。いい響きの名がついた橋だ。
橋のたもとに河童がいる。
けっこう由緒のある橋みたいで、幕末の歴史の舞台にもなったようだ。
橋の先を右に曲がると「材木町」。
ここは江戸時代から街道筋の市として栄えた場所だそう。
確かに道沿いにお店があるのだが・・土曜日の午前中ということもあるのか、閉まっている店が多い。
でもこんな素敵な木の家具屋さんが営業中。
そしてちょっとびっくりしたのが、「カラマツトレイン・盛岡店」・・・(右写真)
昨年函館で行った「北海道鉄道博物館」の店だ。(残念ながらこの日は休み・・・だったが)
お目当てのスペイン料理の店が見つからず、昼飯の場所を探しながら ウロウロしているとお寺にぶつかった。
その寺の前にあったのが、こんなお堂。
「酒買地蔵」っていう、とても面白い伝承だった。
こういう逸話はいつ、どこで知っても楽しいというかいろいろ考えさせられる。
・・・結局そのあたりに昼飯を食える店はなかった・・・
大通りの反対側、橋の先にホテルがあったので「そこなら何かあるだろう・・・」と入ってみた。1階に和食の店があった。ホテルの方にお店のことを聞くと、
「どこもいっぱいで・・・」
とのつれない返事。でも
「お時間ありますか?」
と、聞かれ 「ええ大丈夫です」.... 「では・・・」 ということで、
案内されたのがここ。ランチがあるよう。
四の五の言わずその客となる。
2000円のランチコースだったがなかなか美味。
まずはオードブル。炙りカンパチのカルパッチョ、生ハムそして小海老とキノコのキッシュ。生ハムは別としても、やはり地のものをうまく工夫して使っている。
パンもひとつはきのこを模したもので、これもおいしかった。
続くスープの具はなんと若布! これにはちょっとびっくり。 でもコンソメに磯の香りがマッチしていい味出している。
メイン・ディッシュにはローストビーフが・・・・・
これも見た目よりずっとジューシーで、付け合せの野菜といいハーモニーを奏でている。
デザートも甘すぎず、ハーブティーとともに充分楽しめた。
お目当ての店がなかったおかげで久しぶりのホテルランチとなったが(こんなシチュエーションじゃないと絶対来ない)、旅先でのいい昼食を楽しむことができた。
ゆったりと食事を摂ったあとは再び材木町へ・・・
いつもコメントをくださる takaboh さんに教えて頂いた「光原社」へ。
ここは宮沢賢治の唯一の童話集「注文の多い料理店」を刊行した会社。
”社名も賢治の手によって光原社と名づけられました。これは、賢治と創業者が盛岡高等農林学校で先輩、後輩の縁によるものです。当時、花巻農学校の教師をしていた賢治を訪ねた創業者は、賢治から膨大な童話の原稿を預かりこれが注文の多い料理店の発端になりました。童話名や光原社の社名をめぐって二人の間で楽しいやりとりが交わされたようですが、結局この名前に落ち着きました。” (HPから引用)
小学校時代からの賢治ファン?のオッサンには興味深いところ。原稿の展示や中庭の造りもしっとりとした感じで賢治を偲ぶのにふさわしい。
奥は北上川に面していて、当時の船運の様子も偲ばれる。
賢治の一節が書かれた壁もいい。中のお店は世界各国の民芸品などの店。
その前にあるのが支店?の「モリーオ」。こちらには岩手県をはじめとする東北地方の民芸品や特産物が置かれていた。
通りの先には賢治の銅像と(ゴーシュの)セロ。
ロマン溢れる材木通り、楽しませてもらった。
帰りの盛岡駅にはこんな雛飾りが・・・・
今回は「最後の一浴」は無し。 再びE5+E6の連結風景を見て東京へと帰るオッサン達だった。
2013年04月05日
<1日目> 2年ぶりの峡雲荘 2013.3.16
2011年秋、 八幡平の紅葉を楽しむ山歩きの時にお世話になった際、女将さんに
「今度は冬に来てくださいね。」
と言われていた。
そう、一度ここの雪見露天を楽しみたかったのだ。
後でわかったことだが、この日はちょうどJRのダイヤ改正日。
今日が「スーパーこまち」のデビュー、そして「はやぶさ」の320キロ運転も始まる。(でも、今回乗る予定の電車はその「スーパーこまち」との併結運転なので最高速は300キロとのこと。未知の320k/hは体験できない)
ということで、東京駅の新幹線ホームはものすごい人の数・・・
先頭車両付近は人だかりでまともな写真は無理。で、なんとか雰囲気だけ・・・・
ところで今回は(さすがにグランクラスは無理だが)グリーン車の乗客となった。
車内は落ち着いた雰囲気、ライトも間接照明だ。
リクライニングは手動だがフットレストは電動。 ゆったりと東北へ向かえるのはうれしい。
着いた盛岡駅でも(東京駅ほどではないが)やはり多くの鉄道ファンがカメラを構えていた。
ここで「謎のキャラクター」に遭遇。あっという間だったので後姿だけしか撮れなかったが、それぞれの車両をイメージした着ぐるみ君たちだったみたいだ。
盛岡到着は昼ちょっと前。なので、以前から行ってみたかった駅前の「盛楼閣」へ・・・
言わずと知れた盛岡冷麺の名店である。
冷麺、カルビクッパのほかにカルビの焼肉も注文。
これも柔らかく、甘みのあるいい肉だった。
もちろんメーンのこいつらも抜群の旨さ。
冷麺は「別辛」で注文。辛みを入れながら食べると少しずつ味が変わっていくのが楽しい。
クッパのスープも程よい味加減。豆腐が入っているのが珍しい。なにより、カルビの厚さは感動モノ(大げさか!)。
峡雲荘へはバスで行く。何度も通っている道だし、腹いっぱいでもあるのでうとうとと微睡む。
気が付いたら周りは冬景色へと変わっていた。
途中、八幡平ロイヤルホテルでバスを乗り換える。
この先はチェーン装着の中型車。確かに勾配のある道、雪が積もっているのだからそれは当然だろう。
2時間弱バスに揺られて宿に到着。
勝手に思っているだけだがここに来ると何故か古里に戻ったような気分になる。
通常のチェックインにはちょっと早いがバスの乗客はほとんどここの宿泊客。待つ間は囲炉裏の前で・・・
通された部屋は2階。部屋の反対側にはランドリーがあって、以前びしょ濡れで山から下ってきたときに雨具などを乾かせてもらったことを思い出す。
一服後は無論、風呂へ繰り出す。
内湯で身体を温めたあと、露天へと向かう。
ただしその「道のり」は険しい。降った雪が凍っていてすべるはすべるは。
でも、浸かった露天は至上のもの。雪の舞う中、温泉の湯気に包まれて…身体はホカホカの湯の中。
これぞ「雪見風呂」と、いいたくなる。
そうやってお馴染みの湯に何度か浸かった後は・・・
夕餉にありつく。 こちらもお馴染みのおいしいメニューが並ぶ。
でも当然、例の「骨酒」は欠かせない。
初めての蛸とつみれがおいしかった。
若い頃は(今も変わらないが)先立つものはなかったし、ちょっとでも余裕と時間があればやっぱり行ったことのない宿に行きたかった。勿論、今でもその気持ちはあるのだが、こんな風に何回か行ったところでお世話になるのもまたいい・・・という、年代になったのか!!!と、自問自答しつつ眠りに入るオッサンであった。
2011年秋、 八幡平の紅葉を楽しむ山歩きの時にお世話になった際、女将さんに
「今度は冬に来てくださいね。」
と言われていた。
そう、一度ここの雪見露天を楽しみたかったのだ。
後でわかったことだが、この日はちょうどJRのダイヤ改正日。
今日が「スーパーこまち」のデビュー、そして「はやぶさ」の320キロ運転も始まる。(でも、今回乗る予定の電車はその「スーパーこまち」との併結運転なので最高速は300キロとのこと。未知の320k/hは体験できない)
ということで、東京駅の新幹線ホームはものすごい人の数・・・
先頭車両付近は人だかりでまともな写真は無理。で、なんとか雰囲気だけ・・・・
ところで今回は(さすがにグランクラスは無理だが)グリーン車の乗客となった。
車内は落ち着いた雰囲気、ライトも間接照明だ。
リクライニングは手動だがフットレストは電動。 ゆったりと東北へ向かえるのはうれしい。
着いた盛岡駅でも(東京駅ほどではないが)やはり多くの鉄道ファンがカメラを構えていた。
ここで「謎のキャラクター」に遭遇。あっという間だったので後姿だけしか撮れなかったが、それぞれの車両をイメージした着ぐるみ君たちだったみたいだ。
盛岡到着は昼ちょっと前。なので、以前から行ってみたかった駅前の「盛楼閣」へ・・・
言わずと知れた盛岡冷麺の名店である。
冷麺、カルビクッパのほかにカルビの焼肉も注文。
これも柔らかく、甘みのあるいい肉だった。
もちろんメーンのこいつらも抜群の旨さ。
冷麺は「別辛」で注文。辛みを入れながら食べると少しずつ味が変わっていくのが楽しい。
クッパのスープも程よい味加減。豆腐が入っているのが珍しい。なにより、カルビの厚さは感動モノ(大げさか!)。
峡雲荘へはバスで行く。何度も通っている道だし、腹いっぱいでもあるのでうとうとと微睡む。
気が付いたら周りは冬景色へと変わっていた。
途中、八幡平ロイヤルホテルでバスを乗り換える。
この先はチェーン装着の中型車。確かに勾配のある道、雪が積もっているのだからそれは当然だろう。
2時間弱バスに揺られて宿に到着。
勝手に思っているだけだがここに来ると何故か古里に戻ったような気分になる。
通常のチェックインにはちょっと早いがバスの乗客はほとんどここの宿泊客。待つ間は囲炉裏の前で・・・
通された部屋は2階。部屋の反対側にはランドリーがあって、以前びしょ濡れで山から下ってきたときに雨具などを乾かせてもらったことを思い出す。
一服後は無論、風呂へ繰り出す。
内湯で身体を温めたあと、露天へと向かう。
ただしその「道のり」は険しい。降った雪が凍っていてすべるはすべるは。
でも、浸かった露天は至上のもの。雪の舞う中、温泉の湯気に包まれて…身体はホカホカの湯の中。
これぞ「雪見風呂」と、いいたくなる。
そうやってお馴染みの湯に何度か浸かった後は・・・
夕餉にありつく。 こちらもお馴染みのおいしいメニューが並ぶ。
でも当然、例の「骨酒」は欠かせない。
初めての蛸とつみれがおいしかった。
若い頃は(今も変わらないが)先立つものはなかったし、ちょっとでも余裕と時間があればやっぱり行ったことのない宿に行きたかった。勿論、今でもその気持ちはあるのだが、こんな風に何回か行ったところでお世話になるのもまたいい・・・という、年代になったのか!!!と、自問自答しつつ眠りに入るオッサンであった。