2012年10月
2012年10月26日
<1日目…の2> Texas State Railroad @ Rusk , TX 2012年 9月15日
「テキサス州鉄道」は Ruskと隣町 Palestine の間25マイルを走る観光路線、基本的には Rusk からのラウンドトリップだ。もともとは1881年、州刑務所が運営する製鉄所へ燃料となる木材を運ぶために作られた。
最初は狭軌だったらしいが、のちにニュー・オリンズへ伸びる一般路線との接続のため現在の規格に改められた。営業線としては1969年まで使われていたが、建国200年にあたる76年の独立記念日に現在の形での復活がなされたという。
さて、座ったのはこんな車両。座席は木のベンチの転換クロス。
オープンエアなので吹き込む風が気持ちいい。
でも、天井では扇風機も回っている。
駅を出発した列車は松林の中を抜けていく。テキサスというと、赤茶けた荒野や潅木の台地を想像する方が多いと思うのだが、このあたりは "Piney Woods" といわれているだけあって松の林が多いのだ。
終点 Palestine まではほぼ国道84号線に沿ってその南側を走っていく。途中、とくに風光明媚なところはなく平凡な光景が続く。
それでも軽快なドラフト音や時折の甲高い汽笛が鉄道好きにはたまらない。
周りの木々は松だけではないので、こんなちょっと秋を感じさせる木の葉が舞ってきたりもする。
20分くらい走ると、沿線で唯一の集落 Maydelle にさしかかる。ここには転車台もあった。
そのあとは再び林間を走り、途中クリークを渡る鉄橋や牧草地の間も抜けていく。
鉄橋の上では機関車が吐き出す蒸気が虹を描いてくれた。
出発して1時間ほどで Jarvis Waye という、いわゆるデルタ線(3角形に作られている転車用の線路=アメリカの鉄道では割とよくある)のある場所をゆっくり通過する。
まもなく折り返し駅 Palestine に到着。
それぞれ注文したランチボックスを受け取って、駅前の広いピクニックエリアで思い思いに過ごす。
このサンドウィッチがなかなかおいしかった。
地元のお店が作っているのだろうが、パンも自家製だと思うし、なにより新鮮な生野菜がうれしかった。フルーツとデザートも・・・・・・
ここで機関車が向きを変えるわけだが、ここもデルタ線での方向転換。
そして一旦車庫に入り、水補給とメンテナンスをしている。
この駅も州の史跡になっているみたいでテキサスではおなじみの案内板が建っていた。
駅の中は小さなミュージアムになっている。
当然のことながら鉄道関係の展示がメインだが、土地の歴史を語るものもあって興味深い。
折り返しでのんびりした後は、また同じ線路を戻っていく。
やはりこちらにも「鉄っちゃん」はいる。沿線でヴィデオを撮っている人が・・・・一箇所で撮るとまた車で先回りして待っていたりする。
やはり鉄道は万国共通、心が躍るものなのだ。
そして再び始発駅に到着。
もう7時に近いが、まだまだ空は明るい。駅の周りは公園となっていて、子供たちの声も聞こえる。乗客たちものんびりと余韻を楽しみつつ、少しずつ駅を後にしていく。我々も夕暮れが迫る中、この日の塒へと向かうことにした。
<9/15/2012 走行ルート>
Dallas-I10-Canton-Tx19-Athen-Loop317-Tx175-Jacksonville-Farm2135-US84-Rusk
<= 1日目...の1 2日目=>
「テキサス州鉄道」は Ruskと隣町 Palestine の間25マイルを走る観光路線、基本的には Rusk からのラウンドトリップだ。もともとは1881年、州刑務所が運営する製鉄所へ燃料となる木材を運ぶために作られた。
最初は狭軌だったらしいが、のちにニュー・オリンズへ伸びる一般路線との接続のため現在の規格に改められた。営業線としては1969年まで使われていたが、建国200年にあたる76年の独立記念日に現在の形での復活がなされたという。
さて、座ったのはこんな車両。座席は木のベンチの転換クロス。
オープンエアなので吹き込む風が気持ちいい。
でも、天井では扇風機も回っている。
駅を出発した列車は松林の中を抜けていく。テキサスというと、赤茶けた荒野や潅木の台地を想像する方が多いと思うのだが、このあたりは "Piney Woods" といわれているだけあって松の林が多いのだ。
終点 Palestine まではほぼ国道84号線に沿ってその南側を走っていく。途中、とくに風光明媚なところはなく平凡な光景が続く。
それでも軽快なドラフト音や時折の甲高い汽笛が鉄道好きにはたまらない。
周りの木々は松だけではないので、こんなちょっと秋を感じさせる木の葉が舞ってきたりもする。
20分くらい走ると、沿線で唯一の集落 Maydelle にさしかかる。ここには転車台もあった。
そのあとは再び林間を走り、途中クリークを渡る鉄橋や牧草地の間も抜けていく。
鉄橋の上では機関車が吐き出す蒸気が虹を描いてくれた。
出発して1時間ほどで Jarvis Waye という、いわゆるデルタ線(3角形に作られている転車用の線路=アメリカの鉄道では割とよくある)のある場所をゆっくり通過する。
まもなく折り返し駅 Palestine に到着。
それぞれ注文したランチボックスを受け取って、駅前の広いピクニックエリアで思い思いに過ごす。
このサンドウィッチがなかなかおいしかった。
地元のお店が作っているのだろうが、パンも自家製だと思うし、なにより新鮮な生野菜がうれしかった。フルーツとデザートも・・・・・・
ここで機関車が向きを変えるわけだが、ここもデルタ線での方向転換。
そして一旦車庫に入り、水補給とメンテナンスをしている。
この駅も州の史跡になっているみたいでテキサスではおなじみの案内板が建っていた。
駅の中は小さなミュージアムになっている。
当然のことながら鉄道関係の展示がメインだが、土地の歴史を語るものもあって興味深い。
折り返しでのんびりした後は、また同じ線路を戻っていく。
やはりこちらにも「鉄っちゃん」はいる。沿線でヴィデオを撮っている人が・・・・一箇所で撮るとまた車で先回りして待っていたりする。
やはり鉄道は万国共通、心が躍るものなのだ。
そして再び始発駅に到着。
もう7時に近いが、まだまだ空は明るい。駅の周りは公園となっていて、子供たちの声も聞こえる。乗客たちものんびりと余韻を楽しみつつ、少しずつ駅を後にしていく。我々も夕暮れが迫る中、この日の塒へと向かうことにした。
<9/15/2012 走行ルート>
Dallas-I10-Canton-Tx19-Athen-Loop317-Tx175-Jacksonville-Farm2135-US84-Rusk
<= 1日目...の1 2日目=>
2012年10月22日
昨夜は "Plainsong" に行ってきました。
彼らのファーストアルバム "In Search For Amelia Earhart" は、やはり当時の愛聴盤だったので、なんとしても最後のステージは聴かなくてはと駆けつけた次第です…もちろん、ソロ時代のイアンも大好きでしたので、当時もコンサートにはいきました。
会場は代々木のライブハウス、観客は60人くらいだったでしょうか・・・ちょっと淋しい気もしますが、その分とってもアットホームなステージでした。
歳を重ねてもイアンの声は相変わらずソフトでしたし、アンディーもそのマルチプレイヤーぶりを発揮してくれました。スポークスマン?のジュリアンも(最初に、これが最後のステージだということで)涙流すしぐさをしてみたり、ベース(とギター)のマークもかなりのテクニックの持ち主でした。
18時スタート予定がちょっと遅れましたが、前半終了が19時過ぎ。(前半のエンディングは ”Yo Yo Man" でした)
ハーフタイム、一服しようと階段を上がり入り口の喫煙スペースへ・・・。
すると、なんと Ian が 外の空気を吸おうと思ったのかやって来ました。(一緒にいた)名古屋の方がすかさず彼に話しかけました。で、便乗してもらったサインがこれです。
下のほうに、ミミズのような文字が見えるでしょうか・・・
その後も休憩時間中はゆったりした雰囲気、メンバー皆がくつろいで観客と同じ場所にいます。トイレに行くときにすれ違ったマークはにこっと笑って声をかけてくれました。
と、雰囲気ばかりを書いてしまいましたが、それがやっぱりこの日のステージそのものでした。
もちろんアメリア3部作もやってくれましたし、アンコールではアカペラの "Louise" (これ、最高でした)、最後はステージから降りてPA-off での演奏。
Plainsong はその後の音を聞いていなかったので、知らなかった曲もありましたが(すみません)またまたあったかなコンサートに触れられた一夜でした。
(10/23 追記:つい先ほど、You Tube で アップされたばかりのオランダでの同じツアーのダイジェストを見つけましたので、画像を差し替えました)
彼らのファーストアルバム "In Search For Amelia Earhart" は、やはり当時の愛聴盤だったので、なんとしても最後のステージは聴かなくてはと駆けつけた次第です…もちろん、ソロ時代のイアンも大好きでしたので、当時もコンサートにはいきました。
会場は代々木のライブハウス、観客は60人くらいだったでしょうか・・・ちょっと淋しい気もしますが、その分とってもアットホームなステージでした。
歳を重ねてもイアンの声は相変わらずソフトでしたし、アンディーもそのマルチプレイヤーぶりを発揮してくれました。スポークスマン?のジュリアンも(最初に、これが最後のステージだということで)涙流すしぐさをしてみたり、ベース(とギター)のマークもかなりのテクニックの持ち主でした。
18時スタート予定がちょっと遅れましたが、前半終了が19時過ぎ。(前半のエンディングは ”Yo Yo Man" でした)
ハーフタイム、一服しようと階段を上がり入り口の喫煙スペースへ・・・。
すると、なんと Ian が 外の空気を吸おうと思ったのかやって来ました。(一緒にいた)名古屋の方がすかさず彼に話しかけました。で、便乗してもらったサインがこれです。
下のほうに、ミミズのような文字が見えるでしょうか・・・
その後も休憩時間中はゆったりした雰囲気、メンバー皆がくつろいで観客と同じ場所にいます。トイレに行くときにすれ違ったマークはにこっと笑って声をかけてくれました。
と、雰囲気ばかりを書いてしまいましたが、それがやっぱりこの日のステージそのものでした。
もちろんアメリア3部作もやってくれましたし、アンコールではアカペラの "Louise" (これ、最高でした)、最後はステージから降りてPA-off での演奏。
Plainsong はその後の音を聞いていなかったので、知らなかった曲もありましたが(すみません)またまたあったかなコンサートに触れられた一夜でした。
(10/23 追記:つい先ほど、You Tube で アップされたばかりのオランダでの同じツアーのダイジェストを見つけましたので、画像を差し替えました)
2012年10月17日
昨夜はジョー・ヘンリーとリサ・ハニガンのライヴに行ってきました。(写真は主催のヒルストーンさん発の facebook から勝手にお借りしました)
ジョー・ヘンリーは前回のライヴがとってもよかったということを聞いていましたので「行ってみようかなぁ・・」くらいの気持ちだったのですが・・・いつもの土曜・朝のNHK-FM、ピーター・バラカンさんの番組で一緒に来日する、リサの歌声を聴いて、「こいつは行かなきゃ!」とさっそくチケットの手配をしたのでした。
開演は遅い夜8時、勤め人のオッサンにとってはありがたい時間ですが・・・・
オープニング・アクトはエミー・マイヤー。
ちょっとローラ・ニーロ(確か彼女を最後に見たのもこの場所だったような・・・)風、もちろんそれはそれでよかったのですが、その分メインステージはなおさら遅いスタートとなります。
で、始まったのは8時40分頃でした。
ジョーは当然ギターを手に、リサはマンドリンです。が、彼女はマンドリンをフィンガーピッキングで弾きます。僕が知らないだけかもしれませんが、あまり見たことないですね。最初は二人それぞれが交互にメインをとって歌っていきます。 確かリサの2曲目が2枚目のアルバム "Passenger" の、タイトル曲だったと思います。(バラカンさんの番組で聴いたのもこの曲でした)
2曲ずつ終わって、それ以降はほぼリサ・チームが2、ジョー・ヘンリーが1の割合?のステージ。
(プロデューサーとしてのジョーが彼女のために時間をあげたのではないかな・・・)
ギターのジョン・スミスも数曲ソロを披露。ちょっと神経質そうな感じですが、彼はそのコーラスも素敵でした。
ドラムのロス・ターナーは最後にジョーがメンバー紹介するときも「クワイエット・マン」と言っていたとおりの物静かな人。時々はスティックを脇に置いてギターも手にしていました。
ジョーの歌の際にはリサがいわゆる「ハンド・オルガン」でバッキング。面白かったのは、逆の立場(リサのバックでジョーが弾く)のとき。リサの和音とは違い、ほぼ単音で奏でるジョーのオルガン、まるでディランのハーモニカのようでした。
そんな感じで、あっという間にエンディング~アンコールへ・・・
ジョーが「ロサンゼルスの友人、ジャクソン・ブラウンの曲を演ります」と言って始まったのが "These Days" この曲はイントロでわかりますよね。なんか、70年代に戻ったような感覚でした。
終演はもう10時半近く、一緒に行った友人と出口へ向かいます。(でも、まだアンコールの拍手は続いていました)
僕たちが出口に近づいたとき、またまた4人がステージに・・・ジョンだけがギターを持っています。
ジョーが「いつもいろんなメンバーとやっているんで、あまりレパートリーがないんだよね」って言いながら(これは勝手な解釈です)4人センターマイクに揃って始まったのは・・・・
The NightDayThey Drove Old Dixie Down !!
始まりのリサの歌声はかつて大ヒットした、あのジョーン・バエズのバージョンを思い起こさせてくれました。
そしてそれぞれがソロを引き継ぎ、コーラス部では会場全体の声が低い音で響いていきました。
きっと、ステージの4人はもちろんのこと、そこにいたほとんどの人がリヴォン・ヘルムのことを思っていたのだと思います。
・・・・・アコースティックな一夜。温かい、いいコンサートでした・・・・・・・
そんな雰囲気のリサとジョンのステージを You Tube で見つけました。(サビがちょっとハンク・ウィリアムスの「あの曲」に似ています・・・)
ジョー・ヘンリーは前回のライヴがとってもよかったということを聞いていましたので「行ってみようかなぁ・・」くらいの気持ちだったのですが・・・いつもの土曜・朝のNHK-FM、ピーター・バラカンさんの番組で一緒に来日する、リサの歌声を聴いて、「こいつは行かなきゃ!」とさっそくチケットの手配をしたのでした。
開演は遅い夜8時、勤め人のオッサンにとってはありがたい時間ですが・・・・
オープニング・アクトはエミー・マイヤー。
ちょっとローラ・ニーロ(確か彼女を最後に見たのもこの場所だったような・・・)風、もちろんそれはそれでよかったのですが、その分メインステージはなおさら遅いスタートとなります。
で、始まったのは8時40分頃でした。
ジョーは当然ギターを手に、リサはマンドリンです。が、彼女はマンドリンをフィンガーピッキングで弾きます。僕が知らないだけかもしれませんが、あまり見たことないですね。最初は二人それぞれが交互にメインをとって歌っていきます。 確かリサの2曲目が2枚目のアルバム "Passenger" の、タイトル曲だったと思います。(バラカンさんの番組で聴いたのもこの曲でした)
2曲ずつ終わって、それ以降はほぼリサ・チームが2、ジョー・ヘンリーが1の割合?のステージ。
(プロデューサーとしてのジョーが彼女のために時間をあげたのではないかな・・・)
ギターのジョン・スミスも数曲ソロを披露。ちょっと神経質そうな感じですが、彼はそのコーラスも素敵でした。
ドラムのロス・ターナーは最後にジョーがメンバー紹介するときも「クワイエット・マン」と言っていたとおりの物静かな人。時々はスティックを脇に置いてギターも手にしていました。
ジョーの歌の際にはリサがいわゆる「ハンド・オルガン」でバッキング。面白かったのは、逆の立場(リサのバックでジョーが弾く)のとき。リサの和音とは違い、ほぼ単音で奏でるジョーのオルガン、まるでディランのハーモニカのようでした。
そんな感じで、あっという間にエンディング~アンコールへ・・・
ジョーが「ロサンゼルスの友人、ジャクソン・ブラウンの曲を演ります」と言って始まったのが "These Days" この曲はイントロでわかりますよね。なんか、70年代に戻ったような感覚でした。
終演はもう10時半近く、一緒に行った友人と出口へ向かいます。(でも、まだアンコールの拍手は続いていました)
僕たちが出口に近づいたとき、またまた4人がステージに・・・ジョンだけがギターを持っています。
ジョーが「いつもいろんなメンバーとやっているんで、あまりレパートリーがないんだよね」って言いながら(これは勝手な解釈です)4人センターマイクに揃って始まったのは・・・・
The Night
始まりのリサの歌声はかつて大ヒットした、あのジョーン・バエズのバージョンを思い起こさせてくれました。
そしてそれぞれがソロを引き継ぎ、コーラス部では会場全体の声が低い音で響いていきました。
きっと、ステージの4人はもちろんのこと、そこにいたほとんどの人がリヴォン・ヘルムのことを思っていたのだと思います。
・・・・・アコースティックな一夜。温かい、いいコンサートでした・・・・・・・
そんな雰囲気のリサとジョンのステージを You Tube で見つけました。(サビがちょっとハンク・ウィリアムスの「あの曲」に似ています・・・)
2012年10月11日
<1日目…の1> まずは Rusk , TX まで 2012年 9月15日 雨のち曇り時々晴
今年の夏休みは久しぶりにアメリカ放浪の旅をしようと思っていた。
でも、なぜか(ダルビッシュのせいではあるまいが・・・)いつものダラス便が通常の8月には航空券が取れなかった。で、シルバー・ウィーク(といっても今年は休日が一日少なかったのですが)に無理やり有給を取る事に決めてチケットを購入。9月15日の土曜日、いつものAAでダラスへと出発した。
ダラス=フォートワース国際空港は広いが、いつも同じターミナルにKE便とほぼ同時刻の到着だ。 イミグレーションは長い列に日本語と韓国語が入り混じる不思議な空間となる。ダラスを目的地にしている搭乗客は少ないと思われるのだが、マイアミやオーランドへはここがゲートウェイになるのでいずれにしてもこの場所で入国手続きをしなければいけない。多分現地在住の日韓系と思われる係りの方たちが入管前のチェックをしている。
40分ほど並んでようやく我々の番になった。例によって顔写真と指紋をとられ渡航目的を聞かれる。
「観光です」・・・・・「どこ行くの?」・・・・・「イースト・テキサス」・・・・・「はい、OK。気をつけて」
と、なんとも簡単に通過。いろいろ質問された前回とは大違い。(係官によるのだろうか?)
その後の税関もすんなりで、なんとなく拍子抜け。
いつもこうだったらいいのにねえ。
しかし、乗り継ぎがあって時間のないときに限って長くなるのはなぜだろう?(マーフィーの法則か)
連絡バスに乗ってレンタカーオフィスへ。前回初めてAVISを使って対応の悪さ(たまたまだったとは思いますが)に懲りたのでまた Hertz に逆戻り。
ただし今回は、ついついこの場でアップグレードしてしまった。(いつもは絶対にしません) 係りは必ずその説明をする(マニュアルにあるに違いない)。キーレスシステムだの何だのと言っていたが、惹かれてしまったのは「アルティマ」だったから。日本人だから日本車(といっても日本にはない)を薦めたわけでもないだろうが、この際だからちょっと乗ってみたくなったのだ。
もうひとつは前々回(6年ほど前か)からオプションで付けているカーナビ。Hertzでは Never Lost という(なんか、笑えるネーミング)。それ以前のナビはちゃちで地図ソフトは付いていなかった。目的地を入れると文字でどこそこを右折だの何だのと出てくるヤツだったのでパスしていた。(アメリカで道を聞いて紙に書いてもらうと必ずそういう、文章の羅列になる。だいたいアメリカ人は地図が苦手みたいで、以前パトカーの姉ちゃんに地図を見せて「ここ、どの辺?」って聞いたときも首を傾げつつ、「うーー、このあたりかな・・」っていい加減な答えをしていた)
だが今は違う。日本のほど精細ではないがきちんと地図上に現在地が示されていて、なにより音声案内はとても優れている(どの車線を進め、まで細かく教えてくれる)。
空港を出て、まずは Rusk へと向かう。ナビの通りに進んでいくが、その地図にない建設中の道路(途中までできている)に進入してしまい、かなりのロスタイムとなる。それでもまもなく Dallas 市街に入りシンボルの「葱坊主」を左手に見て I-10 を東へ進む。
そこから約2時間半、何とか時間前にこのテキサス・ステート・レイルロードの出発駅に到着できた。
ところでこの鉄道のことを知ったのは10年ほど前、このあたりを通過したときにもらったパンフレットだった。今回、その昔のパンフレットを引っ張り出してネットで調べてみた、という次第。
まずはチケット購入、と窓口へ行く。
すると、窓口嬢からいきなり
「名前は?」 と聞かれた。
「いや、予約はしてないんで・・・・」
「ああ、今買いたいのね。」
多分、こちらでは予約をしてからここに来るのが普通なんだろうが、こちとらなんせフライトが遅れる可能性もあるし、ある程度は予想できるものの実際空港からどの程度の時間がかかるかわからなかったので予約はしていなかった。
「今日は "Buy one, get one free" よ」 「えっ、ラッキー!」
<料金は一人 ランチボックス込みで、$66(スタンダード・クラス)。でも、2人でこの値段ならリーズナブルか>
その後もいろいろ聞かれるが、聞き取れない。 なんとなく多分ランチボックスの種類(黄色とかピンクとかブルーとかチケットの色を説明してくれていた)を聞かれてたと思ったが、その中身が・・・・。
結局、彼女が機転を利かせてくれたのか、はたまた早く決着つけようと思ったのかは解らないが(多分後者でしょうね・・・)「ターキーとチーズはどう?」って聞かれて、
「じゃあ、それで・・・・・・・」
初日からちょっと情けない
というわけで、そそくさとホームへ。
待っていると左手から機関車が進入してきた。
典型的なアメリカのSL、ボールドウィン型だ。 やはり、蒸機の響きは懐かしい・・・・・・・・・・・
1日目...その2へ==>
今年の夏休みは久しぶりにアメリカ放浪の旅をしようと思っていた。
でも、なぜか(ダルビッシュのせいではあるまいが・・・)いつものダラス便が通常の8月には航空券が取れなかった。で、シルバー・ウィーク(といっても今年は休日が一日少なかったのですが)に無理やり有給を取る事に決めてチケットを購入。9月15日の土曜日、いつものAAでダラスへと出発した。
ダラス=フォートワース国際空港は広いが、いつも同じターミナルにKE便とほぼ同時刻の到着だ。 イミグレーションは長い列に日本語と韓国語が入り混じる不思議な空間となる。ダラスを目的地にしている搭乗客は少ないと思われるのだが、マイアミやオーランドへはここがゲートウェイになるのでいずれにしてもこの場所で入国手続きをしなければいけない。多分現地在住の日韓系と思われる係りの方たちが入管前のチェックをしている。
40分ほど並んでようやく我々の番になった。例によって顔写真と指紋をとられ渡航目的を聞かれる。
「観光です」・・・・・「どこ行くの?」・・・・・「イースト・テキサス」・・・・・「はい、OK。気をつけて」
と、なんとも簡単に通過。いろいろ質問された前回とは大違い。(係官によるのだろうか?)
その後の税関もすんなりで、なんとなく拍子抜け。
いつもこうだったらいいのにねえ。
しかし、乗り継ぎがあって時間のないときに限って長くなるのはなぜだろう?(マーフィーの法則か)
連絡バスに乗ってレンタカーオフィスへ。前回初めてAVISを使って対応の悪さ(たまたまだったとは思いますが)に懲りたのでまた Hertz に逆戻り。
ただし今回は、ついついこの場でアップグレードしてしまった。(いつもは絶対にしません) 係りは必ずその説明をする(マニュアルにあるに違いない)。キーレスシステムだの何だのと言っていたが、惹かれてしまったのは「アルティマ」だったから。日本人だから日本車(といっても日本にはない)を薦めたわけでもないだろうが、この際だからちょっと乗ってみたくなったのだ。
もうひとつは前々回(6年ほど前か)からオプションで付けているカーナビ。Hertzでは Never Lost という(なんか、笑えるネーミング)。それ以前のナビはちゃちで地図ソフトは付いていなかった。目的地を入れると文字でどこそこを右折だの何だのと出てくるヤツだったのでパスしていた。(アメリカで道を聞いて紙に書いてもらうと必ずそういう、文章の羅列になる。だいたいアメリカ人は地図が苦手みたいで、以前パトカーの姉ちゃんに地図を見せて「ここ、どの辺?」って聞いたときも首を傾げつつ、「うーー、このあたりかな・・」っていい加減な答えをしていた)
だが今は違う。日本のほど精細ではないがきちんと地図上に現在地が示されていて、なにより音声案内はとても優れている(どの車線を進め、まで細かく教えてくれる)。
空港を出て、まずは Rusk へと向かう。ナビの通りに進んでいくが、その地図にない建設中の道路(途中までできている)に進入してしまい、かなりのロスタイムとなる。それでもまもなく Dallas 市街に入りシンボルの「葱坊主」を左手に見て I-10 を東へ進む。
そこから約2時間半、何とか時間前にこのテキサス・ステート・レイルロードの出発駅に到着できた。
ところでこの鉄道のことを知ったのは10年ほど前、このあたりを通過したときにもらったパンフレットだった。今回、その昔のパンフレットを引っ張り出してネットで調べてみた、という次第。
まずはチケット購入、と窓口へ行く。
すると、窓口嬢からいきなり
「名前は?」 と聞かれた。
「いや、予約はしてないんで・・・・」
「ああ、今買いたいのね。」
多分、こちらでは予約をしてからここに来るのが普通なんだろうが、こちとらなんせフライトが遅れる可能性もあるし、ある程度は予想できるものの実際空港からどの程度の時間がかかるかわからなかったので予約はしていなかった。
「今日は "Buy one, get one free" よ」 「えっ、ラッキー!」
<料金は一人 ランチボックス込みで、$66(スタンダード・クラス)。でも、2人でこの値段ならリーズナブルか>
その後もいろいろ聞かれるが、聞き取れない。 なんとなく多分ランチボックスの種類(黄色とかピンクとかブルーとかチケットの色を説明してくれていた)を聞かれてたと思ったが、その中身が・・・・。
結局、彼女が機転を利かせてくれたのか、はたまた早く決着つけようと思ったのかは解らないが(多分後者でしょうね・・・)「ターキーとチーズはどう?」って聞かれて、
「じゃあ、それで・・・・・・・」
初日からちょっと情けない
というわけで、そそくさとホームへ。
待っていると左手から機関車が進入してきた。
典型的なアメリカのSL、ボールドウィン型だ。 やはり、蒸機の響きは懐かしい・・・・・・・・・・・
1日目...その2へ==>
2012年10月09日
今期最終戦、いつものような戦いぶりで終了。
いつものように打っても打っても点にはならず・・・ではなかったですが・・・今日も一発病のエースとともに撃沈でしたね。
6月までの成績が嘘のようなやっぱりの5位。貯金15もあったチームが5位ってこれまでもあったのでしょうか・・・まあシーズン通してまともに働いた選手がほとんどいなかったのですから仕方がないですね。
そんなわけで日本ハム優勝の立役者も本日でおしまい(にしてほしい)です。
今日、西村監督の最後を飾ることはできませんでした…
選手時代からのファンとしては31年お疲れ様です・・・といいたいですね。
首位打者獲った角中選手にはおめでとうですが、このチームあの落合先生を除いてはその翌年、いい成績だった選手はいません。ぜひ来年もがんばってほしいです。
最後まで投げた益田クンもご苦労様です。オフにはしっかり身体のケアしてください。
他にもいろいろありますが、きりがないので・・・・
で、来年はどうなっているのでしょう・・・・??
いつものように打っても打っても点にはならず・・・ではなかったですが・・・今日も一発病のエースとともに撃沈でしたね。
6月までの成績が嘘のようなやっぱりの5位。貯金15もあったチームが5位ってこれまでもあったのでしょうか・・・まあシーズン通してまともに働いた選手がほとんどいなかったのですから仕方がないですね。
そんなわけで日本ハム優勝の立役者も本日でおしまい(にしてほしい)です。
今日、西村監督の最後を飾ることはできませんでした…
選手時代からのファンとしては31年お疲れ様です・・・といいたいですね。
首位打者獲った角中選手にはおめでとうですが、このチームあの落合先生を除いてはその翌年、いい成績だった選手はいません。ぜひ来年もがんばってほしいです。
最後まで投げた益田クンもご苦労様です。オフにはしっかり身体のケアしてください。
他にもいろいろありますが、きりがないので・・・・
で、来年はどうなっているのでしょう・・・・??