2012年05月
2012年05月29日
<1-2日目> 上の湯温泉銀婚湯 2012年4月28-29日 晴
駅からは宿の車で約10分ほどで、落部川沿いの道を登っていった先に建つ銀婚湯に到着。外見は、どこにもあるような川沿いの一軒宿だ。昔からあった温泉だったらしいが、現在の源泉を掘り当てたのが大正天皇の銀婚の佳日だったのでこの名が付けられたという。
宿に着き、とりあえずは部屋で一服。
ここの温泉の案内をじっくり見てみた。部屋にあるこれがなかなか優れもの、5つある源泉をどのように利用しているのかが一目瞭然だ。2つの大浴場のほか、外に貸しきりの露天が5つもある。
案内の地図を見ながらこれから向かう湯に思いをはせる。
連休ということもあろう。
部屋からは既に何組か、中庭を浴衣姿で露天に向かう方々が見える。
こちらもそろそろ行かなきゃ・・・っとフロントへ。
たまたまひとつだけあいていたのが「トチニの湯」。
それはぜひ浸かりたいと思っていた湯舟。
(ただし一番遠い、10分ほど歩く場所にある)
広大な敷地に点在する湯は宿泊者だけの特権だ。
フロントで木の鑑札?を受け取っていざ出陣。
宿舎の前の中庭(これが素晴らしい)を通り裏の河原のような場所に出る。
カタクリの花も迎えてくれる。
落部川に架かる吊り橋を渡りしばらく歩いていく。
その途も気持ちの良い、木々の中。
まだかまだかと思いつつたどり着いたそこは期待にたがわない、いい湯だった。
丸太をくりぬいた湯船にはここだけ単独の源泉が木樋を通して注がれている。
大きさはちょうど二人分くらい。名前の通りトチの林の中、視線の先にはすがすがしい川の流れが淡い光を浴びてきらめいている。
ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉の湯は、なめてみると、ほんの少しだけ塩っ気があるがほぼ無味無臭。
でも温泉の「濃さ」は浸かってみれば解る!!
これぞ至福のとき。下界のしがらみから解き放されて生き物としてのヒトに還ったよう。
小鳥のさえずりもいいBGMだ。
ゆっくり浸かって一旦あがると、おや?奥にもうひとつの湯船があるじゃない。
こちらは正方形の木枠の風呂。
川にはこちらのほうが近い。
溢れる温泉の湯と川の流れが織り成すハーモニー、もうたまりません・・・・・。
その後は
・・・・・・・・・・・・・・・・
(言葉にできないほどの幸福感・・・ごめんなさい・・・ですね)
宿舎に戻り、さて次の湯はどこに! っと思っていたがタイミングが悪かったのかすべて供用中。
素直に内湯へいくことに。
「渓流の湯」・「こもれびの湯」と名付けられた2つの内湯はそれぞれに露天が併設されており、夜中に男女交替になる。
どちらも10人以上は入れそうな大きな湯船に(こちらは混合の)源泉がなみなみと注がれている。
わざわざ飛行機に乗ってでも来る甲斐のある、新鮮かつ柔らかな湯。
川風を頬に感じながらのながらの露天も気持ちがいい。
さて、至福の湯あみの後は・・・・
おいしい食事が待っている。
夜は部屋食。
いつもは日本酒を頼むオッサンだが、部屋にあった飲み物メニューを見て今回は焼酎にしてみた。 北海道産初の本格芋焼酎という、「喜多里」と「熊石伝説」という名の地ビール。
最近流行りの?わりとすっきりした、でも芋の味もしっかりするいい酒だった。
華美ではないが、なかなか手が込んでいる地のもの中心の料理に舌鼓を打つ。
(このところ小食気味のオッサン達にはちょっと持て余す量でしたが・・・・)
翌日。
当然の朝一風呂のあと、朝食は1階の食事処で頂く。
テーブル席と庭に面した畳席があるが、我々は他の2カップルとともに庭を見ながらの食事。
飲んだ翌朝の和食はおいしい。
昨夜も鶏鍋についていた「松永さんの卵」の卵焼きと「みみのり」という、海草の味噌汁が絶品だった。
そしてもう一つ入った露天は「かつらの湯」。
つり橋の手前、文字通りカツラ並木の先にある。
外観はちょっと楽しい「秘密基地」ふう。
こちらは大きな一枚岩をくりぬいて作った湯船だ。
これだけの大岩をくりぬいてツリーハウスのような
湯小屋に設置するのも大変だったろうと思う。
岩溝の樋から、ここには川向1号・3号の混合泉が流れてくる。 ほんのり黄色かかった湯は若干の油臭がある、こちらも新鮮さがよくわかるいい湯だ。
湯船に浸かり、上を見上げると・・・桂の木々..
立ってみればその先には川の流れ。
お湯も抜群だが、雰囲気もよろしい。
・・・・・・・・・・・・・・・
ここでものんびり、湯ったりと温泉を堪能したオッサン達であった。
出発前、「本当にいいお湯でした。僕らも銀婚だったのでいい記念になりました」って、言ったら
「何? 言ってくれてたら特別料理にしたのに・・・」 とのお話。
「いやぁーー。もうあれで十分おいしかったです」
そして、非売品の根付と袱紗を頂いた。(ありがとうございます)
「ところで、ものすごく広い敷地ですね。手入れが大変でしょう」(これはカミサン)
「ここは、もともと川の中州だったんですよ。その後、周りの人たちがここを出て行くたびに土地を買い足していったんです」(ご主人の息子さん)
もともと松林だったこの場所に、”それではありふれている” と少しずつ他の木々を植えていったということなど、100年に及ぶ宿の歴史の一端を聴かせて頂いた。 そう言われてみると玄関前には樹齢何百年という松が何本もあることに気が付いた。
◆上の湯温泉 銀婚湯 (ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉)
1泊2食 10650円~
北海道二海郡八雲町上ノ湯199
TEL:0137-67-3111
2012年05月22日
今日は、ちょっとツイート風でご勘弁
行ってきました、リトル・フィート。
36年前、まだローウェルが健在(とはいっても・・・でしたが)のころをはじめとして4回目の来日。
リッチー・ヘイワードも向こうへ逝ってしまいましたが、まだポールもフレッドもビルも、もちろんサムもケニーも在籍しているバンド。こんなバンドは(ストーンズは超・例外として)ないと思います。
それを六本木のライブハウスで聞けるなんて・・・・
でも、やっぱり昔のホール公演の迫力を求めてはいけませんよね。(実はそれを期待してました)
そんな感じでした。
いや、でもよかったんです・・・!!
最初のうち、ちょいとドラム君が走ってしまいましたがそれもすぐに修正。
もちろんフレッドは相変わらずだったし、ポールも・・・・ビルも(ちょっと体形が、アメリカ人っぽくなってたけど)ケニーも素晴らしい演奏を聞かせてくれました。サムは相変わらず年齢不詳でしたね....
"ディキシー・チキン”はそれぞれのソロを絡めて多分9分くらい。
(ちょっと長ったらしくて・・・・・でした)
その後はフレッドがマンドリン、ポールが生ギターで”ウィリン”でした。
時間に制約があるライヴハウスのステージだったんで仕方がないのかもしれませんが
最後にポールが"too much songs, but too little time...." って言っていたので
「そうだよ!!」
と。思ったりしましたが、きっと昔みたいに3時間ぶっ通しでガンガン聞いてたらこちらも持たないのかとも思ってしまいました。(関係ないですが、ビルが日本語でありがとう!英語でThank You! のあとに ”muchisimas garcias " って言ってました・・・)
なんで、今日は(正確には昨日ですが)これで良し!
タイトな音を聴けた一夜でした。
行ってきました、リトル・フィート。
36年前、まだローウェルが健在(とはいっても・・・でしたが)のころをはじめとして4回目の来日。
リッチー・ヘイワードも向こうへ逝ってしまいましたが、まだポールもフレッドもビルも、もちろんサムもケニーも在籍しているバンド。こんなバンドは(ストーンズは超・例外として)ないと思います。
それを六本木のライブハウスで聞けるなんて・・・・
でも、やっぱり昔のホール公演の迫力を求めてはいけませんよね。(実はそれを期待してました)
そんな感じでした。
いや、でもよかったんです・・・!!
最初のうち、ちょいとドラム君が走ってしまいましたがそれもすぐに修正。
もちろんフレッドは相変わらずだったし、ポールも・・・・ビルも(ちょっと体形が、アメリカ人っぽくなってたけど)ケニーも素晴らしい演奏を聞かせてくれました。サムは相変わらず年齢不詳でしたね....
"ディキシー・チキン”はそれぞれのソロを絡めて多分9分くらい。
(ちょっと長ったらしくて・・・・・でした)
その後はフレッドがマンドリン、ポールが生ギターで”ウィリン”でした。
時間に制約があるライヴハウスのステージだったんで仕方がないのかもしれませんが
最後にポールが"too much songs, but too little time...." って言っていたので
「そうだよ!!」
と。思ったりしましたが、きっと昔みたいに3時間ぶっ通しでガンガン聞いてたらこちらも持たないのかとも思ってしまいました。(関係ないですが、ビルが日本語でありがとう!英語でThank You! のあとに ”muchisimas garcias " って言ってました・・・)
なんで、今日は(正確には昨日ですが)これで良し!
タイトな音を聴けた一夜でした。
2012年05月16日
<1日目> 函館から銀婚湯へ 2012年4月28日 晴
羽田空港6:40-ANA4742(air do 運航便)-8:00函館空港・・・・・・・函館12:30-(特急スーパー北斗9号)-13:05 森 13:29-13:51落部
銀婚湯という温泉宿があると知ったのは十数年前だった。道南の林の中に湧く出湯、その素朴な雰囲気からいつか行ってみたいとは思っていた。とはいっても、遠い北海道・・・その名のとおり結婚25年が経ったら行こうと決めていた。
そして・・・ずっと先のことと思っていたのに、あっという間にその時が来た。
せっかく北海道まで行くのだからいつもの1泊2日じゃもったいないと思い連休中の空き状況を聴くと、28日だけOKということだった。
羽田からのフライトでは那須連邦や磐梯山、岩手山を眼下に見ることができた。
こんなにはっきり見えるのは珍しい。それほど空気が澄んでいる。
(ということは、この先の天気もまずは安心ということを予感させてくれる)
さて、定刻到着の函館空港。今回は宿でのんびりするのが主眼、本数が少ない列車の時刻だけチェックしてこの日を迎えたのだが・・・・
とりあえずは湯の川の湯に浸かりたい・・と、バス停に向かう。時刻表を見ると30分くらいの待ち時間。
それでもいいのだが・・・ならば、とタクシーで「湯の川の共同浴場まで」とお願いし行ってもらうことにした。
送り届けてもらったところはここ。
この地に3軒ある温泉浴場としてはおそらく一番新しい造りの建物。
壁に描かれた本栖湖からの富士の画がいかにも銭湯らしく懐かしい感じ。もちろん強食塩泉のその湯は溢れでるのが遠くからでも見えるほどの湯量で供給されている。 湯船は「高」と「低」の二つに分かれている。ここの温泉は湯温が高いので有名、さすがに「高」のほうは長くは浸かれなかった。 そしてその湯を口に含んでみると、伊東と同じくらいしょっぱい。その分よくあったまる、いい湯だった。
湯の川からは路面電車で駅へと向かう。やって来た車両はなんかレトロな雰囲気。
乗ってから知ったのだが「函館ハイカラ号」といって一日数本の運行だったらしい。(しかも湯の川からは車庫行きを除けばこの1本だけだったみたい) 車内でもらったパンフによると明治3年に千葉県成田市でデビューしたそう。100歳超えても現役とは!関係者の方々の尽力のおかげで未だに走り続けているのだろうけど、その走りも鐘の音もノスタルジックだ。運転も相当難しいに違いないだろうと思う。
これに偶然出くわしたのは幸運、車掌さんもチャーミングな方だった。
ただし、ここは館内撮影禁止だった。なぜ日本はこういう施設が多いのかずっと前から不思議だった。海外ではストロボ禁止のところはあるにせよほぼOKのところが多いのだが・・・・
それはともかくとして、ここには日本初のストーブ展示をはじめ当時の北前船関係の資料が豊富に残っていて興味深かった。
資料館の前は赤レンガ倉庫群だ。ただ、中身はほとんど土産物屋とかが中心のショッピングセンターになっていて、まあ雰囲気だけ味わえればいいやって感じ。
そこを抜け、水産物問屋等が並ぶ道を進むともう朝市&駅である。
その駅前、元は百貨店だったビルの6階にあるのが「北海道鉄道博物館」。「カラマツトレイン」という鉄道のホビーショップがやっているらしい。その名の通り北海道の鉄道遺産が中心(もちろんそればかりではありません)だが、実際は博物館というよりほとんど趣味が高じて作った展示物のよう(でも、それはまたそれで楽しそう)。
まずは受付でチケットを購入、それぞれゾーン?ごとに別れているチケットだがここまできたらやはりすべてを体験する「パスポート」(1000円)しかない。
で、まずはこいつに乗車。"トロッコ商店街線"という名の電動トロッコで、その名の通り店内を一周。
次は”炭鉱線”ということで、
「これ、どうやって動くの?」
と思わず聴いてしまった。
「私が動かします」
と、館長さん?がのたまう。
「えっ?」
と思うまもなく、トロッコが動き出した。
チープなつくりが面白い炭鉱めぐりはそれなりに楽しかった。
Nゲージのジオラマで遊んだ後は「博物館」へ入場。雑然としているところが公共の施設とは違う楽しさがあった。
学術派?でない、鉄道好きにはこんなアバウトな感じが面白い・・・・要するに、遊園地感覚なのだ。
そして(お店の思惑どおり?)昔のSLの音の25cmLPを購入。でも当時、高値の花だったものが手に入ったのもうれしかった。
そろそろ腹も減ってきた・・と再び朝市へ。
活きイカではなかったがさすがにうまかった。
もちろんそのほかのも・・・・・
函館発は12:30、森までは特急「スーパーほくと」で。
着いた森駅はなにかにぎやかな様子。
跨線橋をわたるとホームの向こうにはディーゼル機関車とともに客車の列が・・・
そういえば、函館で切符を買う際にSL列車のポスターを目にしたのを思い出した。
そのDLが客車を引いて入ったホームは向かい側の1番線。
反対側からは「SL函館大沼号」のヘッドマークをつけたC11がゆっくりと入線してきた。
駒ケ岳をバックに見る機関車の姿は雄雄しい。SLはその頭を制御車と連結、ここからはきっとそのまま後ろ向きに走っていくのだろうが転車台がないのでそれも仕方ない。それでも久しぶりに間近で聞く汽笛の音は懐かしい響きだった。
と、いうわけで乗り換え時間はあっという間に過ぎた。
我々はキハ40で北へ向かう、
ここからは各駅停車、一駅ずつ丁寧に停まっていく。
噴火湾の美しい水面と後ろの駒ケ岳が美しい。
周りの風景も少しずつ(イメージの中の)北海道らしくなってくる。
そんな風に景色を見ながらの20分、そろそろ下車駅の落部に到着だ.。
(その2へ・・・続く・・・)
羽田空港6:40-ANA4742(air do 運航便)-8:00函館空港・・・・・・・函館12:30-(特急スーパー北斗9号)-13:05 森 13:29-13:51落部
銀婚湯という温泉宿があると知ったのは十数年前だった。道南の林の中に湧く出湯、その素朴な雰囲気からいつか行ってみたいとは思っていた。とはいっても、遠い北海道・・・その名のとおり結婚25年が経ったら行こうと決めていた。
そして・・・ずっと先のことと思っていたのに、あっという間にその時が来た。
せっかく北海道まで行くのだからいつもの1泊2日じゃもったいないと思い連休中の空き状況を聴くと、28日だけOKということだった。
羽田からのフライトでは那須連邦や磐梯山、岩手山を眼下に見ることができた。
こんなにはっきり見えるのは珍しい。それほど空気が澄んでいる。
(ということは、この先の天気もまずは安心ということを予感させてくれる)
さて、定刻到着の函館空港。今回は宿でのんびりするのが主眼、本数が少ない列車の時刻だけチェックしてこの日を迎えたのだが・・・・
とりあえずは湯の川の湯に浸かりたい・・と、バス停に向かう。時刻表を見ると30分くらいの待ち時間。
それでもいいのだが・・・ならば、とタクシーで「湯の川の共同浴場まで」とお願いし行ってもらうことにした。
送り届けてもらったところはここ。
この地に3軒ある温泉浴場としてはおそらく一番新しい造りの建物。
壁に描かれた本栖湖からの富士の画がいかにも銭湯らしく懐かしい感じ。もちろん強食塩泉のその湯は溢れでるのが遠くからでも見えるほどの湯量で供給されている。 湯船は「高」と「低」の二つに分かれている。ここの温泉は湯温が高いので有名、さすがに「高」のほうは長くは浸かれなかった。 そしてその湯を口に含んでみると、伊東と同じくらいしょっぱい。その分よくあったまる、いい湯だった。
湯の川からは路面電車で駅へと向かう。やって来た車両はなんかレトロな雰囲気。
乗ってから知ったのだが「函館ハイカラ号」といって一日数本の運行だったらしい。(しかも湯の川からは車庫行きを除けばこの1本だけだったみたい) 車内でもらったパンフによると明治3年に千葉県成田市でデビューしたそう。100歳超えても現役とは!関係者の方々の尽力のおかげで未だに走り続けているのだろうけど、その走りも鐘の音もノスタルジックだ。運転も相当難しいに違いないだろうと思う。
これに偶然出くわしたのは幸運、車掌さんもチャーミングな方だった。
最初は函館駅で降りるつもりだったのだが、今回の旅でただひとつ行こうと予定していた「北海道鉄道博物館」の開館時間までまだ間があったので、途中で「十字街」までと下車地変更。
ただし、ここは館内撮影禁止だった。なぜ日本はこういう施設が多いのかずっと前から不思議だった。海外ではストロボ禁止のところはあるにせよほぼOKのところが多いのだが・・・・
それはともかくとして、ここには日本初のストーブ展示をはじめ当時の北前船関係の資料が豊富に残っていて興味深かった。
資料館の前は赤レンガ倉庫群だ。ただ、中身はほとんど土産物屋とかが中心のショッピングセンターになっていて、まあ雰囲気だけ味わえればいいやって感じ。
そこを抜け、水産物問屋等が並ぶ道を進むともう朝市&駅である。
その駅前、元は百貨店だったビルの6階にあるのが「北海道鉄道博物館」。「カラマツトレイン」という鉄道のホビーショップがやっているらしい。その名の通り北海道の鉄道遺産が中心(もちろんそればかりではありません)だが、実際は博物館というよりほとんど趣味が高じて作った展示物のよう(でも、それはまたそれで楽しそう)。
まずは受付でチケットを購入、それぞれゾーン?ごとに別れているチケットだがここまできたらやはりすべてを体験する「パスポート」(1000円)しかない。
で、まずはこいつに乗車。"トロッコ商店街線"という名の電動トロッコで、その名の通り店内を一周。
次は”炭鉱線”ということで、
「これ、どうやって動くの?」
と思わず聴いてしまった。
「私が動かします」
と、館長さん?がのたまう。
「えっ?」
と思うまもなく、トロッコが動き出した。
チープなつくりが面白い炭鉱めぐりはそれなりに楽しかった。
Nゲージのジオラマで遊んだ後は「博物館」へ入場。雑然としているところが公共の施設とは違う楽しさがあった。
学術派?でない、鉄道好きにはこんなアバウトな感じが面白い・・・・要するに、遊園地感覚なのだ。
そして(お店の思惑どおり?)昔のSLの音の25cmLPを購入。でも当時、高値の花だったものが手に入ったのもうれしかった。
そろそろ腹も減ってきた・・と再び朝市へ。
活きイカではなかったがさすがにうまかった。
もちろんそのほかのも・・・・・
函館発は12:30、森までは特急「スーパーほくと」で。
着いた森駅はなにかにぎやかな様子。
跨線橋をわたるとホームの向こうにはディーゼル機関車とともに客車の列が・・・
そういえば、函館で切符を買う際にSL列車のポスターを目にしたのを思い出した。
そのDLが客車を引いて入ったホームは向かい側の1番線。
反対側からは「SL函館大沼号」のヘッドマークをつけたC11がゆっくりと入線してきた。
駒ケ岳をバックに見る機関車の姿は雄雄しい。SLはその頭を制御車と連結、ここからはきっとそのまま後ろ向きに走っていくのだろうが転車台がないのでそれも仕方ない。それでも久しぶりに間近で聞く汽笛の音は懐かしい響きだった。
と、いうわけで乗り換え時間はあっという間に過ぎた。
我々はキハ40で北へ向かう、
ここからは各駅停車、一駅ずつ丁寧に停まっていく。
噴火湾の美しい水面と後ろの駒ケ岳が美しい。
周りの風景も少しずつ(イメージの中の)北海道らしくなってくる。
そんな風に景色を見ながらの20分、そろそろ下車駅の落部に到着だ.。
(その2へ・・・続く・・・)
2012年05月07日
Ryman Auditorium @ Nashville (hobo in the past #002)
しばらくサボっていた更新ですが、いつも素晴らしい音楽を紹介してくれるtakabohさんのブログに触発されてライマン公会堂のことを思い出しました。
1892年にリバーボートの船長である、トーマス・ライマンが中心となって建てられたこの建物は当初サミュエル・ジョーンズという復興派論者のために作られた「礼拝堂」だったそうすが、1943年からWSMのグランド・オール・オプリーの公開放送で使わるようになってからはカントリー音楽の聖地となりました。
しかし、74年に現在のオープリ会場ができてからは使用されなくなっていました。
僕が初めてナッシュヴィルに行った87年には ”もう、壊される” との噂もあり、ぜひともその姿?を見たいと思っていたのですが、当時は残念ながら鉄のフェンス(日本でも建築現場によくあるようなヤツ)に囲まれていてほとんど見ることができませんでした。きっと既に取り壊しにかかっているんだろうな・・・と、ちょっと切ない思いを懐いたものです。
ところがその5年後 Emmylou Harris が "Live at the Ryman" という、素晴らしいライブアルバムを発表してくれて、そこがまた復活していることを教えてくれました。きっとその20年弱の間にはいろいろな方たちの努力があったのだろうということは察せられますが、その時はそのライブアルバムを聴きながらなんかほっとした感じがしたのを覚えています。
Nashville の町は北西から南東にかけての斜面に位置しています。北側の高台に州議事堂などの公共施設があり南側はメイン・ストリート(Broadway) を越えるといかにもダウン・タウンという感じの町並みという(最初に行ったときはちょっと危ない感じがしたものです)配置になっていました。
<ただ、その下町も2回目に行った2007年には再開発されたらしく、Hall of Fame もその場所に移転するなどずいぶん近代的な地域に生まれ変わっていました。>
公会堂はその坂の中間地点ぐらいの傾斜地にあります。
現在はコンサートなどのイベントがない昼間は見学が可能(有料)です。
外観はシックなレンガ色で、いかにもという感じでした。
半円形のホールは2000人強くらいの収容力でしょう。椅子も礼拝堂らしい長椅子で、ホール周りのステンドグラスが素晴らしい。外通路にはそこここに往年のカントリーの大御所の公演ポスターなどが展示されています。
もちろんホールに入ることもできます。その椅子に座るとなぜか厳かに感じてしまうのはやはり、もともと礼拝堂だったからなのでしょうか。
センターステージではメインマイクの前で記念写真を係りの方が撮ってくれます。
(実は僕もギター片手にとってもらったのですが、当時のデジカメのデータが行方不明でした)
エミルーのライブの後も、NGDBやチーフテンズ、リヴォンなど多くのミュージシャンが素晴らしいライヴを残しているこの場所。これからもまだまだ、多くの名演奏が繰り広げられるでしょう・・・・・
と、いうことでここでのライブ画像を探してみました。本当はエミルーのをアップしたかったのですがみつからなかったのでこれを・・・(ところでこのバンジョー、バーニー・レドン?・・・・ってことはないか・・・・もちろん僕にとっては Neil も最高のミュージシャンです。また、ここで彼のことを書いたらきりがなくなるのでそれはまた、次の機会に・・・・)
訪問日=2007.8.??
しばらくサボっていた更新ですが、いつも素晴らしい音楽を紹介してくれるtakabohさんのブログに触発されてライマン公会堂のことを思い出しました。
1892年にリバーボートの船長である、トーマス・ライマンが中心となって建てられたこの建物は当初サミュエル・ジョーンズという復興派論者のために作られた「礼拝堂」だったそうすが、1943年からWSMのグランド・オール・オプリーの公開放送で使わるようになってからはカントリー音楽の聖地となりました。
しかし、74年に現在のオープリ会場ができてからは使用されなくなっていました。
僕が初めてナッシュヴィルに行った87年には ”もう、壊される” との噂もあり、ぜひともその姿?を見たいと思っていたのですが、当時は残念ながら鉄のフェンス(日本でも建築現場によくあるようなヤツ)に囲まれていてほとんど見ることができませんでした。きっと既に取り壊しにかかっているんだろうな・・・と、ちょっと切ない思いを懐いたものです。
ところがその5年後 Emmylou Harris が "Live at the Ryman" という、素晴らしいライブアルバムを発表してくれて、そこがまた復活していることを教えてくれました。きっとその20年弱の間にはいろいろな方たちの努力があったのだろうということは察せられますが、その時はそのライブアルバムを聴きながらなんかほっとした感じがしたのを覚えています。
Nashville の町は北西から南東にかけての斜面に位置しています。北側の高台に州議事堂などの公共施設があり南側はメイン・ストリート(Broadway) を越えるといかにもダウン・タウンという感じの町並みという(最初に行ったときはちょっと危ない感じがしたものです)配置になっていました。
<ただ、その下町も2回目に行った2007年には再開発されたらしく、Hall of Fame もその場所に移転するなどずいぶん近代的な地域に生まれ変わっていました。>
公会堂はその坂の中間地点ぐらいの傾斜地にあります。
現在はコンサートなどのイベントがない昼間は見学が可能(有料)です。
外観はシックなレンガ色で、いかにもという感じでした。
半円形のホールは2000人強くらいの収容力でしょう。椅子も礼拝堂らしい長椅子で、ホール周りのステンドグラスが素晴らしい。外通路にはそこここに往年のカントリーの大御所の公演ポスターなどが展示されています。
もちろんホールに入ることもできます。その椅子に座るとなぜか厳かに感じてしまうのはやはり、もともと礼拝堂だったからなのでしょうか。
センターステージではメインマイクの前で記念写真を係りの方が撮ってくれます。
(実は僕もギター片手にとってもらったのですが、当時のデジカメのデータが行方不明でした)
エミルーのライブの後も、NGDBやチーフテンズ、リヴォンなど多くのミュージシャンが素晴らしいライヴを残しているこの場所。これからもまだまだ、多くの名演奏が繰り広げられるでしょう・・・・・
と、いうことでここでのライブ画像を探してみました。本当はエミルーのをアップしたかったのですがみつからなかったのでこれを・・・(ところでこのバンジョー、バーニー・レドン?・・・・ってことはないか・・・・もちろん僕にとっては Neil も最高のミュージシャンです。また、ここで彼のことを書いたらきりがなくなるのでそれはまた、次の機会に・・・・)
訪問日=2007.8.??