2015年09月08日

無題     6日の日曜日に行きました。
  実は前日にも映画館には行ったのですが、最初の回が満席で次まで待つのもなぁ・・・って感じで翌日のチケットを買ったのでした。
    
     この映画は7月に「グローリー 明日への行進」を見た際に予告編をみて面白そう(まあ、山好きですからね)、と思ってはいたのですが、トリガーは米旅行の際の機内映画。
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 主演のリース・ウィザースプーンの最新作が("Hot Pursuit"・・・コメディですけど)楽しかったので、思い出したのです。
 
  映画の初頭での、このシューズを投げる場面でちょっとあっけにとられましたが・・・・いい、つかみでしょうね・・・。(でも原作はノンフィクションですが)

  人生の転換点?(なんてものがあるかどうかわかりませんが)、おそらく自分にも嫌気が差すときがある・・・多分、誰でも・・・・

  そんな自分を見つめなおそう・・・か、変えようか・・・は解りませんが
彼女は旅に出た・・・・

 パシフィック・クレスト・トレイルという、長い道に・・・

 そう、世界中にいくつかあると思うのですが、自分もずっと前からアメリカの”アパラチアン・トレイル”を歩きたかった・・・・というより、これからどうやって実現していくのか、を考えてもいました。

322  映画ではその道のりで色々な人と出会い、また自然に触れ合う中で過去の回想が綴られていく・・・・・。
  母親との確執2222、離婚を余儀なくされた自らのこと・・・
  オレゴンに至るまでの長い旅に、気持ちを一緒にした2時間でした。


   そしてもうひとつ・・1995年の出来事ということもあり・・なのでしょうが、音楽も自分にとっては素晴らしかったですね。
  最初から「コンドルは飛んでいく」ですが(この曲が通奏低音のように流れていきます)、エピソードにもスティーヴィー・レイ・ボーンやジェリー・ガルシアが挟まってくるのが懐かしかったですね。
  (S&GでのHomewardbound や スプリングスティーン、L.コーエンも)


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2013年02月01日

DSC_0005  常盤新平さんが亡くなってから今日で10日が過ぎた。  
  
 10代の頃、やはり最初は「夏服を着た女たち」だったと思うのだけれど、僕にとっては当時まだ見ぬアメリカを教えてくれる大師匠だった。
  そう、カントリーやブルーグラスなどの音楽が僕を(文字通り)”田舎”へ誘ってくれたのと同じ様に、常盤さんの本で”都会”(とりわけニュー・ヨーク)の洒落た世界への憧れを強めていったのだった。

 もちろんご自身の手による多くの著作にも触れさせていただいたが、やはり自分にとっては翻訳家としてのイメージのほうが強い。

 そしてこれは僕の勝手な思い込みだけれど……

 何故か、昨年やはり旅立たれた丸谷才一さんと重なるのだ。
 表面上はまったく異なるのは百も承知だが、なんとなくお二人の文体の底にあるものが似通っているような気がしてしまう。生年が近い(といっても常盤さんが6つ下だが、あの戦争の時代を生き抜いたことは重なるのだと思う)のとお二人とも東北出身だということも関係しているのかもれない。

 数多ある翻訳書の中でも特に好きだったのは、フィリップ・ロスの「素晴らしいアメリカ野球」とジェイムス・スティヴンスンの「大雪のニューヨークを歩くには」。

 特に後者は、もう青春時代ではなくなったと自分で思ったときに出会ったので、余計鮮烈な印象だった。
最後にその中の一節「午前4時」から、好きな一文(もちろん名訳だと思います。原文にあたったわけではないので説得力は??なのですが…でもこの長いフレーズも常盤さんの訳らしい気がします)を・・・

「私は先週のこの時刻、車を走らせ、停らなくてもいい赤信号で停止し、ラジオのカントリー・ウェスタンを聴き、わが心のおなじみのごみ箱をあさり、ネズミのような記憶を捕え、むかし受けた傷を突つき、さまざまの願いをより分け、悲運が近いかどうかを調べた。」

 常盤さん、ありがとうございました。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。



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2011年05月22日

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 PC君を送り出した翌日の4月30日、新宿の全労済ホールに「思い出のブライトンビーチ」を観に出かけました。20代のころはよく行っていた演劇もその後はトンとご無沙汰でしたが、今回は大好きなニール・サイモンの本ということで足を運びました。

 舞台は不況下の1930年代、ニューヨークはブルックリンのブライトンビーチというところ。ユダヤ系の人々が住む住宅地だ。ニールの自伝的脚本「BB三部作(ほかは”ビロクシー・ブルース”と”ブロードウェイ・バウンド”)」といわれる中での少年時代のストーリーです。

 ニールの分身ユージーンと両親に兄スタンリー、そして母親の妹ブランチとその娘2人が同居するジェローム家。そろそろ思春期にさしかかるユージーンの語りでストーリーは進んでいきます。

 グラブを手にヤンキースの選手になることが憧れのユージーン、でも作家になる夢もある。そしていとこのノーラへの恋心が混ざり合ってまだまだもやもやの気持ちのなか、家族のさまざまな出来事が語られていきます。兄スタンリーの職場でのイザコザや叔母ブランチの恋、父ジャックの戦争に対する気持ちなどいろいろなエピソードがつづられますが、一番は母ケートとその妹ブランチの間の葛藤。

 夫を亡くし仕方なく同居している病気がちなブランチと姉ケートとの心の動きが手に取るようにわかります。でも最後はやはり「お父さん」の出番。随所に笑わせてくれるところがでてきて、本当に引き込まれるファミリー・コメディでした。

 また、エンディングも秀逸です(大声で笑っちゃいました)。

 ニール・サイモンの作品はどれも人間愛というか、ヒューマニズムが溢れていて笑ったり、涙ぐんだり時にはほっとしたりするんですが、やっぱり生きていることは素晴らしいこと!って最後に気づかせてくれます。(特に今回はあの悲惨な出来事の後だったから余計でした)

 
 そして、生の役者さんの声もすばらしい。久しぶりに行ってよかったです。

 帰宅後、2冊あるニールの自叙伝を引っ張り出して拾い読みしました。そこでの両親のエピソードのひとつを最後に引用したいと思います。

 「ある晩。姉の家に遊びに行っていた母が11時頃帰宅した。ドアを開けると家中が真っ暗だった。父が家にいるのはわかっていたので、母は変だと思った。廊下の電球をつけたとたん、母は恐怖に悲鳴をあげた。床に男が倒れている。が、じっくり見つめたら、それは死体ではなくて、父の背広、ジャケット、ズボンが人の形なりに並べられ、足のところには靴、頭の部分には帽子がおかれていた。(・・中略・・)母のために付け加えるなら、彼女は怒らないで、ゲラゲラと笑いだし、ベッドにいた物言わぬ父の横に滑り込みながら、まだ笑っていた。」

 こんな家庭がニールを育んでいったのでしょうね。

 また、いろいろ演劇も見に行きたくなりました。

 新宿での公演はとっくに終わっていますが、まだ鎌倉や小金井などで上演されるみたいです。

 

 
 


mackkmackk55 at 12:25│コメント(0)トラックバック(0)

2009年12月22日

  そこは何もない場所で、舗装道路が遠くの山並みへ続いていた。頭上の空はどんよりと鬱陶しい雲に覆われていて、今にも一雨来そうだ。電信柱が一本、それも古い木製の柱が立っている。道の左手には雑木林があり細い道が林の中につけられていた。僕はなんとなく惹かれてその道に分け入った。

 気がつくと、渓流に沿って歩いていた。かなり流れの早い川で水は限りなく青く、向こう側は切り立った山になっている。そのまま歩いていくと人の声が聞こえてきた。何人かの外国人が木の船で渓流下りをしている。観光地の船下りのによくある船のようで、そんな船で素人が遊んで大丈夫なんだろうか。なんて思っていると、
 「一緒にやらない?」
と声をかけられた。ちょっと面白そうではあったが
 「ありがとう、でも行くところがあるから...」
と、やんわり断った。
 「そう、じゃあまたね」
彼女はそう言って、また仲間のところに戻っていった。

 そのまま少し行くと右手に鳥居があり、石段が杉の林の間につけられている。
 「どちらへ行かれるんですか?」
突然不自然な日本語で声をかけられ驚いたのだが、もっと驚いたのはその人が神主だか宮司だか(その辺の区別はよくわからない)の格好だったことだ。まあでもよく考えれば場所柄不思議でも何でもないのだが。声の主は緑色の瞳のやさしそうな青年だった。

 「いや、ただなんとなく歩いてるだけです。」
 「そうですか。ではこの上にある神社のそばから温泉街を通るバスが出ていますので、その路線図を作ってみませんか」
 「路線図?」
 「そうです。バスは走っているのですが路線図がまだできていないのです。」
変な話だなとは思ったのだが、なんとなく興味を抱かせた。
 「この石段を上がっていけばいいんですね」
僕が言うと、彼はニコニコしながら言った。
 「では、お気をつけて」

 バスはすぐに来た。
乗ったのは「神社前」というバス停で「温泉上」、「温泉中」、「温泉会館前」と順番に通過していく。いつもの僕だったら絶対に一風呂浴びるところだが、なんとなく路線図を作るという使命感に燃えていたのでそのまま乗車を続けた。「温泉下」、「温泉入口」と来たところでバスは停車した。ここまでの停留所はあまりにも安直な名前で覚えやすいが、この先はどうなのだろう。すると、
 「今日はここが終点です。」
と、アナウンスが流れた。今日は、ということは普段はもっと先まで運行しているのだろう。降りるときに運転手に聞くと、この先は週に一回のみの運行だという。ならばもう少し先まで行ってみよう、と思いその先の道を聞いて歩いてみることにする。

 道を聞くといっても一本道でそれしか道がないのだから迷いようがない。温泉街を外れると、どこにでもありそうな畑や田圃の中を行く道だ。家もなくなり、周りはただの野原になってきた。まだ次のバス停はない。道の舗装も途切れて、砂利道となった。まもなく朽ち果てた白い看板が目に入った。「自然農園」と書いてある。気がつくとそこにバス停があり、やはり「農園前」という停留所だった。農園といっても雑草に覆われた土地があるだけで事務所も民家もない。でもバス停の名になるくらいだから、昔はもっと活気があったにちがいない。いや、もしかしたらこの雑草だらけに見えるところがそもそもの「自然農園の畑」なのかもしれない。なんとなく気にはなりながらも僕は先を急いだ。

 だんだん道もひどくなってきて、水たまりを歩くようになった。こんなところをバスが通るのだろうかと思いながら左に大きくカーブする道を進んでいった。ゆるい下り傾斜になった道は、このあたりまで来るとほぼぬかるみ状態だ。しばらく行くとこれもかなり朽ち果てた木戸があり、「関所前」というバス停があった。そこにはまた高札のようなものも立っていて、
 「ここは株式会社〇〇農園の管理地ですので通行には許可証が必要です。許可証は農園の看板の下にあります」
 と書いてある。株式会社というのに違和感もあったし、そのまま行っても大丈夫かとも思ったが、後で何かあっても困るのでさっきの場所まで戻ることにした。

 看板のところまで戻ってよく見ると、「自然農園」という大きな文字の下に『完全自然農法の農園、分譲中(1反500万円より・営農指導付)。 周囲の環境に影響が及ぶので自然農法を守れる方に限ります。 〇〇農園』とあった。こんな場所なのにずいぶん高いんだな、と思いながらも一番下にあった「通行許可証はこちら」の箱からそれを一枚取り出した。

 また水たまりの道を戻ると左にカーブしていたところの右側に、先ほどは気づかなかったのだが白い建物があった。人工の大理石かなんかでできていて、こんな場所には不似合いな建物だ。近づいてみるとまるで地下鉄の入り口のようなつくりで白い階段が地下へと降りていっている。僕はバス路線図のことをすっかり忘れて吸い込まれるようにその階段を下りていった。

 下からはひんやりした風が上がってくる。何度かコの字に曲がって降りていくとさっきの青い川沿いの道に出た。でもそこは洞窟のようになっていて、まるで鍾乳洞の中の流れのようだ。それにしては昼間のように明るいのもおかしいのだが、実際そうなのだから仕方がない。不思議に思いながらも歩いていくと、まだ外国人たちは川で遊んでいた。
 「またきたのね」
 「やぁ、また会ったね」
さっきの彼女と話していると、後ろから声をかけられた。
 「どうでした?」
なんとあの緑眼の宮司が今度は牧師のいでたちで立っていた。
 「いや、歩いてきたらまたここへ出ちゃって....」
バスの路線図の件があったので、なんとなく後ろめたい感じがしてそう答えた。
 まわりを見渡すが、もう鳥居も石段もない。そこで、ようやくこの事態の異様さに気がついた。
 「でも、なんで......」

青年牧師が洞窟の天井を見ながら言った。
 「ほら、あそこに鍵穴があるでしょう。あれがココロのカギ穴なんです。そのカギが上の世界とここを繋いでいるのです。それを知ることはとっても大切なことなのです。」
 僕は眼を凝らしてその方向を見つめた。が、どこにその鍵穴があるのかは分からない。不思議な模様を浮かべてた鍾乳石をずっと見ているうちにめまいがしてきて、僕はその場で倒れこんだ。

 気がつくと僕は最初の雑木林の脇の舗装道路にいた。電信柱も空模様も何も変わっていなかった。

 僕はひとりぽつんと立ちながら、今日のできごとのことを考えた。この世界にはいろいろな人や、動物や、植物が生きていてそれぞれが鍵や鍵穴を持っていること。そしてそれは時に合ったり合わなかったりするように、日々何かが変わっていくこと.....
 でもきっと僕たちは誰かの「ココロのカギ」を開けることで自分の「カギ」を開けてもらったり、またその逆のことをするために(したりしながら)生きているのだと思う。
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 夢は何らかの現実世界からの投影なのだという。
 きっと睡眠中に「ロスト・トレイン」のストーリーが頭の片隅を支配したのかもしれない。 


mackkmackk55 at 21:07│コメント(1)トラックバック(0)

2009年12月04日

lost_train

ふらっと立ち寄った書店に平積みされていたこの本。廃線探訪をめぐる物語らしいが、タイトルとカバーデザイン(「銀河鉄道の夜」を彷彿させる)に惹かれて購入した。

小河内線跡場面で偶然出会う”ぼく”(語り手)と平間さん、そして途中から登場する菜月さんの3人の人生が微妙に交錯するさまに引き込まれ、2日間で読み終えてしまった。

吉祥寺のパブレストラン<ぷらっとほーむ>での平間さんの言葉は宮沢賢治の童話のようだし(でもそれは「銀河鉄道・・・」のではなくて「なめとこ山の熊」や「よだかの星」のようなやさしい語り口)、旅行代理店に勤める「鉄子」の菜月さんもちょっと変わったところがある。そんな2人と優柔不断な"ぼく”。それぞれが自分の「居場所」を求めて続けていく旅、それが「誰も知らない廃線跡」を捜す旅と重なる。

本編は2部構成になっていて、リアリティある前半部がファンタジックな(ある意味奇想天外でもある)後半部を支えている。そんな後半部はとても視覚的で、テンポよく進むストーリーも映画のように流れていく。結末は感動的だが、エピローグの最後の2ページが僕にはとても印象的だった。

(著者は昨年の日本ファンタジー大賞受賞者だそうで、それを知るとこの後半部も納得です。)


mackkmackk55 at 19:53│コメント(0)トラックバック(0)