2017年05月31日

   銀山は大久P3190047保間歩へ 2017年 3月19日(晴)
 IMG_0181 翌朝は宿と駐車場を挟んで隣の「薬師湯」へ向かった。
P3190038  朝一に行IMG_0180P3190042ったのだがすでにほぼP3190041満員・・・(よって写真等はなし)。
  楕円P3190039形の湯舟は赤茶色の温泉成分に染まり、洗い場も析出物で鍾乳P3190040石状態だった。もちろん新鮮な湯(ナトリウム・カルシウム一塩化物泉・源泉45.8度)がじゃぶじゃぶかけ流されている。
 昨日の元湯と同様、源泉はすぐ裏にあるから新鮮そのものだ。

  


   温泉IMG_0190津は石見銀山の銀の積出港として栄えた(世界遺産の一部でもある)。「沖泊」と称された北前船の風待港でもあり、やはり河口が港として活用されてきた。北前船フリーク?のオッサンとしては是非、行ってみたいと思っていた。
 


    温泉街から漁港に出て右奥に入っていくIMG_0186と左側に狭いトンネルがありそれを抜けたところにそれらIMG_0187しい場所があった。
IMG_0188  が、「ほんとにここ?」って思うほど寂しい場所。この看板が見つからなかったら、信じられなかったろう。
  船のモヤイを繋いだという、鼻ぐり岩(と思しき岩)もあって寂れてはいてもロマンを感じる。
 
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  港の後ろには恵比寿神社があり、IMG_0198昨夜の神楽を思い起こさせた。





IMG_0201IMG_0202  さて肝心の石見銀山だが、広い地域にまたがっているのでピンポイントでここ!っていう場所はない。 と、言うか全体が銀山でそこに多くの坑道があるのだが、公開されているのは2本だけ。
 (龍源寺間歩とツアーでのみ公開の大久保間歩・・・間歩というのが坑道のことだそう・・・)


  IMG_0204で、迷った末にスケールの大きい大久保間歩ツアーに参加することにした。
  
  集合は世IMG_0208界遺産センター、まずはバスで坑道下の駐車場へ向かう。
  その入り口から(当然ですが)沢沿いの道を登っていく。

  着いた事務所で長靴、ヘルメット、ヘッドランプを借りて坑道に入る。


IMG_0209  「大久IMG_0220保」の名は銀山の初代奉行の名前だそうだが。とにかく狭い、当然真っ暗であり足元も悪い・・・・まあ、当たり前である・・・・。

   坑内には江戸時代と推定される縦横に走る手掘りによる坑道と、明治時代の開発で機械掘りによって坑道を拡幅した様子を見ることができ、採掘技術の変遷を伝える貴重なもの・・・という。でも中はあちこち別れていて(もちろん歩くことは出来ないが)、かなIMG_0224りの坑道だったのだろう。
IMG_0225  でも、本当に真っ暗でした・・・
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  「大久保」の後にも、もう少し登って「釜屋間歩」の入り口まで、また少し登っていく。
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IMG_0252IMG_0253        


     ここでまたガイドの方の説明が・・・
IMG_0254 
 ここはちょっと変わった広場のような土地と階段状の道がまた素晴らしい。

        このガイドさんからも、いろいろ資料の写真も見せてもらって、楽しかった。
   
      下山後は再びバスでセンターへ戻る・・・・・      その3へ 続く==>



mackkmackk55 at 22:09│コメント(2)トラックバック(0) | 

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この記事へのコメント

1. Posted by takaboh   2017年06月02日 06:31
自分は戦国時代の大内氏とか毛利氏が宝の山である石見銀山を巡って死闘を繰り返したのを小説などで読んでいましたが、石見銀山が広い地域にまたがっているというのを初めて知りました。
険しい山ですし、生活環境も悪かったでしょうし、本当に暗いですね。電気もない時代、鉱山というのは、大変な作業だったというのをあらためて感じました。

続きを楽しみにしております。ありがとうございました。
2. Posted by mackk   2017年06月02日 21:05
いつもコメントありがとうございます。

銀山はいわば1つの大きな山なのですが坑道が色々な場所から掘られており、まだその一部しか発掘されていないとのことでした。これからもその作業は続いていくとのことで、この日ガイドしてくれた方も次の発掘に携わるとのことでした。

確かにずっと昔からこの場所は所謂利権争いが絶えなかったのでしょう。

しかし(産業用としては)ほぼ枯渇してしまい、手付かずになっていたことが逆に世界遺産に登録される決め手になったということでした。

歴史というのは皮肉なものですね・・・・

続き・・なるべく早く・・とは思っておりますが。これからも宜しくお願いします。

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