2013年03月20日
<1日目> 津軽といえば、ストーブ列車 2013.1.19
冬の津軽の観光と言えばストーブ列車。前から一度は乗ってみたかった。
と、いうわけで「オトキュウ」切符の使える土日に行ってきた。
前日の金曜日、東北地方は大雪。今年はほんとに雪がひどくて大変だと思う。
こちらもお邪魔する身ながら交通機関のことなどを心配する。
新青森に着くと駅前はやはり一面の雪。たまに訪れる観光客にとってはいいものだが....屋根の雪下ろしをされている方もいて、本当に北国の冬の暮らしの大変さを思ってしまう。
ところで津軽鉄道の始発駅は「津軽五所川原」。奥羽本線と五能線を乗り継いで行きたいところだが、うまく乗り継げる便がない。なんで、五所川原までは路線バスで行くことにした。
駅の観光案内所でバス停の場所を聞くと、この雪でバスはかなり遅れているとのことだった。
30分ほど待ってバスに乗車、2年前岩木山へ登る前日に浸かった「タラポッキ温泉」の前などを通って五所川原へ向かう。路線バスなので途中こまめにバイパスから離れて集落に入っていく(当たり前か)。
この時点で、当初乗る予定の列車には間に合いそうもないかも・・・と思っていた。
で、到着は出発時刻の5分前。(なんとか間に合いました)
ただ、予想外?の混雑振り。外国人のツアー客もいて階段に並んで待つことに・・・ 跨線橋の上まで観光客でいっぱいだった。 ここでは、「五農」という文字の入ったハッピ?姿の若者たちが何かアピールしている。五所川原農林高校の生徒さん達で、自分たちが作ったお菓子を販売していたのだった。
(するめで一杯を期待していたオッサンは申し訳ないがパスした…)
まもなく列車が入線。 この日はディーゼル機関車の点検とかで、客車2両の前にディーゼルカー2両を連結しての運行ということだった。
車内はこんな感じ。もちろん、するめも注文、係りの方が焼いてくれるのをしばらく待つのがまたいい。
津軽弁のアテンダントのお嬢さんもなかなか堂に入ったもの。
雪の厳しさから、「吉幾三」の家のことまで丁寧に?ガイドしてくれる。
目的地「金木」にはあっという間に到着した。
駅前はさすがに雪に覆われていたがこの時は雪もおさまってくれていた。
しばらくまっすぐ行ってから左に曲がるとここに着く。そう、いわずと知れた「斜陽館」だ。
思っていたよりもずっと立派な建物だった。
いうまでもなく太宰治の生家として有名だが、戦後は旅館として多くの人たちを迎えていたらしい。
でも、まずは腹ごしらえだ。(またか!)
斜陽館正面にある「MADENY」というところで、冷えた身体を当然のごとく熱燗で潤してから、「太宰らうめん」と「貝焼きみそ」、そして”若生”という海草でまいた「おにぎり」を頂く。
どれも津軽の香り漂う、いい昼餉だった。
「斜陽館」は太宰の父、津島源右衛門が明治40年に建築した入母屋造りの重厚な建物だ。パンフレットによれば 「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」 と太宰治本人は書いていたそうである。
確かに広い建物で、当主は金融業をはじめとして手広く事業をやっていたらしくここはその「金貸し」の店舗でもあったという。そう聞けば現在の銀行にある応接室っぽい所やカウンター風の場所もあって納得がいく。
それにしても今から100年以上前のこの建築。
襖絵や欄間も素晴らしく、和洋折衷の造りは「御殿」と呼ぶにふさわしい。
もちろんその後のケアはされているが当時のことを思えば、ここに暮らした太宰が微妙な反発心を持ったのも解る気がする。
隣にある蔵を利用した資料館では太宰の旧制中学時代の文章が展示されてた。
さすがに文才らしい、素晴らしい筆致だった。
そこにはこの地で育った彼の気持ちと外への思いが満ち溢れていた。
その後は前からセットで行ってみたかった「金木温泉」へ。
ただ、その温泉銭湯は少し前に営業をやめたらしい。
でも、その場所を確認したくて雪道を歩いていった。
旅館は健在だったが、銭湯はやはり閉鎖されていた。 燃料費なども重荷になったのだろうか。残念だが仕方がない。
再び雪が舞ってくる中を駅へと戻る。
さて、この後はどうしよう・・・
と思案の末、終点の「津軽中里」まで行ってみることにする。
ストーブ列車には300円の別料金がかかるのでそこまでは前で牽引役となっている、ディーゼルカーの「走れメロス」の乗客に・・・・
脆弱な都市住民には想像すべくもないが雪国の冬の厳しさを思いつつ、レールの響きに身を任せながら終着駅の津軽中里に到着。
そこからのバス停もあり、列車の終着駅らしい雰囲気もあった。
ここからは再び「ストーブ列車」に乗って五所川原へと戻る。
行きに金木まで来た時の車両だったようで、アテンダントさんに
「なんで、金木で降りたお客さんが中里にいるのぉ?」
と、不思議がられたがそれもまたご愛嬌・・・・
列車は雪の津軽平野を南に下り、五所川原へ進んでいく。
着いた五所川原駅でそのアテンダントさんが
「JRの列車については駅でお尋ねください」
と、言っていた。
何のことかと思っていたのだが・・・・・・・
==>その2へと続く
冬の津軽の観光と言えばストーブ列車。前から一度は乗ってみたかった。
と、いうわけで「オトキュウ」切符の使える土日に行ってきた。
前日の金曜日、東北地方は大雪。今年はほんとに雪がひどくて大変だと思う。
こちらもお邪魔する身ながら交通機関のことなどを心配する。
新青森に着くと駅前はやはり一面の雪。たまに訪れる観光客にとってはいいものだが....屋根の雪下ろしをされている方もいて、本当に北国の冬の暮らしの大変さを思ってしまう。
ところで津軽鉄道の始発駅は「津軽五所川原」。奥羽本線と五能線を乗り継いで行きたいところだが、うまく乗り継げる便がない。なんで、五所川原までは路線バスで行くことにした。
駅の観光案内所でバス停の場所を聞くと、この雪でバスはかなり遅れているとのことだった。
30分ほど待ってバスに乗車、2年前岩木山へ登る前日に浸かった「タラポッキ温泉」の前などを通って五所川原へ向かう。路線バスなので途中こまめにバイパスから離れて集落に入っていく(当たり前か)。
この時点で、当初乗る予定の列車には間に合いそうもないかも・・・と思っていた。
で、到着は出発時刻の5分前。(なんとか間に合いました)
ただ、予想外?の混雑振り。外国人のツアー客もいて階段に並んで待つことに・・・ 跨線橋の上まで観光客でいっぱいだった。 ここでは、「五農」という文字の入ったハッピ?姿の若者たちが何かアピールしている。五所川原農林高校の生徒さん達で、自分たちが作ったお菓子を販売していたのだった。
(するめで一杯を期待していたオッサンは申し訳ないがパスした…)
まもなく列車が入線。 この日はディーゼル機関車の点検とかで、客車2両の前にディーゼルカー2両を連結しての運行ということだった。
車内はこんな感じ。もちろん、するめも注文、係りの方が焼いてくれるのをしばらく待つのがまたいい。
津軽弁のアテンダントのお嬢さんもなかなか堂に入ったもの。
雪の厳しさから、「吉幾三」の家のことまで丁寧に?ガイドしてくれる。
目的地「金木」にはあっという間に到着した。
駅前はさすがに雪に覆われていたがこの時は雪もおさまってくれていた。
しばらくまっすぐ行ってから左に曲がるとここに着く。そう、いわずと知れた「斜陽館」だ。
思っていたよりもずっと立派な建物だった。
いうまでもなく太宰治の生家として有名だが、戦後は旅館として多くの人たちを迎えていたらしい。
でも、まずは腹ごしらえだ。(またか!)
斜陽館正面にある「MADENY」というところで、冷えた身体を当然のごとく熱燗で潤してから、「太宰らうめん」と「貝焼きみそ」、そして”若生”という海草でまいた「おにぎり」を頂く。
どれも津軽の香り漂う、いい昼餉だった。
「斜陽館」は太宰の父、津島源右衛門が明治40年に建築した入母屋造りの重厚な建物だ。パンフレットによれば 「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」 と太宰治本人は書いていたそうである。
確かに広い建物で、当主は金融業をはじめとして手広く事業をやっていたらしくここはその「金貸し」の店舗でもあったという。そう聞けば現在の銀行にある応接室っぽい所やカウンター風の場所もあって納得がいく。
それにしても今から100年以上前のこの建築。
襖絵や欄間も素晴らしく、和洋折衷の造りは「御殿」と呼ぶにふさわしい。
もちろんその後のケアはされているが当時のことを思えば、ここに暮らした太宰が微妙な反発心を持ったのも解る気がする。
隣にある蔵を利用した資料館では太宰の旧制中学時代の文章が展示されてた。
さすがに文才らしい、素晴らしい筆致だった。
そこにはこの地で育った彼の気持ちと外への思いが満ち溢れていた。
その後は前からセットで行ってみたかった「金木温泉」へ。
ただ、その温泉銭湯は少し前に営業をやめたらしい。
でも、その場所を確認したくて雪道を歩いていった。
旅館は健在だったが、銭湯はやはり閉鎖されていた。 燃料費なども重荷になったのだろうか。残念だが仕方がない。
再び雪が舞ってくる中を駅へと戻る。
さて、この後はどうしよう・・・
と思案の末、終点の「津軽中里」まで行ってみることにする。
ストーブ列車には300円の別料金がかかるのでそこまでは前で牽引役となっている、ディーゼルカーの「走れメロス」の乗客に・・・・
脆弱な都市住民には想像すべくもないが雪国の冬の厳しさを思いつつ、レールの響きに身を任せながら終着駅の津軽中里に到着。
そこからのバス停もあり、列車の終着駅らしい雰囲気もあった。
ここからは再び「ストーブ列車」に乗って五所川原へと戻る。
行きに金木まで来た時の車両だったようで、アテンダントさんに
「なんで、金木で降りたお客さんが中里にいるのぉ?」
と、不思議がられたがそれもまたご愛嬌・・・・
列車は雪の津軽平野を南に下り、五所川原へ進んでいく。
着いた五所川原駅でそのアテンダントさんが
「JRの列車については駅でお尋ねください」
と、言っていた。
何のことかと思っていたのだが・・・・・・・
==>その2へと続く
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この記事へのコメント
1. Posted by 総ちゃん 2013年03月22日 22:31
太宰もイイが、やはりスルメに熱燗、太宰ラーメンに貝焼き、海藻オニギリがいいね!
2. Posted by mackk 2013年03月23日 03:44
寒いところでのあったかい食べ物、やっぱりほっとしますよね。
特に「熱燗」は車で行ったらご法度なので、これも鉄道でいく旅の楽しみのひとつです。
特に「熱燗」は車で行ったらご法度なので、これも鉄道でいく旅の楽しみのひとつです。
3. Posted by takaboh 2013年03月23日 21:00
あららら、青森にいらしてたんですね。
この雪の中を! ありがとうございます。
青森にいながら、小生はストーブ列車に乗ったことがありません。(><)
だいたいこちらの感覚では冬の津軽は行くところではありませんので・・・。
この雪の中を! ありがとうございます。
青森にいながら、小生はストーブ列車に乗ったことがありません。(><)
だいたいこちらの感覚では冬の津軽は行くところではありませんので・・・。
4. Posted by mackk 2013年03月24日 07:38
いつもコメントいただきありがとうございます。
先輩のところを通り越して行っちゃいましたm(__)m
ストーブ列車は(カミサンも)前から一度は乗ってみたかったもんで・・・
>だいたいこちらの感覚では冬の津軽は行くところではありませんので・
そうでしょうね。
ところで、南部と津軽は犬猿の仲だったと言うのは今でも少しはあるのでしょうか?
(つまらないことを聞いてすみません・・・)
先輩のところを通り越して行っちゃいましたm(__)m
ストーブ列車は(カミサンも)前から一度は乗ってみたかったもんで・・・
>だいたいこちらの感覚では冬の津軽は行くところではありませんので・
そうでしょうね。
ところで、南部と津軽は犬猿の仲だったと言うのは今でも少しはあるのでしょうか?
(つまらないことを聞いてすみません・・・)
5. Posted by takaboh 2013年03月24日 20:03
>南部と津軽は犬猿の仲だった
ただやはり風土が違うので、気質が違う部分はあるように思います。
言葉が違っていて、南部人が津軽弁をまくし立てられると向こうは悪気がないのですが、こちらはケンカを売られているように感じる部分があり、その辺があるのでしょう。
今は言葉も標準語的になってきていますし、仲が悪いということはないです。
気質は、南部は遠慮がちで協調的ですが、津軽は、自己主張が強く、個性的であるように思います。
ただやはり風土が違うので、気質が違う部分はあるように思います。
言葉が違っていて、南部人が津軽弁をまくし立てられると向こうは悪気がないのですが、こちらはケンカを売られているように感じる部分があり、その辺があるのでしょう。
今は言葉も標準語的になってきていますし、仲が悪いということはないです。
気質は、南部は遠慮がちで協調的ですが、津軽は、自己主張が強く、個性的であるように思います。
6. Posted by mackk 2013年03月24日 21:17
そういうことなんですね。
やはり日本海側と太平洋側との気候の違いなんかも関係しているのでしょうか・・・
そうですね。自分も最初に、ずいぶん昔ですが急行「八甲田」に乗ったとき、津軽弁はまるで韓国語のように聞こえました。
(別に他意があるわけではありません)
本当につまらないことを聞いてしまってすみません。そんなことにきちんとお答えいただきありがとうございました。
やはり日本海側と太平洋側との気候の違いなんかも関係しているのでしょうか・・・
そうですね。自分も最初に、ずいぶん昔ですが急行「八甲田」に乗ったとき、津軽弁はまるで韓国語のように聞こえました。
(別に他意があるわけではありません)
本当につまらないことを聞いてしまってすみません。そんなことにきちんとお答えいただきありがとうございました。