2012年04月14日

木嶋被告に死刑という判決が下された。
  (確かにマスコミの情報でみれば僕も99.9%、犯人だと思える。 けれど状況証拠だけで判断していいのか、また物証と状況証拠の違いって何なのだろうか・・とも思う)
  おそらく今回選ばれた裁判員の方々も相当悩み、逡巡したことだろう。
  
  具体的な証拠が何もないなか、どのように判断するかはその時点での常識や世の中の流れに左右されるのではないか・・・うーーん、人が人を裁くのは難しいし、また危険でもある。

  そういえば数年前、検察審査員というのに選ばれそうになったことがある。最初に通知が来たときは何のことやらさっぱり分からなかった。でもその後2度ほど通知が来て、最後は東京地裁で説明会?をするということで行ってみた。検察が作った(かどうかは?)ビデオ画像を見て少しはわかったつもりになったが、「これってホントに被害者のための制度?」なのか疑問に思った。

 もちろんそういう仕組みは必要だろう。

 だが、もうじき判決が出る小沢一郎氏の件のようになんだかわけも解らないような流れになるのも問題だ。
 
 昔から人間社会では何らかのルールがあったのだとは思う。
 「村八分」や「魔女狩り」もその時点でそのコミュニティでは仕方がなかったか、道理にかなった処置だったんだろう。

 だから、難しい。

 社会のルールと人を裁くことの重さ、まるで天秤のような関係。弁護士のバッジもそれを象徴しているのか・・・・・・


mackkmackk55 at 11:07│コメント(0)トラックバック(0) │

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