2016年05月
2016年05月21日
初日は長崎ちょいぶら 2016年 4月30日 (晴れ)
最初の大きな地震はこちらでも感じられた。今年は高千穂から南阿蘇を経て熊本市内に行く計画をしていたので、ちょっと後で予約していた宿に電話をしたらいずれも営業はしているということだったが、キャンセルも多く入っているという。なので、せめて(応援のためにでも)やっているのなら行こうと思っていた。
まさかその2日後にもあのような恐ろしい揺れが起き、またその後もこれほど続くとは・・・それでもぎりぎり航空券の予約変更ができる10日前まで粘ったのだが、南阿蘇の宿は営業どころではないとの事で急遽行き先の変更ということになった。
この震災で被害にあった多くの方、まだまだ避難されている方のご苦労を思うとどうかなと中止も考えたのですが、それで自粛するのもかえってよくないかなとあえて決行しました。一日でも早い復興をお祈りします。
と、いうことでまずは長崎大村空港、そこからは連絡バスで長崎駅へ・・・。
駅前では、おなじみの路面電車が迎えてくれた。
とはいっても今回は全く準備無し。とりあえず初日は長崎歴史文化博物館をじっくり見学しようと目論んだ。
なので、駅からそちらの方向を目指す。坂の町だけあって最初から上り坂。
坂を登っていくと「長崎観音」という標識があった
その参道らしき坂を登っていくと、
大きな亀の上に乗った観音様が・・・。
「いったい、これは???」
と、予備知識なしのオッサンにはちょっとびっくりしつつもワクワクする光景、かつちょっと幾何学的な門も控えている。
(うーん・・・・やっぱり、長崎か!!)
そして中にはなんと「フーコーの振り子」があった。 これには夫婦で感激した。あの観音様の頭からつり下げられているらしい。(ただし現在は故障中とのことでしたが)
あとで調べたらとっても由緒あるお寺だった。(福済寺といって1629年の建立。長崎の三福寺といわれる唐寺だそう)幕末には勝海舟と坂本龍馬もここに滞在していたらしい。 本堂などは戦前、当時の国宝扱いだったらしいが核爆弾により消失、戦後に戦没者の慰霊と世界平和を祈願して再建されたという。
さてちょうど昼時、お寺から降りてきたところにホテルがありその一角がレストランになっている。 ここでランチじゃ・・・・っと
長崎名物皿うどんにトルコライス。
ふむふむ・・・想像通りの味(モチロン旨かった)
そこからしばらく歩くとなにやらまた由緒ありそうなお寺が・・・・
解説板によると国指定の重文だそう。ならば行こう・・・とまたまた階段坂を登っていく。
最初はちょこっと見ようかと思っていたのだが、なんだか引き寄せられる感じがする佇まい・・・・
階段を登った中ごろにこんな建造物があった。
(こちらは重文ではありませんが、こういうの気になるんだよね)
立派な山門は趣がある。
しかしオッサンはこういったゲイジツ的ではない造りに引き寄せられてしまうのだ。(この煉瓦を重ねた塀! 見事じゃ!!)
坂の町らしい佇まいの道を歩いて、お目当ての博物館に到着。
この時は篠山紀信さんの特別展示もあったがそこまでの時間はないので常設展示だけ見ることにする。
長崎は自分の祖先の地でもある。そしてどうしても気になってしまうのがキリシタン関係の資料。
そのあたりを見ている間に係りの方から、「寸劇が始まりますからご覧下さい」と言われて
もうひとつの「奉行所ゾーン」に移動、長崎凧揚げ騒動を観劇・・・ボランティアらしいがなかなか素人離れした演技に拍手喝采だった。
その奉行所展示を見てから、その後もまた「歴史文化展示ゾーン」に戻ってじっくりと・・・この博物館、見ごたえありだった。このモールス信号経験も・・・
そろそろ宿へ向かう時間、街をながめつつのんびり駅へ戻る。
この日の塒である「稲佐山温泉ホテル・アマンディ」は稲佐山中腹にある。
駅から送迎バスで連れてってもらう。
中腹といっても小高い場所だから長崎市街が見下ろせる。
まずは温泉か・・とも思ったが、日帰り客で込みこみっぽいので、1時間無料で利用できる「温泉卓球」でちょい汗かき・・・のあと、その汗だけ流して夕食へ。
館内のレストラン(ここも市街が見下ろせる)でのアラカルト。
頂いたワインはこれ。
スペイン中部ルエーダの白、その名のとおりボトルのラベルの丸い穴の向こうに船が見える。
長崎港を眺めながら飲むにはぴったりのワインかな。
そして最後にのんびりと入浴。
露天風呂からは夜景も楽しめる。
さすがに暗すぎるので、翌朝のものもここに。内湯と露天が男女別(和風とバリ風があって週替わり)それぞれある。
もちろん?バリバリ循環だが、結構温まる湯だった。
最初の大きな地震はこちらでも感じられた。今年は高千穂から南阿蘇を経て熊本市内に行く計画をしていたので、ちょっと後で予約していた宿に電話をしたらいずれも営業はしているということだったが、キャンセルも多く入っているという。なので、せめて(応援のためにでも)やっているのなら行こうと思っていた。
まさかその2日後にもあのような恐ろしい揺れが起き、またその後もこれほど続くとは・・・それでもぎりぎり航空券の予約変更ができる10日前まで粘ったのだが、南阿蘇の宿は営業どころではないとの事で急遽行き先の変更ということになった。
この震災で被害にあった多くの方、まだまだ避難されている方のご苦労を思うとどうかなと中止も考えたのですが、それで自粛するのもかえってよくないかなとあえて決行しました。一日でも早い復興をお祈りします。
と、いうことでまずは長崎大村空港、そこからは連絡バスで長崎駅へ・・・。
駅前では、おなじみの路面電車が迎えてくれた。
とはいっても今回は全く準備無し。とりあえず初日は長崎歴史文化博物館をじっくり見学しようと目論んだ。
なので、駅からそちらの方向を目指す。坂の町だけあって最初から上り坂。
坂を登っていくと「長崎観音」という標識があった
その参道らしき坂を登っていくと、
大きな亀の上に乗った観音様が・・・。
「いったい、これは???」
と、予備知識なしのオッサンにはちょっとびっくりしつつもワクワクする光景、かつちょっと幾何学的な門も控えている。
(うーん・・・・やっぱり、長崎か!!)
そして中にはなんと「フーコーの振り子」があった。 これには夫婦で感激した。あの観音様の頭からつり下げられているらしい。(ただし現在は故障中とのことでしたが)
あとで調べたらとっても由緒あるお寺だった。(福済寺といって1629年の建立。長崎の三福寺といわれる唐寺だそう)幕末には勝海舟と坂本龍馬もここに滞在していたらしい。 本堂などは戦前、当時の国宝扱いだったらしいが核爆弾により消失、戦後に戦没者の慰霊と世界平和を祈願して再建されたという。
さてちょうど昼時、お寺から降りてきたところにホテルがありその一角がレストランになっている。 ここでランチじゃ・・・・っと
長崎名物皿うどんにトルコライス。
ふむふむ・・・想像通りの味(モチロン旨かった)
そこからしばらく歩くとなにやらまた由緒ありそうなお寺が・・・・
解説板によると国指定の重文だそう。ならば行こう・・・とまたまた階段坂を登っていく。
最初はちょこっと見ようかと思っていたのだが、なんだか引き寄せられる感じがする佇まい・・・・
階段を登った中ごろにこんな建造物があった。
(こちらは重文ではありませんが、こういうの気になるんだよね)
立派な山門は趣がある。
しかしオッサンはこういったゲイジツ的ではない造りに引き寄せられてしまうのだ。(この煉瓦を重ねた塀! 見事じゃ!!)
坂の町らしい佇まいの道を歩いて、お目当ての博物館に到着。
この時は篠山紀信さんの特別展示もあったがそこまでの時間はないので常設展示だけ見ることにする。
長崎は自分の祖先の地でもある。そしてどうしても気になってしまうのがキリシタン関係の資料。
そのあたりを見ている間に係りの方から、「寸劇が始まりますからご覧下さい」と言われて
もうひとつの「奉行所ゾーン」に移動、長崎凧揚げ騒動を観劇・・・ボランティアらしいがなかなか素人離れした演技に拍手喝采だった。
その奉行所展示を見てから、その後もまた「歴史文化展示ゾーン」に戻ってじっくりと・・・この博物館、見ごたえありだった。このモールス信号経験も・・・
そろそろ宿へ向かう時間、街をながめつつのんびり駅へ戻る。
この日の塒である「稲佐山温泉ホテル・アマンディ」は稲佐山中腹にある。
駅から送迎バスで連れてってもらう。
中腹といっても小高い場所だから長崎市街が見下ろせる。
まずは温泉か・・とも思ったが、日帰り客で込みこみっぽいので、1時間無料で利用できる「温泉卓球」でちょい汗かき・・・のあと、その汗だけ流して夕食へ。
館内のレストラン(ここも市街が見下ろせる)でのアラカルト。
頂いたワインはこれ。
スペイン中部ルエーダの白、その名のとおりボトルのラベルの丸い穴の向こうに船が見える。
長崎港を眺めながら飲むにはぴったりのワインかな。
そして最後にのんびりと入浴。
露天風呂からは夜景も楽しめる。
さすがに暗すぎるので、翌朝のものもここに。内湯と露天が男女別(和風とバリ風があって週替わり)それぞれある。
もちろん?バリバリ循環だが、結構温まる湯だった。
2016年05月18日
ガイ・クラークの訃報が飛び込んできてしまいました・・・・
まだ74歳だったとのこと、とても寂しいですが、やすらかに・・・・
大好きなシンガー・ライターでした。
(僕がまだ若い頃、来日もしてくれましたね)
今は順番にアルバムを聞いています。
”Old No,1"は、当時文字通り擦り切れるほど聴いたアルバムのひとつでした。
彼を最初に知ったのは "Desperados Waitin' for The Train" だったのかなあ・・
当時は南部の音楽が(一部でしたが)結構注目されていて、結構ワクワクして聞いていたのを思いだします。
曲ごとに思い出していたらきりがないのですが、
エミルーのコーラスもよかったですね・・・
もうひとつは
”A Nickel for the Fiddler"
リタ・クーリッジのアルバムで知った曲ですが、アイルランドにはじめていった時、あの Saint Stevens Green でこの曲がまさに頭に浮かんできたのを思いだします。
ロザンヌ・キャッシュのFBからこれを・・・・
R I P
まだ74歳だったとのこと、とても寂しいですが、やすらかに・・・・
大好きなシンガー・ライターでした。
(僕がまだ若い頃、来日もしてくれましたね)
今は順番にアルバムを聞いています。
”Old No,1"は、当時文字通り擦り切れるほど聴いたアルバムのひとつでした。
彼を最初に知ったのは "Desperados Waitin' for The Train" だったのかなあ・・
当時は南部の音楽が(一部でしたが)結構注目されていて、結構ワクワクして聞いていたのを思いだします。
曲ごとに思い出していたらきりがないのですが、
エミルーのコーラスもよかったですね・・・
もうひとつは
”A Nickel for the Fiddler"
リタ・クーリッジのアルバムで知った曲ですが、アイルランドにはじめていった時、あの Saint Stevens Green でこの曲がまさに頭に浮かんできたのを思いだします。
ロザンヌ・キャッシュのFBからこれを・・・・
R I P