2014年11月
2014年11月15日
なんか5年たってた
カミサンが吾妻渓谷の紅葉をテレビ番組で見たという。
ダムに沈む場所とその下の渓谷を放映していたそう。
それで思い出したのが最初の自分のブログ、確か同じ時期・・・・で、見直してみた。
ん?丁度5年前・・・の今日だった。
当時は民主党政権ができて前原国交相がヘルメット姿で「ダム建設絶対中止」と叫んでいた。
あれは何だったんだろう・・・
(川上からの酸性の水のことも含めて、今では話題にもあがらなくなってしまった)
それでもあの時も、関係なく工事はどんどん進んでいた。
ということは別として・・・・・
で、今回は自分の放浪の原点?のお話。
子供の頃・・・・・・
赤羽駅からバスで10分くらいの場所に住んでいて、駅の踏み切りで列車を見るのが好きだった。もちろん新幹線なんてまだ当然なく、そこ(開かずの踏切といわれていた)で北から来る列車の屋根に雪が積もっているのを見てわくわくしていた。
まだ蒸気機関車も現役で、さすがに旅客列車は牽引していなかったと思うが貨物や入れ替えなどでは使われていた。
そんなオッサンが幼稚園から小学校へ進む春休みである。
赤羽駅までバスで行こうと友人二人を誘ったのだった。
(もうすぐ、小学生になるので子供運賃取られるから今のうちだよ・・と)
まあ、あまり覚えてはいないが(当たり前か)うきうき気分で終点である赤羽駅に到着。
最後部の席に座っていた3人が悠々とバスを降りようとしたら・・・
車掌さん(おーっ、書くのを忘れてた。当時はワンマンバスなんてなかった。)に、運賃を払うよう要求された。まあ、今から考えれば当たり前のことだが、あの頃自分は単純に小学生になるまではただと思い込んでいたのだ。
実際それまでも何回か乗車していたのだが一人だったんで大人の人にまぎれて降りていたんだろう・・と今にしては思うが。 後はお察しの通り、車掌さんにきつーいお叱りを受けてうなだれながら歩いて帰る道すがら、その友達二人からさんざん怒られたのは言うまでもない。
それは楽しくもちょっと切ない思い出。でもその後も好きなようにあっちこっちをウロウロしていた。
小学校になってからは、時々池袋へ一人で行った。
(っていうかしょっちゅうあっちこっちへ勝手に行ってたうちのひとコマ)
当然交通費以外のお金は持っていない。でも、電車やバスに乗るのが楽しかったし、ちょっと(赤羽とは違う)都会の雰囲気がある?池袋へ行くのが冒険っぽく思ったんだろう。
まあ、そこまで行ってもただウロウロするだけ、デパートの中だって子供にとっては面白いものはおもちゃ売り場くらいしかない。 そろそろくたびれてきた時間、当時ISP(池袋ショッピングパーク)と呼ばれてた地下街にあった喫茶店の前でメニューを見ていた(きっと、物欲しそうにしてたのだろう)ら、お店のお姉さんが
「ぼく、こっちおいで」
と言ってくれて、なんと!カウンターでイチゴパフェをご馳走になった。
これを教訓として、年上女殺し(そんなことはありえない)になっていれば・・・と思うのはずっと後のこと。
まったく、そういうことはありませんでしたね・・・当たり前・・・まあ小学生とは違うに決まってる。
そんな子供時代を過ぎてからも相変わらずあちこちに行くのが好きで、まだ昔の色々なところもアップしたいのだが、まったくできません。
というわけで・・・こんなブログになったんだなぁと自分で勝手に今また思ってしまう・・・・
ところで、
このブログのタイトルに拝借した曲(まあわかる方にはお見通しだろうが)。
まずは・・・
Hobo's Lullaby
(ウディ・ガスリーの名曲。これは作者の息子さんアーロの歌=というか、自分はこちらを先にきいた)
ま、所詮自分の好きな曲を駄洒落で勝手につなげただけのタイトル。
でも、どちらの単語も自分にはあってると思って勝手に拝借した・・・・
間に入った "de" は スペイン語の前置詞(英語では of みたいなもの)
なので、スペイン語クラスのTさんから前後の言葉を辞書で捜してしまったと言われてしまい、冷や汗ものだった。
でもどちらの曲もさすらい人生にぴったりなのだ。
で、もうひとつの拝借
Dark Hollow はこれで・・・
在りし日のクラレンスの姿、ピーターもリチャードも若い!
今年は体のこともあって、ひどくサボり気味ですが、
こんなブログにお付き合いくださった皆さんにお礼申し上げます。
もちろんこれからもまだまだ(いい加減に)やっていきたいと思っておりますのでよろしくお付き合い願えれば幸いです・・・・
カミサンが吾妻渓谷の紅葉をテレビ番組で見たという。
ダムに沈む場所とその下の渓谷を放映していたそう。
それで思い出したのが最初の自分のブログ、確か同じ時期・・・・で、見直してみた。
ん?丁度5年前・・・の今日だった。
当時は民主党政権ができて前原国交相がヘルメット姿で「ダム建設絶対中止」と叫んでいた。
あれは何だったんだろう・・・
(川上からの酸性の水のことも含めて、今では話題にもあがらなくなってしまった)
それでもあの時も、関係なく工事はどんどん進んでいた。
ということは別として・・・・・
で、今回は自分の放浪の原点?のお話。
子供の頃・・・・・・
赤羽駅からバスで10分くらいの場所に住んでいて、駅の踏み切りで列車を見るのが好きだった。もちろん新幹線なんてまだ当然なく、そこ(開かずの踏切といわれていた)で北から来る列車の屋根に雪が積もっているのを見てわくわくしていた。
まだ蒸気機関車も現役で、さすがに旅客列車は牽引していなかったと思うが貨物や入れ替えなどでは使われていた。
そんなオッサンが幼稚園から小学校へ進む春休みである。
赤羽駅までバスで行こうと友人二人を誘ったのだった。
(もうすぐ、小学生になるので子供運賃取られるから今のうちだよ・・と)
まあ、あまり覚えてはいないが(当たり前か)うきうき気分で終点である赤羽駅に到着。
最後部の席に座っていた3人が悠々とバスを降りようとしたら・・・
車掌さん(おーっ、書くのを忘れてた。当時はワンマンバスなんてなかった。)に、運賃を払うよう要求された。まあ、今から考えれば当たり前のことだが、あの頃自分は単純に小学生になるまではただと思い込んでいたのだ。
実際それまでも何回か乗車していたのだが一人だったんで大人の人にまぎれて降りていたんだろう・・と今にしては思うが。 後はお察しの通り、車掌さんにきつーいお叱りを受けてうなだれながら歩いて帰る道すがら、その友達二人からさんざん怒られたのは言うまでもない。
それは楽しくもちょっと切ない思い出。でもその後も好きなようにあっちこっちをウロウロしていた。
小学校になってからは、時々池袋へ一人で行った。
(っていうかしょっちゅうあっちこっちへ勝手に行ってたうちのひとコマ)
当然交通費以外のお金は持っていない。でも、電車やバスに乗るのが楽しかったし、ちょっと(赤羽とは違う)都会の雰囲気がある?池袋へ行くのが冒険っぽく思ったんだろう。
まあ、そこまで行ってもただウロウロするだけ、デパートの中だって子供にとっては面白いものはおもちゃ売り場くらいしかない。 そろそろくたびれてきた時間、当時ISP(池袋ショッピングパーク)と呼ばれてた地下街にあった喫茶店の前でメニューを見ていた(きっと、物欲しそうにしてたのだろう)ら、お店のお姉さんが
「ぼく、こっちおいで」
と言ってくれて、なんと!カウンターでイチゴパフェをご馳走になった。
これを教訓として、年上女殺し(そんなことはありえない)になっていれば・・・と思うのはずっと後のこと。
まったく、そういうことはありませんでしたね・・・当たり前・・・まあ小学生とは違うに決まってる。
そんな子供時代を過ぎてからも相変わらずあちこちに行くのが好きで、まだ昔の色々なところもアップしたいのだが、まったくできません。
というわけで・・・こんなブログになったんだなぁと自分で勝手に今また思ってしまう・・・・
ところで、
このブログのタイトルに拝借した曲(まあわかる方にはお見通しだろうが)。
まずは・・・
Hobo's Lullaby
(ウディ・ガスリーの名曲。これは作者の息子さんアーロの歌=というか、自分はこちらを先にきいた)
ま、所詮自分の好きな曲を駄洒落で勝手につなげただけのタイトル。
でも、どちらの単語も自分にはあってると思って勝手に拝借した・・・・
間に入った "de" は スペイン語の前置詞(英語では of みたいなもの)
なので、スペイン語クラスのTさんから前後の言葉を辞書で捜してしまったと言われてしまい、冷や汗ものだった。
でもどちらの曲もさすらい人生にぴったりなのだ。
で、もうひとつの拝借
Dark Hollow はこれで・・・
在りし日のクラレンスの姿、ピーターもリチャードも若い!
今年は体のこともあって、ひどくサボり気味ですが、
こんなブログにお付き合いくださった皆さんにお礼申し上げます。
もちろんこれからもまだまだ(いい加減に)やっていきたいと思っておりますのでよろしくお付き合い願えれば幸いです・・・・
2014年11月13日
お手軽登山の後は温泉でのんびり 2014年10月5日(晴れ)
翌朝、目覚めて真っ先に外を見る。
部屋の窓からの岩木山が神々しい。
まさしく登山日和、当初の予定と逆にして正解だった。
朝食は小さな器にのった山菜がおいしかった。
宿を9時半過ぎに出発。前回はしっかり下から登ったが、今日はクルマとリフトを使ったお手軽登山だ。
まずは岩木山スカイラインで8合目まで。そこからもリフトに乗り継いで9合目まで行ってしまう。
リフトからは紅葉と日本海がまぶしい。
この時機、山の中腹辺りが紅葉まっさかりだった。
9合目から頂上までは1時間もかからない。
とはいってもここも火山、岩ゴロの道が続く。
普段はおとなしくても、御嶽山のようにいつ爆発があってもおかしくない。
でも青空のもと、一歩一歩登っていくのは、ホントに気持ちいい。
この気持ち良さにみんな惹き付けられるのだろう・・・
ということで、3回目の登頂。
好天の日曜日ということもあって山頂は大勢の登山者で賑わっている。
この日は過去2回には見えた北海道こそ見えなかったが東には八甲田が、南東方向にはかすかに岩手山を望むことができた。
山頂でまったりした後は、再びリフト乗り場へ。
前回と違って花には逢えないが、足もとにはイワイチョウの紅葉が待っていてくれた。
鳳鳴ヒュッテから御倉石を横目に降りていく。
帰りもリフトで・・・
上から見えたとおりスカイライン中腹あたりの葉は綺麗だった。
スカイライン入り口では恒例?の嶽きみ。
もう終わりかなと思っていたが、まだまだおいしい。
(ここで土産用も購入!)
さて登山後恒例の温泉だが、前回行こうと思っていたがいけなかったここへ・・・
鰺ヶ沢街道を岩木山神社の手前で右(南)に入り10分弱走った場所にある、三本柳温泉。
名前にもそそられるが、江戸時代からあった湯治場だそう。
旅館の受付でベルを鳴らすと伯母ちゃんが出てきて応対してくれた。
食事もあればと思ったが、残念ながらそれはないそう。(まあ、一目でわかりますが)
男湯には先客が3人ほど、おそらく地元の方だと思うがゆっくり浸かっていらっしゃった。
7mx2mくらいの大きな湯船に源泉がじゃぶじゃぶ掛け流されている光景は、それだけで心が躍る。
湯段温泉と似た出汁味の温泉。含土類弱食塩泉で湯温も湯船で42-3度くらいだと思う、丁度いい湯加減。
(もうひとつの赤っぽい源泉の湯も上がり湯のようにあったのだが、こちらは撮影できず・・・)
温泉の前にはまたしてもあの「棒かけ」、振り向けばススキの向こうに「お岩木山」。
この辺り、何回か来てはいるがこの季節は初めてだったかも・・・
そして・・・まだまだ・・恒例の「最後の一浴」は、ここ「あたご温泉」で。
ここには家族風呂もあるとのことで、最後にゆっくり浸かりたいと思いめざしたが途中、「おー、ここは知る人ぞ知る名湯、新岡温泉も近いねえ・・・・」。
再びそちらにも行ってみたかったが、それはまた次回・・・ということで、高台にある日帰り温泉にやってきた。
家族風呂は青森ではあちこちにあってのんびりするには最高。(自分が最初に知ったのは鹿児島でしたが・・・)
ここのお湯は軽い油臭があり、板柳のあすなろ温泉を思いだす。
あそこまでではないけれど、ここも激しいくらいの湯量で溢れている。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉だそう。こちらは湯船で43度ほどか、そして湯船の淵はやはりヒバかなぁ・・・・・
給湯口の形もユニーク、でシャワーもまた・・・・
こんな湯が近くにあったら堪らないよね。
地元の人がうらやましい・・・と、思うのはいつものこと・・・だが。
そこからの帰路はアップルマラソンの影響か渋滞、ただそれも予測していたので(残念ながら)早目の帰り。それでも弘前からの特急は超満員だった。
最後は、新青森駅で締めの一杯。 田酒片手に、青森名物みそおでんに舌鼓をうつ、オッサンであった。
翌朝、目覚めて真っ先に外を見る。
部屋の窓からの岩木山が神々しい。
まさしく登山日和、当初の予定と逆にして正解だった。
朝食は小さな器にのった山菜がおいしかった。
宿を9時半過ぎに出発。前回はしっかり下から登ったが、今日はクルマとリフトを使ったお手軽登山だ。
まずは岩木山スカイラインで8合目まで。そこからもリフトに乗り継いで9合目まで行ってしまう。
リフトからは紅葉と日本海がまぶしい。
この時機、山の中腹辺りが紅葉まっさかりだった。
9合目から頂上までは1時間もかからない。
とはいってもここも火山、岩ゴロの道が続く。
普段はおとなしくても、御嶽山のようにいつ爆発があってもおかしくない。
でも青空のもと、一歩一歩登っていくのは、ホントに気持ちいい。
この気持ち良さにみんな惹き付けられるのだろう・・・
ということで、3回目の登頂。
好天の日曜日ということもあって山頂は大勢の登山者で賑わっている。
この日は過去2回には見えた北海道こそ見えなかったが東には八甲田が、南東方向にはかすかに岩手山を望むことができた。
山頂でまったりした後は、再びリフト乗り場へ。
前回と違って花には逢えないが、足もとにはイワイチョウの紅葉が待っていてくれた。
鳳鳴ヒュッテから御倉石を横目に降りていく。
帰りもリフトで・・・
上から見えたとおりスカイライン中腹あたりの葉は綺麗だった。
スカイライン入り口では恒例?の嶽きみ。
もう終わりかなと思っていたが、まだまだおいしい。
(ここで土産用も購入!)
さて登山後恒例の温泉だが、前回行こうと思っていたがいけなかったここへ・・・
鰺ヶ沢街道を岩木山神社の手前で右(南)に入り10分弱走った場所にある、三本柳温泉。
名前にもそそられるが、江戸時代からあった湯治場だそう。
旅館の受付でベルを鳴らすと伯母ちゃんが出てきて応対してくれた。
食事もあればと思ったが、残念ながらそれはないそう。(まあ、一目でわかりますが)
男湯には先客が3人ほど、おそらく地元の方だと思うがゆっくり浸かっていらっしゃった。
7mx2mくらいの大きな湯船に源泉がじゃぶじゃぶ掛け流されている光景は、それだけで心が躍る。
湯段温泉と似た出汁味の温泉。含土類弱食塩泉で湯温も湯船で42-3度くらいだと思う、丁度いい湯加減。
(もうひとつの赤っぽい源泉の湯も上がり湯のようにあったのだが、こちらは撮影できず・・・)
温泉の前にはまたしてもあの「棒かけ」、振り向けばススキの向こうに「お岩木山」。
この辺り、何回か来てはいるがこの季節は初めてだったかも・・・
そして・・・まだまだ・・恒例の「最後の一浴」は、ここ「あたご温泉」で。
ここには家族風呂もあるとのことで、最後にゆっくり浸かりたいと思いめざしたが途中、「おー、ここは知る人ぞ知る名湯、新岡温泉も近いねえ・・・・」。
再びそちらにも行ってみたかったが、それはまた次回・・・ということで、高台にある日帰り温泉にやってきた。
家族風呂は青森ではあちこちにあってのんびりするには最高。(自分が最初に知ったのは鹿児島でしたが・・・)
ここのお湯は軽い油臭があり、板柳のあすなろ温泉を思いだす。
あそこまでではないけれど、ここも激しいくらいの湯量で溢れている。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉だそう。こちらは湯船で43度ほどか、そして湯船の淵はやはりヒバかなぁ・・・・・
給湯口の形もユニーク、でシャワーもまた・・・・
こんな湯が近くにあったら堪らないよね。
地元の人がうらやましい・・・と、思うのはいつものこと・・・だが。
そこからの帰路はアップルマラソンの影響か渋滞、ただそれも予測していたので(残念ながら)早目の帰り。それでも弘前からの特急は超満員だった。
最後は、新青森駅で締めの一杯。 田酒片手に、青森名物みそおでんに舌鼓をうつ、オッサンであった。
2014年11月06日
三つの滝を見て温泉に浸かる 2014年10月4日(曇り)
久しぶりの山を満喫した一週間後、今度は東北の温泉
・・・の前に・・・・
ちょいとお散歩。
世界遺産の白神にある滝めぐり。暗い門という名の滝が3つ連なる渓谷に行ってきた。
この名の由来は諸説あるらしいが、津軽藩がよそ者を近づけないためにあえてこのような名にしたというのが自分的には面白かった(ちょいと眉唾かもだが)。
東北を旅するとどこででも遭遇する、菅江真澄はここにも来ていて「雪のもろ滝」という著作がある。その内容はネットでも見ることができる。 なかなかおもしろいので、興味ある方は是非ご覧頂きたい。
我々はまず弘前駅からレンタカーで白神山塊の麓にある、「アクアグリーンビレッジ ANMON」という施設まで約一時間のドライブ。そこの駐車場に車を停めて歩き出す。
駐車場から少し戻り、橋で川を越えて歩道に入る。しばらく進むと案内所のようなところが・・・・
そこで(任意の)整備協力金を求められた。異論はないので300円也をお渡しする(日付が刻印されたカードがいただけます)。
最初は右岸の広い道を歩いていく。
まもなく橋が現われ、反対側へと渡る。
岩木川の支流で川の名も暗門川というのだが、この辺りはまだ明るいし水もきれいだ。
15分くらい進むと少し山の道らしくなってくるが整備はきちんとされているので心配はない。
きれいな淵を楽しみつつ、ここら辺りからは少しずつ登り道に入る。
桟道が続いてなんとなく谷の奥っぽくなった先に、最初の滝があった。(ここまで入り口から約30分ほど)
それが第三の滝(ここでは下流から第三~第一と呼ばれている)だ。落差は26mと一番小さいが、まず辿り着いたことだけで感動。
しばらく滝を眺めてから、再び先へと進む。
滝の右側を巻いて登っていくのだが、その途中では滝を上から眺められる。
滝の上からはなお細くなる谷間の道を進み、最初の滝から10分ほどで第二の滝に到着する。
こちらは37mの落差があり、水量も最初の滝より多い分迫力がある。
その先もまた滝の右側から登っていくのだが、ここにはこんな階段がつけられている。
そして・・・階段を登ると今度は手掘りのトンネルが待っていた。
このトンネルは昭和38年に掘られたものらしい。その当時からここは観光名所だったのだろう。
第二の滝から10分ほどで第一の滝へ到着。
落差42mと、一番大きな滝だ。
滝壺からかなり離れても、水しぶきが雨のように落ちてくる。
入口から約一時間のプチ山歩きのご褒美は美しく、かつ迫力満点。
この先には道はなく、あとは来た道を戻るだけ。
もう一度それぞれの滝を楽しみながら降りていった。
駐車場に戻り、今夜の宿を目指す。
来る途中も通ったのだが、津軽ダムの工事が進んでいた。
かなり大規模(高さ97m・幅342m)で、治水、貯水、発電などの多目的ダムだ。
西目屋村役場で往路の道と別れ北へと向かう。
ところで、はさかけは地方によって色々なかたちがあるが、今回よくみたのがこれ。棒かけといって東北地方特有のやり方だそう。
岩木川沿いの谷間地から一山越えると岩木山の頂の上には雲が浮かんでいた。明日晴れてくれるといいのだが・・・・
そんなことを思いながらついたのがここ。
今宵の塒、「縄文人の宿」だ。
嶽温泉にはいくつかの旅館があるが、ちょっと変わった宿として有名なのだ。
(まあ、だいたい旅館名からしてそうだよね)
部屋は母屋に2室と離れが2棟の4室のみ、我々が案内されたのは、離れのひとつ「東日流の家」。実は予約の際、離れを希望したのだが満室だと言われていた。
なので、係りの女性に
「キャンセルかなんか、あったんですか?」
と、聴いたら怪訝そうな感じで
「いいえぇ・・・・・」
「電話では離れは一杯だって聞いていたもんで・・・」
「出た人間は男性でしたぁ?」
「はい、そうですが・・・」
という、会話で彼女はなんだか解ったような顔。
「何か、納得した感じですね」
「うん、うん」
と、長たらしく書いたがこの会話だけでもこの宿の感じは解ると思う。
離れに入るとまずあるのがこの囲炉裏。
後ろには岩木山神社の祭礼の画か、ネブタと着物も飾られていてなんだかわけが解らないコンセプト・・・だが、これがこの宿の持ち味だろう。(ご主人の人柄そのものだと思う・・・・まあ自分も人のことは言えない・・・)
ひととき落ち着いてから、まずは風呂へ向かう。
嶽温泉は、この辺りではあまりない白濁の湯。
酸性-カルシウム-塩化物泉の源泉46度というお湯は湯船でちょうどいい........
(か、ちょいと温め・・・それも自然のなせる業なのでその時次第)。
ここは立ち寄り入浴もありなので、地元弘前の方とご一緒した。
普段からここだけではなくふらっと温泉に行くらしい。
まったくうらやましい限りで、いろいろお話させていただいたが、やはり津軽は温泉の宝庫だと感じた。
そして夕食、先ほどの女性が火を熾してくれていた。
そこにあるのは新鮮極まりない魚介類にその他大勢。
これをこの炭火で焼く・・・いわゆる炉端焼きだ。 って、もちろんおいしくないわけはない・・・のだが、これは客に勝手にやれってこと?
熱燗を頼んだら、よくある囲炉裏に刺す徳利を持ってきてくれてこれに冷蔵庫の酒を入れてお燗してくださいとのこと・・・・
うーん、徹底してるね。
オッサン的にはこういうのはOK!
まあ、何がどうなっても旨けりゃいい。
鴨汁と釜飯も囲炉裏のそばで保温?
(どちらもいい味だった)
そして最後は、部屋の湯船(半露天)でくつろぐオッサンであった。
久しぶりの山を満喫した一週間後、今度は東北の温泉
・・・の前に・・・・
ちょいとお散歩。
世界遺産の白神にある滝めぐり。暗い門という名の滝が3つ連なる渓谷に行ってきた。
この名の由来は諸説あるらしいが、津軽藩がよそ者を近づけないためにあえてこのような名にしたというのが自分的には面白かった(ちょいと眉唾かもだが)。
東北を旅するとどこででも遭遇する、菅江真澄はここにも来ていて「雪のもろ滝」という著作がある。その内容はネットでも見ることができる。 なかなかおもしろいので、興味ある方は是非ご覧頂きたい。
我々はまず弘前駅からレンタカーで白神山塊の麓にある、「アクアグリーンビレッジ ANMON」という施設まで約一時間のドライブ。そこの駐車場に車を停めて歩き出す。
駐車場から少し戻り、橋で川を越えて歩道に入る。しばらく進むと案内所のようなところが・・・・
そこで(任意の)整備協力金を求められた。異論はないので300円也をお渡しする(日付が刻印されたカードがいただけます)。
最初は右岸の広い道を歩いていく。
まもなく橋が現われ、反対側へと渡る。
岩木川の支流で川の名も暗門川というのだが、この辺りはまだ明るいし水もきれいだ。
15分くらい進むと少し山の道らしくなってくるが整備はきちんとされているので心配はない。
きれいな淵を楽しみつつ、ここら辺りからは少しずつ登り道に入る。
桟道が続いてなんとなく谷の奥っぽくなった先に、最初の滝があった。(ここまで入り口から約30分ほど)
それが第三の滝(ここでは下流から第三~第一と呼ばれている)だ。落差は26mと一番小さいが、まず辿り着いたことだけで感動。
しばらく滝を眺めてから、再び先へと進む。
滝の右側を巻いて登っていくのだが、その途中では滝を上から眺められる。
滝の上からはなお細くなる谷間の道を進み、最初の滝から10分ほどで第二の滝に到着する。
こちらは37mの落差があり、水量も最初の滝より多い分迫力がある。
その先もまた滝の右側から登っていくのだが、ここにはこんな階段がつけられている。
そして・・・階段を登ると今度は手掘りのトンネルが待っていた。
このトンネルは昭和38年に掘られたものらしい。その当時からここは観光名所だったのだろう。
第二の滝から10分ほどで第一の滝へ到着。
落差42mと、一番大きな滝だ。
滝壺からかなり離れても、水しぶきが雨のように落ちてくる。
入口から約一時間のプチ山歩きのご褒美は美しく、かつ迫力満点。
この先には道はなく、あとは来た道を戻るだけ。
もう一度それぞれの滝を楽しみながら降りていった。
駐車場に戻り、今夜の宿を目指す。
来る途中も通ったのだが、津軽ダムの工事が進んでいた。
かなり大規模(高さ97m・幅342m)で、治水、貯水、発電などの多目的ダムだ。
西目屋村役場で往路の道と別れ北へと向かう。
ところで、はさかけは地方によって色々なかたちがあるが、今回よくみたのがこれ。棒かけといって東北地方特有のやり方だそう。
岩木川沿いの谷間地から一山越えると岩木山の頂の上には雲が浮かんでいた。明日晴れてくれるといいのだが・・・・
そんなことを思いながらついたのがここ。
今宵の塒、「縄文人の宿」だ。
嶽温泉にはいくつかの旅館があるが、ちょっと変わった宿として有名なのだ。
(まあ、だいたい旅館名からしてそうだよね)
部屋は母屋に2室と離れが2棟の4室のみ、我々が案内されたのは、離れのひとつ「東日流の家」。実は予約の際、離れを希望したのだが満室だと言われていた。
なので、係りの女性に
「キャンセルかなんか、あったんですか?」
と、聴いたら怪訝そうな感じで
「いいえぇ・・・・・」
「電話では離れは一杯だって聞いていたもんで・・・」
「出た人間は男性でしたぁ?」
「はい、そうですが・・・」
という、会話で彼女はなんだか解ったような顔。
「何か、納得した感じですね」
「うん、うん」
と、長たらしく書いたがこの会話だけでもこの宿の感じは解ると思う。
離れに入るとまずあるのがこの囲炉裏。
後ろには岩木山神社の祭礼の画か、ネブタと着物も飾られていてなんだかわけが解らないコンセプト・・・だが、これがこの宿の持ち味だろう。(ご主人の人柄そのものだと思う・・・・まあ自分も人のことは言えない・・・)
ひととき落ち着いてから、まずは風呂へ向かう。
嶽温泉は、この辺りではあまりない白濁の湯。
酸性-カルシウム-塩化物泉の源泉46度というお湯は湯船でちょうどいい........
(か、ちょいと温め・・・それも自然のなせる業なのでその時次第)。
ここは立ち寄り入浴もありなので、地元弘前の方とご一緒した。
普段からここだけではなくふらっと温泉に行くらしい。
まったくうらやましい限りで、いろいろお話させていただいたが、やはり津軽は温泉の宝庫だと感じた。
そして夕食、先ほどの女性が火を熾してくれていた。
そこにあるのは新鮮極まりない魚介類にその他大勢。
これをこの炭火で焼く・・・いわゆる炉端焼きだ。 って、もちろんおいしくないわけはない・・・のだが、これは客に勝手にやれってこと?
熱燗を頼んだら、よくある囲炉裏に刺す徳利を持ってきてくれてこれに冷蔵庫の酒を入れてお燗してくださいとのこと・・・・
うーん、徹底してるね。
オッサン的にはこういうのはOK!
まあ、何がどうなっても旨けりゃいい。
鴨汁と釜飯も囲炉裏のそばで保温?
(どちらもいい味だった)
そして最後は、部屋の湯船(半露天)でくつろぐオッサンであった。