2012年11月
2012年11月28日
<3日目> イースト・テキサスを南へ下る
2012年 9月17日 雨のち晴
<=2日目
こちらでは珍しいことだがこの日も朝から雨 。
これまでだいたいが40度を越える夏の暑い日ばかり経験してきていたので、これはこれで新鮮だ。
とりあえずは US190 を東進し、しばらく走ったところで右折。
ここは "Alabama-Coushatta Tribe" という、いわゆるネイティブの居住区。国道から森の中の道を5分くらい入ったところに大きな駐車場と広場があり、周りにオフィス棟や野外劇場?などの施設がある。
人の居そうな事務所(役所のような施設でした)に入り聴いてみると 「今日はツアーはない」 とのこと。(実は昨夜宿のPCで周辺情報を検索、ここでは日曜のみにツアーがあることが分かっていたのだがダメモトで聞いてみた)・・・・昨日と今日、逆の行程だったら・・・・とも思うがそれを言っても仕方がない。 雰囲気だけ味わってまたもとの国道に戻る。
そこから数十分だったか Woodville という町の入り口にあったのがこの Heritage Village、名前どおり昔の村を再現した施設だが当時のままの建物もいくつかある。(その建物については最初に受付の方が説明してくれた) キャンドル・ショップから始まって鍛冶屋、郵便局、新聞社、医院(と歯医者)、警察と留置所、雑貨屋にバー etc・・・・ほとんど考えられる限りの店?が並んでいる。
もちろん教会に学校、そして駅も。
というわけで、ランダムに写真だけ並べてみよう。(手抜きか?)
(ハチドリみたいな鳥やリスもいましたが、この辺はかなりピンボケ。)
そんな風に見ている間に、あっという間に昼時に…
で、しっかり隣にあるのがこの Pickett House という店。当時の家庭料理を食わせるというレストランだったが、まあ味はこんなものか・・といった感じ。
メニューはこれだけ。
いろいろ野菜も付いていてそれはよかったが肝心のチキンが・・・しょっぱい!アメリカでは甘いのも塩っ辛いのもありがちだね・・・ (とはいっても、例のチェーンの店のヤツとは大違いだったけれど)
さて実は、この日は一気に東進してルイジアナに突入しようと思っていたのだが・・・雨だし、なんとなく気分が・・・ってことでここから南に下ってポートアーサーを目指すことにした。
Woodville の町で右折、ここからは US59 でひたすら南へ向かう。途中いくつかの村を通過、山の上の台地なので酪農や林業がメインなのだろうが、いい感じの集落を通過していく。
しばらく走ると雨もあがって、逆に蒸し暑くなってきた。
そのあたりは Big Thicket National Preserve という、いわゆる自然保護区。ビジターセンターがあったので休憩がてら寄ってみる。
カウンターの向こうにいたイケメンの兄ちゃんに
「どんな動物がいるのーー?」 って聴くと、
「うーん、一番多いのは鹿だね。あとはアルマジロにワニとアライグマ。あー、熊もいるよ。」 だそう。
外には何故かヒガンバナが咲いていて、日本にいるような気分になる。
だんだん南に下ってくると車の流れも多くなり都会に戻ってきた感じになる。
Beaumont をすぎるとまもなく Port Arthur 。
テキサスとルイジアナの州境にあたる、Sabine川の河口にある湖のほとりに拓けた街だ。ロック・ファンにはあのジャニス・ジョプリンの生誕地として有名だ。(本人は「何もない退屈な場所」といっていたが・・・)
まずはツーリスト・インフォメーションへ向かう。
だがなんとなくここってのは解ったのだが、何か選挙が行われているよう。
「投票所はここ」っていう看板が英語とスペイン語で書かれている。 公共の施設っぽいという感じはあったので、迷わず入ることにする。 入り口には日本の投票所みたいに何人かの人がカウンターに並んでいた。で、インフォの場所を聞くとこの裏にある公民館にあるらしい。(それを聴いて戻ろうとしたら、「あっ出口は向こう!」といわれてしまった。一方通行ということだそうで、この辺は日本の選挙での投票所風景と同じか・・・・も)
めでたく?案内所で街の地図とガイドをもらい、とりあえずはここでのお目当て "Museum of the Gulf Coast" へ向かうことにする。
地図とナビを頼りに先ほどの場所からかなり走っていくと多分昔は栄えていていたであろうと思われるダウンタウンに入る。 (このあたりはアメリカではわかりやすい。たいがいの旧市街は碁盤の目状になった道がある。ヨーロッパでは逆ですね) だが、どんどん荒廃した感じになってきてちょっと危ない雰囲気になってきた。高層のホテルも、もうさびれて営業はしてなさそう・・・・・?
ミュージアムの脇には警察署があって交差点で止まっていると「早く行け!」と指図された。
その建物はあたりの光景にはそぐわない?やけに近代的なものだった。
(ちょっと予想外、ジャニスのおかげで入場者が多いのだろうか・・・)
ミュージアム1階はこの町をメインにした産業などの歴史。
石油のことからそこから派生した化学産業や鉄道の歴史を興味深く展示してくれていた。
この車を布で磨いている人(多分、僕と同じ位の歳!)がいた。
「ハーイ!」
と、話しかけられたので、このミュージアムの方かと思ったのだが、
「実はこの車、僕の親父の車だったんだ。時々見に来て手入れをしてるんだよ」 だって。
ここはそういった産業や営みの歴史とともに(ありがちだが)地元の有名人をたたえた展示もある。
政治家や俳優、文学者やスポーツ選手のコーナーもあるが、やはり音楽関係のコーナーが気になる。
またまた手抜きだが、百聞は一見にしかず(という、都合のいい言葉でお茶を濁します)。
この街をはじめ、ガルフコースト出身のミュージシャンのいろいろが所狭しと並んでいる。
もちろん、メインはジャニス。
ビリー・ジョー・スピアーズもこちら出身だったことは初めて知った。
ビデオで音源を「見て聴ける」コーナーもある。
なんでここではゆっくり、閉館時間までいてしまった。
ミュージアムを後にして、結局塒にしたのは高速沿いのホテルが林立したところ。(ほかには見つからなかった)
宿に落ち着いて、とりあえず途中で調達した「テキサスワイン」で喉を潤す。
夕飯も(本当は宿の人に聞いた、シーフードレストランに行こうかと思ったのだがさすがに疲れたうえ、飲んでしまったのでそれはパス)歩いていけるメキシコ料理の店にした。
というわけで、 Quedamos con estos などと怪しいスペイン語を駆使しながら、こいつらを飲み食い(結構いけました)。帰りは千鳥足でホテルに戻ったオッサンであった。 4日目=>
<9/17/2012 走行ルート>
Livingston-US190-Woodville-US59-US289-Beaumont-US287-Port Arthur
2012年 9月17日 雨のち晴
<=2日目
こちらでは珍しいことだがこの日も朝から雨 。
これまでだいたいが40度を越える夏の暑い日ばかり経験してきていたので、これはこれで新鮮だ。
とりあえずは US190 を東進し、しばらく走ったところで右折。
ここは "Alabama-Coushatta Tribe" という、いわゆるネイティブの居住区。国道から森の中の道を5分くらい入ったところに大きな駐車場と広場があり、周りにオフィス棟や野外劇場?などの施設がある。
人の居そうな事務所(役所のような施設でした)に入り聴いてみると 「今日はツアーはない」 とのこと。(実は昨夜宿のPCで周辺情報を検索、ここでは日曜のみにツアーがあることが分かっていたのだがダメモトで聞いてみた)・・・・昨日と今日、逆の行程だったら・・・・とも思うがそれを言っても仕方がない。 雰囲気だけ味わってまたもとの国道に戻る。
そこから数十分だったか Woodville という町の入り口にあったのがこの Heritage Village、名前どおり昔の村を再現した施設だが当時のままの建物もいくつかある。(その建物については最初に受付の方が説明してくれた) キャンドル・ショップから始まって鍛冶屋、郵便局、新聞社、医院(と歯医者)、警察と留置所、雑貨屋にバー etc・・・・ほとんど考えられる限りの店?が並んでいる。
もちろん教会に学校、そして駅も。
というわけで、ランダムに写真だけ並べてみよう。(手抜きか?)
(ハチドリみたいな鳥やリスもいましたが、この辺はかなりピンボケ。)
そんな風に見ている間に、あっという間に昼時に…
で、しっかり隣にあるのがこの Pickett House という店。当時の家庭料理を食わせるというレストランだったが、まあ味はこんなものか・・といった感じ。
メニューはこれだけ。
いろいろ野菜も付いていてそれはよかったが肝心のチキンが・・・しょっぱい!アメリカでは甘いのも塩っ辛いのもありがちだね・・・ (とはいっても、例のチェーンの店のヤツとは大違いだったけれど)
さて実は、この日は一気に東進してルイジアナに突入しようと思っていたのだが・・・雨だし、なんとなく気分が・・・ってことでここから南に下ってポートアーサーを目指すことにした。
Woodville の町で右折、ここからは US59 でひたすら南へ向かう。途中いくつかの村を通過、山の上の台地なので酪農や林業がメインなのだろうが、いい感じの集落を通過していく。
しばらく走ると雨もあがって、逆に蒸し暑くなってきた。
そのあたりは Big Thicket National Preserve という、いわゆる自然保護区。ビジターセンターがあったので休憩がてら寄ってみる。
カウンターの向こうにいたイケメンの兄ちゃんに
「どんな動物がいるのーー?」 って聴くと、
「うーん、一番多いのは鹿だね。あとはアルマジロにワニとアライグマ。あー、熊もいるよ。」 だそう。
外には何故かヒガンバナが咲いていて、日本にいるような気分になる。
だんだん南に下ってくると車の流れも多くなり都会に戻ってきた感じになる。
Beaumont をすぎるとまもなく Port Arthur 。
テキサスとルイジアナの州境にあたる、Sabine川の河口にある湖のほとりに拓けた街だ。ロック・ファンにはあのジャニス・ジョプリンの生誕地として有名だ。(本人は「何もない退屈な場所」といっていたが・・・)
まずはツーリスト・インフォメーションへ向かう。
だがなんとなくここってのは解ったのだが、何か選挙が行われているよう。
「投票所はここ」っていう看板が英語とスペイン語で書かれている。 公共の施設っぽいという感じはあったので、迷わず入ることにする。 入り口には日本の投票所みたいに何人かの人がカウンターに並んでいた。で、インフォの場所を聞くとこの裏にある公民館にあるらしい。(それを聴いて戻ろうとしたら、「あっ出口は向こう!」といわれてしまった。一方通行ということだそうで、この辺は日本の選挙での投票所風景と同じか・・・・も)
めでたく?案内所で街の地図とガイドをもらい、とりあえずはここでのお目当て "Museum of the Gulf Coast" へ向かうことにする。
地図とナビを頼りに先ほどの場所からかなり走っていくと多分昔は栄えていていたであろうと思われるダウンタウンに入る。 (このあたりはアメリカではわかりやすい。たいがいの旧市街は碁盤の目状になった道がある。ヨーロッパでは逆ですね) だが、どんどん荒廃した感じになってきてちょっと危ない雰囲気になってきた。高層のホテルも、もうさびれて営業はしてなさそう・・・・・?
ミュージアムの脇には警察署があって交差点で止まっていると「早く行け!」と指図された。
その建物はあたりの光景にはそぐわない?やけに近代的なものだった。
(ちょっと予想外、ジャニスのおかげで入場者が多いのだろうか・・・)
ミュージアム1階はこの町をメインにした産業などの歴史。
石油のことからそこから派生した化学産業や鉄道の歴史を興味深く展示してくれていた。
この車を布で磨いている人(多分、僕と同じ位の歳!)がいた。
「ハーイ!」
と、話しかけられたので、このミュージアムの方かと思ったのだが、
「実はこの車、僕の親父の車だったんだ。時々見に来て手入れをしてるんだよ」 だって。
ここはそういった産業や営みの歴史とともに(ありがちだが)地元の有名人をたたえた展示もある。
政治家や俳優、文学者やスポーツ選手のコーナーもあるが、やはり音楽関係のコーナーが気になる。
またまた手抜きだが、百聞は一見にしかず(という、都合のいい言葉でお茶を濁します)。
この街をはじめ、ガルフコースト出身のミュージシャンのいろいろが所狭しと並んでいる。
もちろん、メインはジャニス。
ビリー・ジョー・スピアーズもこちら出身だったことは初めて知った。
ビデオで音源を「見て聴ける」コーナーもある。
なんでここではゆっくり、閉館時間までいてしまった。
ミュージアムを後にして、結局塒にしたのは高速沿いのホテルが林立したところ。(ほかには見つからなかった)
宿に落ち着いて、とりあえず途中で調達した「テキサスワイン」で喉を潤す。
夕飯も(本当は宿の人に聞いた、シーフードレストランに行こうかと思ったのだがさすがに疲れたうえ、飲んでしまったのでそれはパス)歩いていけるメキシコ料理の店にした。
というわけで、 Quedamos con estos などと怪しいスペイン語を駆使しながら、こいつらを飲み食い(結構いけました)。帰りは千鳥足でホテルに戻ったオッサンであった。 4日目=>
<9/17/2012 走行ルート>
Livingston-US190-Woodville-US59-US289-Beaumont-US287-Port Arthur
2012年11月25日
昨日、C.イーストウッドのこの映画に行きました。
野球ネタということでカミサンの誘いに乗っていきましたがなかなかでした。
主人公はブレーブスのベテランスカウトマン、ガス (Clint Eastwood)。ただし目が悪くなり(また、近年のコンピュータを駆使したスカウティングにも背を向けて)退職の危機を迎えています。そして幼い頃に母を亡くした一人娘のミッキー (Amy Adams)。この二人の間の父娘関係がこの映画のメインテーマとなります。
ほとんどはノースキャロライナの田舎街が舞台となります(実際にはジョージア州メイコン近郊の町でのロケだったみたいですが・・・メイコンといえばカプリコーンの本拠地ですね)。でも背景のアパラチアの山並みはやはり美しい。
もうひとつここでキーとなるのが「灰色リス」モーテルです。以前はよくこういう家族経営の小さいモーテルに泊まったものですが、近年はチェーンの宿にその座を譲り廃業を余儀なくされる宿が増えています。最後の場面でもこのモーテルは絡んできますが・・・プロットとしてはかなり強引、というかありえない展開・・・まあ、それもハリウッド映画ならではでしょう。
そんなことも含めて、時代の流れと人生が交錯しつつストーリが展開されます。弁護士の仕事を抱えながら父親に付き添う娘と老スカウトの前に現れるのが、かつて彼がスカウトしてメジャー入りした元ピッチャー (Justin Timberlake)。肩を壊しトレードされた彼も今はレッドソックスのスカウトをしています。
アメリカ南部のお山の自然と文化が主人公たちと周りの人々に絡んで進んでいく物語は、アメリカ南部好きの僕の心に響いてきました。
また(当然のことながら)音楽も素晴らしかったです。
Key となる曲はあの "You are my sunshine" ですが、最初のバージョンはカーリー・サイモン、ラストではレイ・チャールスのバージョンが使われています。
先ほども触れましたが、ストーリー的にはやや無理があるものの心の襞をくすぐる作品でした。
野球ネタということでカミサンの誘いに乗っていきましたがなかなかでした。
主人公はブレーブスのベテランスカウトマン、ガス (Clint Eastwood)。ただし目が悪くなり(また、近年のコンピュータを駆使したスカウティングにも背を向けて)退職の危機を迎えています。そして幼い頃に母を亡くした一人娘のミッキー (Amy Adams)。この二人の間の父娘関係がこの映画のメインテーマとなります。
ほとんどはノースキャロライナの田舎街が舞台となります(実際にはジョージア州メイコン近郊の町でのロケだったみたいですが・・・メイコンといえばカプリコーンの本拠地ですね)。でも背景のアパラチアの山並みはやはり美しい。
もうひとつここでキーとなるのが「灰色リス」モーテルです。以前はよくこういう家族経営の小さいモーテルに泊まったものですが、近年はチェーンの宿にその座を譲り廃業を余儀なくされる宿が増えています。最後の場面でもこのモーテルは絡んできますが・・・プロットとしてはかなり強引、というかありえない展開・・・まあ、それもハリウッド映画ならではでしょう。
そんなことも含めて、時代の流れと人生が交錯しつつストーリが展開されます。弁護士の仕事を抱えながら父親に付き添う娘と老スカウトの前に現れるのが、かつて彼がスカウトしてメジャー入りした元ピッチャー (Justin Timberlake)。肩を壊しトレードされた彼も今はレッドソックスのスカウトをしています。
アメリカ南部のお山の自然と文化が主人公たちと周りの人々に絡んで進んでいく物語は、アメリカ南部好きの僕の心に響いてきました。
また(当然のことながら)音楽も素晴らしかったです。
Key となる曲はあの "You are my sunshine" ですが、最初のバージョンはカーリー・サイモン、ラストではレイ・チャールスのバージョンが使われています。
先ほども触れましたが、ストーリー的にはやや無理があるものの心の襞をくすぐる作品でした。
2012年11月23日
初来日時から毎回(いいえ、前回はチケット買ってあったのにいけませんでした)馳せ参じている「チーフタンズ」、今年は結成50周年なのだそう。
デレク・ベルも、ショーン・キーンも、そしてついこの間、向こうの世に旅立ったというマーティン・フェイもステージにはいません。
それでもいつものとおり、パディのアイルランド語のアナウンスからステージは開幕。アイリッシュハープのトリーナ・マーシャル、ギターはユニオンステーションでも活躍していたジェフ・ホワイト、フィドルにはカナダ出身のジョン・ピラツキ(弟?のネイサンはダンスで登場)とディニー・リチャードソン(この人のフィドルはよかったです。ナッシュビル出身だそうですが、ブルーノートの使い方が抜群でした)というメンバーがメイン。
最初から最後まで、多彩なゲストとともに(これもチーフタンズならではですが、ちょっと今回は本人たちの演奏が少なかったのが残念)相変わらずの楽しいコンサートでした。でも・・・フィナーレのおなじみ、デレクとパディの掛け合いが(当たり前ですが)なかったのが淋しかったです。
これからツアーが続きます。オッサンは仕事の都合でいけなかったカミサンのために来週土曜日の八王子にも行こうと思っていますが、お近くの会場があれば、ぜひ行ってみてください。(注:オッサン、プランクトンの回し者ではありません・・・・・・・・・)
デレク・ベルも、ショーン・キーンも、そしてついこの間、向こうの世に旅立ったというマーティン・フェイもステージにはいません。
それでもいつものとおり、パディのアイルランド語のアナウンスからステージは開幕。アイリッシュハープのトリーナ・マーシャル、ギターはユニオンステーションでも活躍していたジェフ・ホワイト、フィドルにはカナダ出身のジョン・ピラツキ(弟?のネイサンはダンスで登場)とディニー・リチャードソン(この人のフィドルはよかったです。ナッシュビル出身だそうですが、ブルーノートの使い方が抜群でした)というメンバーがメイン。
最初から最後まで、多彩なゲストとともに(これもチーフタンズならではですが、ちょっと今回は本人たちの演奏が少なかったのが残念)相変わらずの楽しいコンサートでした。でも・・・フィナーレのおなじみ、デレクとパディの掛け合いが(当たり前ですが)なかったのが淋しかったです。
これからツアーが続きます。オッサンは仕事の都合でいけなかったカミサンのために来週土曜日の八王子にも行こうと思っていますが、お近くの会場があれば、ぜひ行ってみてください。(注:オッサン、プランクトンの回し者ではありません・・・・・・・・・)
2012年11月03日
<2日目> Rusk , TX を出て東テキサスを迷走
2012年 9月16日 雨のち晴
<=1日目 その2
Rusk での宿は "Weston Inn & Suites" 、今回は予定の決まっていた初日と最終日だけエクスペディアで予約。 ここは一泊(日本円で)5000円ちょいだったが、なかなかいい感じの宿だった。
翌朝は雨音に起こされる。昨日ダラスに着いたときもそうだったが、かなり本格的な降りだ。
チェックアウトの際に傘が買える店を聞いた。 "Brookshire Brothers" という、この後もちょっとした町では必ず見つけたチェーンストア。ついでに果物なども調達。<傘は1本$6.75(税別)でした。>
Rusk は人口5000人ほどだが、このあたりの中心地。郡裁判所があるスクエアが町の真ん中にあって、その周りにいくつかの商店が並んでいる。
典型的な "WASP の町" って感じだ。 この日は日曜日だったので教会の前には多くの人たちがいた。
そしてこの町のもうひとつのシンボルがこの "Footbridge" ・・・
要するに公園の端に長ーいボードウォークのようなものがあるだけなのだが、この案内板にあるようにこの日の雨はまさにグッド・タイミングだったといえるのかもしれない。
確かに公園からこの木の橋のスロープを登りきると先ほどのスクエアに出た。
さて、いつものことだがこの先の予定はない。
とりあえず昔もらった "Deep East Texas" という、小冊子を頼りにその「深東部」へと南下することにする。
以前ここでガソリンを入れた覚えのある Alto を通過、Lufkin の林業博物館へ向かう。
だが残念なことにミュージアムそのものは開いていない。(あとでよく見たら日曜日は午後だけオープンということだった) ただ、周りはピクニックエリアのようになっていて林の中にいろいろな機械が展示されている。
ここへ来る間の道もそうだったがこの辺りは緑豊かなところで林業が産業の中心だった。そしてその木材を運搬するための鉄道も・・・・
ここにもボールドウィン型の機関車が展示されていた。
雨が降ったりやんだりする中、引き続き南へと向かう。
昼前に着いたのは Livingston という町。
ここでは The Polk County Memorial Musium っていう処へ。
ここも日曜日ということで閉館だったが落ち着いた雰囲気の建物があり、中庭には入れた。
博物館の裏手には、先ほどと同じ W.T.Carter & Bro. のSLが保存されていた。
ここでこの先どうしようかと思案。
地図を見るとこの町の西にダム湖があるので、そちらのほうへ行ってみることにした。
Livingston から西へ向かう。町を出ると再び木々の間の道となる。時々開けた場所に出ると農産物直売所みたいなところもあるがほとんど何もないカントリー・ロードだ。 Onalaska という、日本読みするとちょっと臭そうな町(笑)で左折して長い橋で湖を渡る。対岸の村は Point Blank という。この辺でどこか泊まれるところでもあれば今日はそこにしてしまおうとも考えていたのだが、それどころかレストランさえ見当たらない小さな集落だ。(郵便局はありましたが・・・)
でも湖岸に出られる道があったので行ってみた。
小さな船着場があって、湖が一望できる。
午後のひととき、ここでちょっとのんびりする。
でももう1時過ぎ、腹も減ってきた。とにかく飯にありつけるところまで行こうと先を目指す。 今度は湖の南側を東へ戻る形で進んでいく。人造湖の湖岸だから道はかなりの高台に付けられている。途中滞在型っぽいリゾートへの入り口などが湖に向かっていくつかあったが、そんな場所には縁がない。そのまますがすがしい高原の道を進んでいくと Coldspring という町。
ここでいかにも、という感じのダイナーがあったので遅い昼食とした。僕らが入るのと入れ替わりに2組のお客さんたちが出て行って、お店には我々だけ。とりあえず車を止めた窓際の席につく。僕はキャットフィッシュサンドを相方はタコサラダを注文。まずはちょいとと、外へ出て車の前で一服、すると内側から窓をたたく音が…ウェイトレスのお姉さんが奥のほうを指差している。そちら側に喫煙席があるらしい。・・・と、いうそんな雰囲気も田舎の町らしい、いい感じ。
そしてどちらも見た目ほどしつこくはなく、さっぱりした味。
ここでお店の方に「この辺に泊まれるところある?」と聴くと、
「うん、一軒だけあるわ。ちょっと小さくてわかりにくいけど、この前の道を左に行って5分くらいのところ」
「(先ほどのガイドブックを見せながら)ところで、ここは近い?」 と、この町にあるコートハウスの場所を聞いた。
「ああ、ここはすぐそこ。でもここにきたら是非、Old jailhouse に行くべきよ。昔の首吊りの木もあるわ」
って、言われてその場所を聞き行ってみることに・・・・・
ここも建物の中は日曜には入れず....でも、刑務所や学校などの建物が昔のまま保存されていた。
これが「首吊りの木」なのか・・・それはわからなかったが、以前にもこういった場所には行ったことがある。(ダルトン兄弟の処刑場‐とか・・・)
きっとこういった場所もこの国を作ってきた人々の大切な歴史の一部なのだろう。
さて、結局この日の宿は再び先ほどの Livingston に戻って探すことに・・・・
どうせならダウンタウンに泊まってみたかったが、2軒ほどのモーテルはあるものの周りは荒んでいる状態でちょっと二の足を踏む。
昨夜過ごした Rusk のような町はアメリカでは珍しい。たいていは中心部に低所得者層が住みだすにつれ、中産階級の人たちは郊外に移ってしまう。同様にホテルやモーテルもフリーウェイ沿いに新しくできるものが主流になっていく。これはもうひとつ、交通手段が鉄道から自動車に替わっていったのが原因ではあるのだが・・・・
で、結局僕らもここに泊まることに・・・
隣にはちょっと小さめのアウトレットモールがあった。
そこではほとんどスペイン語が主流。ヒスパニックの家族連れが買い物をしていた。ホテルとそのモールの間の空き地にはヘリコプターが止まっていた。
農薬散布用のヘリだと思う。
ここで思い出したこと。最近こちらではいわゆる「遺伝子組み換え作物」が増えている。 それは特定の農薬に強い種を作ることによって雑草を刈る手間を省くためだ。だからこのようなヘリで絨毯爆撃のように農薬を散布すればいい。アメリカのような広い土地での農業だから可能なことだが、そういった遺伝子組み換え・・果たして人間の身体にどんな影響があるのか。そこにも問題は多い。日本での食品表示ではかなりゆるい規制で表示が義務付けられているが、その安全性についてはかなりの疑問が残る。また、最近はそういった除草剤に耐えうる「ウルトラ雑草」が増えてきているらしい。それも結局自然のなせる業だとは思うが・・・ちょっとこのヘリを見て考えてしまった。
なんてことを思いつつもまたしても激しい雨の中、夕飯は来る途中にあったケイジャン・レストランへ。
ここはまだルイジアナではないので「本格的」とはいえないまでも、そこそこおいしい夕食だった。
<9/16/2012 走行ルート>
Rusk-US89-Lufkin-US59-Livingston-US190-Point Blank-TX156-Coldspring-TX150-FA223-FA1968-US90-Livingston
3日目==>
2012年 9月16日 雨のち晴
<=1日目 その2
Rusk での宿は "Weston Inn & Suites" 、今回は予定の決まっていた初日と最終日だけエクスペディアで予約。 ここは一泊(日本円で)5000円ちょいだったが、なかなかいい感じの宿だった。
翌朝は雨音に起こされる。昨日ダラスに着いたときもそうだったが、かなり本格的な降りだ。
チェックアウトの際に傘が買える店を聞いた。 "Brookshire Brothers" という、この後もちょっとした町では必ず見つけたチェーンストア。ついでに果物なども調達。<傘は1本$6.75(税別)でした。>
Rusk は人口5000人ほどだが、このあたりの中心地。郡裁判所があるスクエアが町の真ん中にあって、その周りにいくつかの商店が並んでいる。
典型的な "WASP の町" って感じだ。 この日は日曜日だったので教会の前には多くの人たちがいた。
そしてこの町のもうひとつのシンボルがこの "Footbridge" ・・・
要するに公園の端に長ーいボードウォークのようなものがあるだけなのだが、この案内板にあるようにこの日の雨はまさにグッド・タイミングだったといえるのかもしれない。
確かに公園からこの木の橋のスロープを登りきると先ほどのスクエアに出た。
さて、いつものことだがこの先の予定はない。
とりあえず昔もらった "Deep East Texas" という、小冊子を頼りにその「深東部」へと南下することにする。
以前ここでガソリンを入れた覚えのある Alto を通過、Lufkin の林業博物館へ向かう。
だが残念なことにミュージアムそのものは開いていない。(あとでよく見たら日曜日は午後だけオープンということだった) ただ、周りはピクニックエリアのようになっていて林の中にいろいろな機械が展示されている。
ここへ来る間の道もそうだったがこの辺りは緑豊かなところで林業が産業の中心だった。そしてその木材を運搬するための鉄道も・・・・
ここにもボールドウィン型の機関車が展示されていた。
雨が降ったりやんだりする中、引き続き南へと向かう。
昼前に着いたのは Livingston という町。
ここでは The Polk County Memorial Musium っていう処へ。
ここも日曜日ということで閉館だったが落ち着いた雰囲気の建物があり、中庭には入れた。
博物館の裏手には、先ほどと同じ W.T.Carter & Bro. のSLが保存されていた。
ここでこの先どうしようかと思案。
地図を見るとこの町の西にダム湖があるので、そちらのほうへ行ってみることにした。
Livingston から西へ向かう。町を出ると再び木々の間の道となる。時々開けた場所に出ると農産物直売所みたいなところもあるがほとんど何もないカントリー・ロードだ。 Onalaska という、日本読みするとちょっと臭そうな町(笑)で左折して長い橋で湖を渡る。対岸の村は Point Blank という。この辺でどこか泊まれるところでもあれば今日はそこにしてしまおうとも考えていたのだが、それどころかレストランさえ見当たらない小さな集落だ。(郵便局はありましたが・・・)
でも湖岸に出られる道があったので行ってみた。
小さな船着場があって、湖が一望できる。
午後のひととき、ここでちょっとのんびりする。
でももう1時過ぎ、腹も減ってきた。とにかく飯にありつけるところまで行こうと先を目指す。 今度は湖の南側を東へ戻る形で進んでいく。人造湖の湖岸だから道はかなりの高台に付けられている。途中滞在型っぽいリゾートへの入り口などが湖に向かっていくつかあったが、そんな場所には縁がない。そのまますがすがしい高原の道を進んでいくと Coldspring という町。
ここでいかにも、という感じのダイナーがあったので遅い昼食とした。僕らが入るのと入れ替わりに2組のお客さんたちが出て行って、お店には我々だけ。とりあえず車を止めた窓際の席につく。僕はキャットフィッシュサンドを相方はタコサラダを注文。まずはちょいとと、外へ出て車の前で一服、すると内側から窓をたたく音が…ウェイトレスのお姉さんが奥のほうを指差している。そちら側に喫煙席があるらしい。・・・と、いうそんな雰囲気も田舎の町らしい、いい感じ。
そしてどちらも見た目ほどしつこくはなく、さっぱりした味。
ここでお店の方に「この辺に泊まれるところある?」と聴くと、
「うん、一軒だけあるわ。ちょっと小さくてわかりにくいけど、この前の道を左に行って5分くらいのところ」
「(先ほどのガイドブックを見せながら)ところで、ここは近い?」 と、この町にあるコートハウスの場所を聞いた。
「ああ、ここはすぐそこ。でもここにきたら是非、Old jailhouse に行くべきよ。昔の首吊りの木もあるわ」
って、言われてその場所を聞き行ってみることに・・・・・
ここも建物の中は日曜には入れず....でも、刑務所や学校などの建物が昔のまま保存されていた。
これが「首吊りの木」なのか・・・それはわからなかったが、以前にもこういった場所には行ったことがある。(ダルトン兄弟の処刑場‐とか・・・)
きっとこういった場所もこの国を作ってきた人々の大切な歴史の一部なのだろう。
さて、結局この日の宿は再び先ほどの Livingston に戻って探すことに・・・・
どうせならダウンタウンに泊まってみたかったが、2軒ほどのモーテルはあるものの周りは荒んでいる状態でちょっと二の足を踏む。
昨夜過ごした Rusk のような町はアメリカでは珍しい。たいていは中心部に低所得者層が住みだすにつれ、中産階級の人たちは郊外に移ってしまう。同様にホテルやモーテルもフリーウェイ沿いに新しくできるものが主流になっていく。これはもうひとつ、交通手段が鉄道から自動車に替わっていったのが原因ではあるのだが・・・・
で、結局僕らもここに泊まることに・・・
隣にはちょっと小さめのアウトレットモールがあった。
そこではほとんどスペイン語が主流。ヒスパニックの家族連れが買い物をしていた。ホテルとそのモールの間の空き地にはヘリコプターが止まっていた。
農薬散布用のヘリだと思う。
ここで思い出したこと。最近こちらではいわゆる「遺伝子組み換え作物」が増えている。 それは特定の農薬に強い種を作ることによって雑草を刈る手間を省くためだ。だからこのようなヘリで絨毯爆撃のように農薬を散布すればいい。アメリカのような広い土地での農業だから可能なことだが、そういった遺伝子組み換え・・果たして人間の身体にどんな影響があるのか。そこにも問題は多い。日本での食品表示ではかなりゆるい規制で表示が義務付けられているが、その安全性についてはかなりの疑問が残る。また、最近はそういった除草剤に耐えうる「ウルトラ雑草」が増えてきているらしい。それも結局自然のなせる業だとは思うが・・・ちょっとこのヘリを見て考えてしまった。
なんてことを思いつつもまたしても激しい雨の中、夕飯は来る途中にあったケイジャン・レストランへ。
ここはまだルイジアナではないので「本格的」とはいえないまでも、そこそこおいしい夕食だった。
<9/16/2012 走行ルート>
Rusk-US89-Lufkin-US59-Livingston-US190-Point Blank-TX156-Coldspring-TX150-FA223-FA1968-US90-Livingston
3日目==>
2012年11月01日
昨夜は月末ということもあって帰宅が遅くなり、外食にしました。
行ったのは地元の商店街にある店。オッサン、ここに30年住んでいますがもともとこの町の商店街が好きだったんです。東京の山の手と下町の雰囲気がブレンドされたような町です。
商店街のお店も最近はなかなか跡を継ぐのも大変なようなので、生鮮三品の店が少なくなってきているのが淋しいのですが、そのあとにいろいろな飲食店が出店してきています。チェーンの店はパスしつつ、時々はそんなお店にも顔を出したりしています。
きのうはちょっと和食にしたいと思い、長崎出身の店長がやっている店に行きました。
ここはそのおかげか、九州のおいしい食材が食べられるところ。
まずは先付け(写真は超ピンボケですが・・・・)、これだけでお銚子一合はいけてしまいます。
春雨とひき肉、生海苔そして(今年は初めて口にした)栗の甘露煮です。
で、壁に貼られたお勧めを見たら・・・アラカブの鍋があるーーじゃないですか!
それはぜひいただかなくては・・・と注文。その前に酢の物の盛り合わせ(胡瓜、帆立、秋刀魚の昆布締め、くらげ、菊そして若布)をいただきます。(鯨の竜田揚げは品切れで残念)
カセットコンロとともに鍋が登場。既にアラカブのアラで出汁がとられています。
うーん、いい香りですね。まずはそのアラを出して野菜とともに身を投入します。
当然その「アラ(頭の部分ですね)」も最初にしゃぶっちゃいます。
骨の周りだけあって味が濃いですね。
そして本番の鍋。
さっぱり、ぷりぷりしていているのに味が濃い!
ポン酢とスダチでいただきます。
その間にもお銚子お代わり・・・・・・(何本だったっけ?)
旨いものがあるとついついお酒がすすみます。
あとはちょっと脂っこいもんもほしいと「ジャガイモとベーコンのチーズ焼き」
これも、しつこくなくかつ塩加減も抜群でした。
そして最後は、雑炊。アラカブの出汁がたっぷりのそいつは絶品。
ご馳走様でした。
これで終わりかと思いきや・・・・
当たり前のように、最後はウチから1分とかからない場所にあるバー「H」へ。
オッサンはいつもの(ライベースの)「マンハッタン」、同居人は「マルガリータ」。家の近くにこんなバーがあるのはちょっといいかも・・・・
とても柔和なマスターといろいろなお話をしながら2012年の10月は過去になっていきました。
行ったのは地元の商店街にある店。オッサン、ここに30年住んでいますがもともとこの町の商店街が好きだったんです。東京の山の手と下町の雰囲気がブレンドされたような町です。
商店街のお店も最近はなかなか跡を継ぐのも大変なようなので、生鮮三品の店が少なくなってきているのが淋しいのですが、そのあとにいろいろな飲食店が出店してきています。チェーンの店はパスしつつ、時々はそんなお店にも顔を出したりしています。
きのうはちょっと和食にしたいと思い、長崎出身の店長がやっている店に行きました。
ここはそのおかげか、九州のおいしい食材が食べられるところ。
まずは先付け(写真は超ピンボケですが・・・・)、これだけでお銚子一合はいけてしまいます。
春雨とひき肉、生海苔そして(今年は初めて口にした)栗の甘露煮です。
で、壁に貼られたお勧めを見たら・・・アラカブの鍋があるーーじゃないですか!
それはぜひいただかなくては・・・と注文。その前に酢の物の盛り合わせ(胡瓜、帆立、秋刀魚の昆布締め、くらげ、菊そして若布)をいただきます。(鯨の竜田揚げは品切れで残念)
カセットコンロとともに鍋が登場。既にアラカブのアラで出汁がとられています。
うーん、いい香りですね。まずはそのアラを出して野菜とともに身を投入します。
当然その「アラ(頭の部分ですね)」も最初にしゃぶっちゃいます。
骨の周りだけあって味が濃いですね。
そして本番の鍋。
さっぱり、ぷりぷりしていているのに味が濃い!
ポン酢とスダチでいただきます。
その間にもお銚子お代わり・・・・・・(何本だったっけ?)
旨いものがあるとついついお酒がすすみます。
あとはちょっと脂っこいもんもほしいと「ジャガイモとベーコンのチーズ焼き」
これも、しつこくなくかつ塩加減も抜群でした。
そして最後は、雑炊。アラカブの出汁がたっぷりのそいつは絶品。
ご馳走様でした。
これで終わりかと思いきや・・・・
当たり前のように、最後はウチから1分とかからない場所にあるバー「H」へ。
オッサンはいつもの(ライベースの)「マンハッタン」、同居人は「マルガリータ」。家の近くにこんなバーがあるのはちょっといいかも・・・・
とても柔和なマスターといろいろなお話をしながら2012年の10月は過去になっていきました。