2012年04月

2012年04月20日

DSC_0039昨19日、34年振りのデヴィッド・ブロンバーグを聴きに行ってきました。
その34年前の久保講堂ではエレクトリック中心だったと記憶していますが、今回は一緒に来日するメンバーから見てもアコースティックなステージになりそう。今年はヨーマ・コーコネンやリチャード・トンプソンなど良質な生ギターのパフォーマンスが続いていてうれしい限りです。
D.Bromberg はジェリー・ジェフ・ウォーカーやディランのバックを経て71年ソロデビュー。当時、そのLPを擦り切れるほど聴きました。それから年に1枚ペースで アルバムをリリースしていましたが、その後しばらくは第一線からは遠ざかっていました(その間はフィドルの制作に携わっていたらしい)。

David たち、オープニングアクトの「ギンジン・オールスターズ」のあと7時半過ぎに登場。
もともと大男だったのですが、横もかなり成長?していてまるでプロレスラーのような体つき。でも笑うととても人懐っこい感じがします。
バンドは、ギターとマンドリンのMark Cosgrove(クラレンスバージョンのAlabama Jubilee 、かっこよかった)とフィドル&マンドリンの Nate Grower(まだ24歳だそうですが、なかなかの腕)との3人編成。

デヴィッドはそのギターは当然として、ヴォーカルも衰えを知らないいい声でした。
トムズのコンサートでは時々ヘルプ出演する日本人マンドリニスト君もよかったです。
フォーク、ブルーズ、ブルーグラスを中心にしたルーツミュージックを堪能させてくれた2時間弱でした。
本当に久しぶりにコアな、アメリカの良質の音楽を楽しめました。
個人的にはこのブログのタイトルにも借用した "Dark Hollow"  と ファーストアルバムの1曲目だった "Last Song for Shelby Jean " がよかったです。

数年ぶりに出会えた友人・知人も何人か・・・・それもこんな音楽を聴いてる良さかも・・・・

というわけで昨日は帰宅が深夜になり、(途中までは書いていたのですが)一日遅れの簡単な報告でした。

ということで、
終わるはずでしたが・・・・友人からのメールで悲報が・・・・

        「リヴォン・ヘルムが亡くなった」

ローリングストーン誌のサイトによれば、多くの友人たちに見守られニューヨークの病院で19日午後1時30分に逝去されたそうです。実は2日前に「もう、時間の問題」とのニュースが流れていたそうで「2日間頑張っていたのは皆が来るのを待っていたからだったよう」との言葉がありました。(見てみたら、夕刊に死亡記事が載っていました)

実は昨夜デヴィッドがリヴォンの曲をやる時、「彼は今ニューヨークの病院にいて・・・云々(そのあとは解らず)」って言っていたのですがこのことだったのですね。彼が喉頭がんと闘っているのは周知の事実だったんで、コンサートの後友人とそんな話をしていたばかりでした。

数多ある名曲、その中で僕はこの曲 
W.S.Walcott Medicine Show   が一番好きでした。(昨夜デヴィッドが歌ったのもこれでした) これは76年の画だそう (あー、今気づきましたが、これってくラストワルツのときだったんですね <4/21 加筆)....見ていると涙があふれてきます。

大好きだった The Band、もう二人だけになってしまいました。

                     ・・・・・合掌・・・・・



mackkmackk55 at 19:46│コメント(2)トラックバック(0) | 米(USA)

2012年04月17日

ラ・ガーディア空港を飛び立ってから3時間弱、朝が早かったのでほとんど眠っていたのだが気付いてみると眼下には緑の大地が広がっている。雨のニュー・ヨークから陽光降り注ぐ南部へやってきた。
いよいよカントリーミュージックファンだったら一度は行ってみたい聖地
・ナッシュビルに到着だ

<これは1987年6月、新婚旅行という名目で(後にも先にもない)2週間という長い休みをとり、初めてアメリカを旅した際の話。>

空港からはタクシーでオープリランド近くの "Holiday Inn" へ向かう。本当ならば "Opryland Hotel" に泊まりたいところだがそれは贅沢というもの。ちょっと離れてはいるがリーズナブルなモーテルにしたのだった。6月とはいえ、南部の気候はちょっと汗ばむほど。Nashvilleに来たという高揚感も手伝っていたのだろうか・・・

ホテルからオープリランドまでは無料(だったと思う・・・この辺、うろ覚え)のシャトルバス。
オープリランドというのはアメリカンミュージックのテーマパークみたいなもので、広い敷地にいわゆる遊園地の乗り物群といくつかのライブ・ステージなどがある。(この施設は20年後に再訪したときには巨大ショッピング・モール?に様変わりしていていた)

さてここで「オープリ」って何?って思っている方(がこのページに辿りつくことは少ないのかも・・ですが)のために便利なWiki君からの引用・・・・・
グランド・オール・オプリ(The Grand Ole Opry)とは、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュヴィルのラジオ局WSMの毎週土曜夜のカントリー・ミュージックの公開ライブ放送のラジオ番組であり、グレート・アメリカン・カントリー(GAC)ネットワークでTV放送化された番組。1925年11月28日からWSMで放送開始され、現在でも続いているアメリカ最古の番組である。
もともとは週末に村の皆でバーンダンス(文字通りでは「納屋での踊り」ですが、実際はいろいろなところで行われていたよう)をラジオで放送したのが始まりみたいなのだが、ここに出ることがカントリーミュージシャンにとってはひとつのステイタスを得る場になったのだという。(日本での--年に1回ですが--紅白みたいなもの?)

実はこのおっさん、中学時代から土曜の夜8時は(全員集合ではなく)FENでのオープリ中継を楽しみにしていた。当然録音ものなのだが(あとで知ったのだが、この番組に限らず巨大なレコード盤で送られて来ていたらしい)、それでもわくわくとして聴いていた覚えがある。


DSC_0030Nashville1987 (10)

さて、とりあえずチケット購入のため窓口へ。でも残っているのは「立ち席券」だけだという。それも然り。徒手空拳でここまで来たのだから入場できるだけでもありがたい。(そんな経験から2回目は前日に電話予約==これは結構そのオペレータ嬢との会話が楽しかったのだが==)

で、開演まNashville1987 (1)での時間をオープリランドで過ごすことにする。
  (<==この時は一瞬のシャワー)
Nashville1987 (7)

テーマパークのステージとはいえ、相当レベルは高い。アメリカの音楽の層の厚さをNashville1987 (5)感じてしまった。

Nashville1987 (8)いくつかあるステージだがNashville1987 (18)、ブルーグラスのヤツもあった。
で、そこでマンドリンを弾いていたのが、ロイ・エイカフ&スモーキン・マウンテンボーイズのギタリスト、チャーリー・コリンズだった。
演奏終了後、僕らに「どこから来たの?」などと話かけてくれた。
「今日、オープリ行くの?」Nashville1987 (3)
「はい・・・・」
Nashville1987 (4)「じゃあ、その時またね」
って(かなりはしょってはいるが)感じで本当に気さくに話してくれて、最後は一緒に写真まで撮らせていただいた。

  だが、今回彼のことを調べて知ったのだが今年の1月になくなっていたとのこと。
   享年78歳だった・・・ということは、僕がお会いしたときは今のオッサンとほぼ近い歳だったわけだ。
   ネットで検索したこちらの記事によれば、

   オープリで演奏した後自宅でフィドルを弾いていて倒れたとのことらしい。
   最後の最後まで音楽とともの人生だったんだなぁ・・・と改めて思ってしまう。
        ご冥福をお祈りします。

そして、いよいよ本番のオープリ。
係りのオバサンお姉さんに連れられて2階の通路へ・・・

<それでも演奏が始まってまもなく、その方が空いている席へ誘導してくれてゆっくり座ってみることができたのは有難い。>
Nashville1987 (12)
当時は結構日本にもカントリーの歌手は来ていたのだが、やはり本場で聞くのは違う。それまでラジオでしか聴けなかった音を生で聴けるだけでもうアドレナリン満開状態・・・・グランパ・ジョーンズやロイ・ドラスキーは初めてだし、無論(当時)若手の面々も・・・。
そして出てきたのがスキーター・デイビス、オープリで聞く "End of the World" はまた違うように聞こえた。Nashville1987 (13)

もちろん、ロイ・エイカフもよかった。

DSC_0031←もう鬼籍に入られた方が多くて悲しくなります。

でも、何よりびっくりしたのがこの日オープリデビューという "Desart Rose Band" 。
まさか、ここでクリス・ヒルマンの声が聴けるとは・・・・・曲はその頃ヒットしていた "Ashes of Love"……DSC_0033
J.D.のスティールがカッコイイ。(肝心要を忘れてました。ハーブ・ペダースンのコーラス!! それはもう、素晴らしかったですね・・・・数年前曙橋の「バックインタウン」でも聴けました)
オープリにこれただけでも満足だったが、まさか彼らに会えるとは・・・ということでほとんど舞い上がり状態の25年前のオッサン記、最後はそのデザートローズバンド。



                            訪問日=1987.6.12                                <Hobo in the past  #001>
 
ブログを始めた動機は前にも書いたかもしれませんが、自分のための備忘録としてでした。
当初はホームページを立ち上げようと思ってHTMLの本なんかを買ってきてチョコチョコと練習をやっていたのですが、友人に薦められてよりとっつきやすい? ブログにしました。そして過去の記録こそHPに・・と思っていましたが<現在でも週一更新すらままならないようでは>と悟り、こちらに少しずつ書いてい くことにしました・・・・。



mackkmackk55 at 06:32│コメント(2)トラックバック(0) | 米(USA)

2012年04月14日

木嶋被告に死刑という判決が下された。
  (確かにマスコミの情報でみれば僕も99.9%、犯人だと思える。 けれど状況証拠だけで判断していいのか、また物証と状況証拠の違いって何なのだろうか・・とも思う)
  おそらく今回選ばれた裁判員の方々も相当悩み、逡巡したことだろう。
  
  具体的な証拠が何もないなか、どのように判断するかはその時点での常識や世の中の流れに左右されるのではないか・・・うーーん、人が人を裁くのは難しいし、また危険でもある。

  そういえば数年前、検察審査員というのに選ばれそうになったことがある。最初に通知が来たときは何のことやらさっぱり分からなかった。でもその後2度ほど通知が来て、最後は東京地裁で説明会?をするということで行ってみた。検察が作った(かどうかは?)ビデオ画像を見て少しはわかったつもりになったが、「これってホントに被害者のための制度?」なのか疑問に思った。

 もちろんそういう仕組みは必要だろう。

 だが、もうじき判決が出る小沢一郎氏の件のようになんだかわけも解らないような流れになるのも問題だ。
 
 昔から人間社会では何らかのルールがあったのだとは思う。
 「村八分」や「魔女狩り」もその時点でそのコミュニティでは仕方がなかったか、道理にかなった処置だったんだろう。

 だから、難しい。

 社会のルールと人を裁くことの重さ、まるで天秤のような関係。弁護士のバッジもそれを象徴しているのか・・・・・・


mackkmackk55 at 11:07│コメント(0)トラックバック(0) │