2012年03月

2012年03月31日

相変わらず花粉はつらいが楽しい春がやってきた。
センバツでの健大高崎の戦いぶり(本当にその走塁は素晴らしい)も見事だが、いよいよプロ野球も開幕した。
我がマリーンズは苦手マー君を攻略、幸先のよいスタートをきった。
井口・ホワイトセルの3,4番の活躍。オープン戦絶好調だった根元のタイムリーも見事だった。
成瀬は打たれながらも丁寧なピッチングで7回途中まで1失点とエースらしい働きを見せてくれたし、後を受けたルーキー益田も開幕試合での初登板という緊張の中でヒットは打たれたがきちんと仕事をしてくれた。
逆に心配だったのが薮田。決めのチェンジアップ、フォークの制球がままならない。
まあ、まだ1試合目。そんなときもあるだろう。

ところで・・・だが
  昨日の朝刊を見たとき、榎本まず目に飛び込んできたのは「榎本喜八さん逝去」の報だった。安打製造機と呼ばれた現役時代、東京球場で何度もその素晴らしいバッティングを見たものにとってはまた悲しい報せだ。

 見た目の身体は大きくないがバッターボックスに立つ姿はとても頼もしかった。ランナーが出るといつも「榎本まで回してくれ」と思っていた。

 66年(ちょうど僕が東京球場へ通いだしたころ)には2度目の首位打者、このときの .351 というのは素晴らしい。当時のレベルから考えると今の感覚ではほぼ4割に近いのではないかと思う。

 最後の1年は西鉄でプレイした(あのころはいまほどトレードが一般的ではなかったので、相手チームにいる榎本が不思議に思えてしまった)があまり出番はなくそのまま引退。

 そののち、沢木耕太郎氏の「敗れざる者たち」で引退後の彼のことを知った。まだまだかなりハードなトレイニング(いや修行といったほうがいいのかもですが)を続けていることを。「丹田」という言葉もそこで初めて知った。その書の中でも奇行や後輩の選手たちの「何を言っているのかわからない」発言なども取り榎本2上げられていたと記憶しているが、そんなこととはまったく関係なく、当時僕も住んでいた練馬区でもくもくと修行する榎本さんに親しみを感じてしまった。
 でも数年前だったか・・に出版された松井浩氏の「打撃の神様」の中、かなり丸くなったみたいな榎本さんのことを読んで、「歳を重ねていい余生(と言っては失礼かもしれませんが)を過ごしていらっしゃるのだなあ」と、少し安心したのもついこの前のことのように思える。

 練馬から後は中野に遷ったそうで、それも自分と一緒だったので、ちょっと不思議な縁を感じてしまった。

 もちろんその記録は素晴らしいものであったけれど、それ以上に凄い自分を貫いた人だった。

   ご冥福をお祈りいたします。 
   合掌
  



mackkmackk55 at 07:49│コメント(4)トラックバック(0) │

2012年03月21日

ひどい花粉症のオッサン、この時期はあまり「放浪」したくない。
 (でも、温泉には行きたいのだが・・・・ジレンマだ)

 ということとは全く関係なく、18日の日曜日。 スペイン語クラス中のオッサンにメール着信。

 ”オールアワーパスとタイムス、クラプトンとリックダンゴの共作、を達郎棚つかでやった。バンドラストワルツ、2002年発売完全盤、未発表曲らしい。まだサンソンHPでかくにんするけどクラプトンゲスト、達郎は「いやぁバンドは演奏上手いですね」とべた褒め!ウチにある?

 だと。
 「と」がひらがなになっている(だがよく考えてみると表記的には偶然にせよこちらの方が本来の発音に近いかも)が、懐かしいタイトル。無論かのCDは家にあるし、クラプトンのオリジナルLP ”No Reason To Cry" も
....クラプトンにディラン&ザ・バンドのほか、カール・レイドルはじめいつものクラプトンのバックが集結した名盤だ。

 クラス後、恒例のサイゼリアでの反省?会、この日はちょっと寂しく4人だけの参加。それでもいつもの「マグナム」を軽く飲み干し通常よりちょっと早い5時前に解散、こちらもいつも通り「キムチ広場」でキュウリ、大根、白菜のキムチ3種を「南大門市場」で冷麺を購入して帰宅する。

 昼間からポツリポツリ来ていた雨が家の近くで本格化。「早く帰って正解!」とカミサンリクのコロナ2本と缶酎ハイを買って家へ到着。(だがその飲み物の注文主は布団の中・・・まあ、いいでしょう)
 
krobe  「オールアワーパスとタイムズ」も聴きたかったが、この日は前日録画した「黒部の太陽nw_090305_1_1」を見る予定だったのでそちらを優先。オッサンは子供のころ映画館で見たのだが、小学生だった当時は「人間が自然に勝った!」と単純な感想をもった覚えがある(今思えば、とんでもない感覚。だが当時はそんな風潮だった)。そして数年前には原作も読んでいたので楽しみだった。

 さて、もやしナムルを作りキムチに冷麺そしてザーサイ+ラー油載せ冷や奴という、真夏のメニュー?で夕食兼プチ上映会。「黒部~」はオリジナルより1時間くらい短い特別編集版だがそれでも2時間半、劇場より迫力に欠けるのは仕方がないし、どうしても原作を読んでからだと映画はちょっと物足りない気もしてしまう。だが何度も行った黒部の山の映像(そして舞台となった、扇沢からの関電トンネル)は懐かしくも新鮮な感覚だった。

 翌月曜日は通常勤務(当たり前だ)だが、この日もイベントあり。
 Don Felder @ Billboard Tokyo だ。最初はパスしようと思っていたのだがカミサンが友人Y子さんからのお誘いで行くというので、お邪魔虫することにした。で、家の山の神の勤務時間に合わせて取ってもらったセカンドステージ。最初は8時くらいまで仕事してから行こうかと思っていた。のだが、夕方携帯が鳴り「今日暇?」と悪魔(いやいや天使です)のお誘い。「おー、8時までいいよー」と軽く飲んでから行くことに。と、焼酎4杯ほど飲んでから六本木へ・・・

 Don-Felder-DblNeck-2_700会場に入ってまずびっくりしたのが観客の多さ、ほぼ満席状態だ。・・・やはりEaglesの威光恐るべしだね・・・考えてみれば彼がイーグルスとして日本に来たのは ”Hotel California” ツアーの一回だけ?か・・・最初の時にはまだいなかったし、その後ももういなかったのではないだろうか。(ソロ20120209_202737では他にもあるのかもですが)

 Hotel California で始まり、アンコールのTake It Easy まで、ほとんどイーグルズの曲ばかり。しかもほぼコピーバンド状態だった。 まあ、それはそれなりに楽しめましたが・・・・・・(他は、スティヴィー・レイ・ボーンのもろテキサス・ロックと自身のアコースティックな新曲。でもこの2曲がよかった。そちら方面ももう少しやってもよかったのでは・・・と思ったオッサンでした)

 終演後はいつも行く「ブリキ屋」さんで飲みなおし。どうせ終電には間に合いっこないとは思っていたが気が付いたら2時前だった。当然タクシーでの帰宅、だが最後に我が家から歩いて30秒の本格的バー「Honesty」へ。
 こうなったらもう「勢い」ですね。ここは北海道出身のマスター一人でやっている。オッサンが家の鍵を忘れて仕方なく時間つぶしではいったのが最初。日本全国で修行してきたご主人といろいろ酒にまつわる話をさせてもらったのだ。その時、僕の好きなライで「マンハッタン」を作ってもらったのだが、以来いつもそいつを出してくれる。

 そして20日は彼岸の中日。人並みに墓参りに出かけた。この日はとても暖かくてそれはよかったのだが、その分花粉もひどい。鼻水すすりながらお参り、そして帰りには(なぜか最近墓参の後の定番?)高田馬場の「チャイカ」で遅い昼食。20120320_14185720120320_14275520120320_14341420120320_143717 今回はシンプルにボルシチ・つぼ焼き・ピロシキ+ロシアンティーのセット(1050円)。
 当然?グラスビールのあとはワインも注文。

  

 さて、いい気分になって帰宅。やっと件の”バンド with クラプトン”のCDを聴く。
 DSC_0143All Our Past TimesはこいつのDisc 2の2曲目だが1曲目Rag Mama Ragから聴いていった。クラプトンのあとはNorthen Lights..からの曲が続くがその後がまたN.Young,J.Mitchell,N.Daiamond といったカナダコーナー?
 (これまで何回も聴いているのに)引きずり込まれるまま聴いていったら・・・・昼間からの酒のせいか、ここ何日の不摂生のせいか眠気が襲ってきた。
 で、結局そのままダウン。クラプトンのオリジナルは聴かないまま・・・不覚となった。

 思えばこの3日間、あきれるような Our Past Time (ちょい意味違うか)。ひどい生活だったか・・・早く山に復帰しなけりゃやばいぜ、オッサン・・・という(内なる)声も聞こえてくるがその前に花粉がおとなしくなってくれないと…と反省ともいいわけとも付かないことを考えながら眠りに入るオッサンであった。

 で、最後にこいつです。

 



mackkmackk55 at 21:24│コメント(2)トラックバック(0) | 

2012年03月12日

besshoueda (70) 
 そして、いよいよ夕食の時間。 基本的に花屋さんは部屋食だ。
 最近、夕食は食事処で供される宿が増えてきた(おそらくそういう趣向の宿泊客が増えてきているのだと思う)。もちろんそれはそれなりにいい面もあるのだが、酒飲みのオッサンにとっては部屋のほうが気楽でいい。
   <食事処ではだいたい最後までいる客になるし、たいていは禁煙だ!>

  besshoueda (50) 我々の部屋についてくれた係りの方はまだあどけない?娘さん。
  胸の名札に「見習い」と書いてある。
  ちょっと心配ではあったが、これまでもそういった場面には何度か出くわしている。besshoueda (67)
  だが、食器ひとつ出すのにもガチガチ音をたてるくらい手が震えている。
 「緊張しないでいいから」 って言っても 「はぃぃ…」 って感じで
 「なんか今日、一番緊張してる。  あぁ 手が思うように動かないー!!」

と、なぜかかなりビビッている。おまけに
 「あー、こんなの初めてぇぇ。どうしよう・・・」と泣き出しそう。
カミサンが料理のことを聞くと(その間にもいろいろあったのだが)、もうパニック状態に・・・ついには涙までこぼれだしてしまった。

 ここでウチの山ノ神が噴火!!!

 「ちょっと、上の方呼んできて」
だと。

besshoueda (52)  こちとら、そんなことはどうでもいいから、早く一杯やりながらつまみたかったのだが・・・(だいたいお品書きも出てるんだしいいじゃねぇ・・・と思うのだが)こういうときは何か言うと火に油を注ぐのは長年の経験から身についている。

 で、上の方がみえていろいろ釈明。
 「そんなんじゃだめ、ここの一番偉い人を呼んできなさい!!」

  おおー、そこまできたか、こりゃあ長引くな。

  ってのは、
    <これまで花屋さんの接客にとても満足していたので、ゆっくりしようと思ってここに来たのに・・・・・>
といったところでしょう。 昨年末に母親が亡くなったこともありちょっと情緒不安定になっていたのかも・・・おまけにここ別所温泉には数年前の年末年始、(この宿は取れなかったが)母親と一緒に来ていたのでいろいろな思いが交錯した気持ちもあったのだろう・・・・
 (そういうこともまぁしかたない?)のかとも思う。支配人のような方がみえてやっと矛先がおさまった。

 でも後でその見習いの彼女(だったかその上の方だったかは定かではないが)に、(固辞する相手に無理やり?)心づけを渡していたので、少しは言いすぎたと思ったのかもしれない。

 
 この先の話は今回のことではなく一般的な話として。誰でも「見習い」時代を通過するのは当たり前。小売の店でも見習い中という名札をつけているのをよくみかけるが、それって「お手柔らかに」の免罪符なのか・・・まあ客としてはある程度は仕方ないと思える。多分、欧米でもそんな in training  てのはみたことはある。でも、それはそれ。どんな立場であっても、誰もがその企業の顔であることが当たり前なのだからきちんと仕事をこなして普通のこと。まあそのあたりをひたすら許す風潮もまた日本のよさでもあるのかもしれないし、また悪く言えば馴れ合い社会の欠点なのかもしれない。(いい加減を旨とするオッサンとしては前者でもいいのではとおもうのだが・・・?)

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  (↑ 食事はもちろんおいしかったですよ)

besshoueda (57)besshoueda (58)besshoueda (60)  そんなこともあったが、翌朝も温泉を満喫。
 11時チェックアウトなので、それこそゆったり過ごす。

  帰りには昨夜の上司Hさん(女性・多分20代後半だと思うが、学生時代にアルバイトでここに来てそのまま社員になったという、とても前向きな姿勢の方。)とS総務部長さんが見送りに。
besshoueda (72) お土産を渡されるが、もちろんそれは固辞。

 それでも旅館経営?に関するちょこっとしたお話を伺って宿を辞した。
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 前回も書いたがここ別所温泉はもう何度も来ているので、とりあえず北向besshoueda (77)観音に詣でた(喪中ゆえ、脇から行っただけ)のみで駅へと向かう。
  
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  上田に戻って、ぜひ行きたかったのが柳町だ。
  旧北国街道の石畳敷きの町並みが美しい(その詳細はこちらでどうぞ)。besshoueda (98)



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  もう4回目になるが、ここの味噌蔵「菱屋」さんの味噌を調達したかったのだ。
 
 
             <真田の地に「菱」の屋号というからにはおそらく武田の血が流れているに違いない。>
 この時期にここでしか購入できない「寒仕込」がいい。普通の味噌より麹の香りが強いのにくせがない、さっぱりした味とまろやかな風味が寒い冬にはとてもよく合うのだ。またここの奥様が絵画をやっていらして、数年前にやはり絵をやっている義母とその話をしていたのを思い出す。この日は娘さんが応対してくれたが、こちらの奥さんは今もお元気だそう。いつまでも元気に絵筆を手にしていてほしいと思う。
besshoueda (103)besshoueda (104)besshoueda (106)
 昔ながらの井戸や袖卯建の街並みを見た後、腹減ったぁ!と昔の蔵を使ったレストラン「蔵屋」さんで昼食。besshoueda (107)  ランチのメニューは限られてはいるが、この蔵の中でいつも食前酒に頂くシェリーはおいしい。
 besshoueda (108) ご夫婦で営んでいる店。観光客だけではなく地元の方にも愛されているよう。いつも1時過ぎに行くのでたいてい品数が限られてしまうが、その味もさることながらこの店の雰囲気besshoueda (117)がいbesshoueda (116)い。このごろはどの町にも郷besshoueda (115)土料理だけではなく、それぞれの料理人が町に馴染besshoueda (114)みその土地にあった店をやっている。それもまた、いい。
   この日頂いたランチはオムライスとドリア。それぞれにサラダとスープがつく。シェリーのあとは赤ワインでくつbesshoueda (110)ろぐオッサンであった。

  
 besshoueda (121)満腹になって駅へと戻る。
 今回はいつものメインストリートではなく裏道を歩いた。besshoueda (123)besshoueda (124)
 
 かなり寂れている?裏町はそれでも夜にはどんな風だろうと思わせる町並み。


besshoueda (127) besshoueda (125)こんな感じの飲み屋とか、「ボロ宿紀行」の方が好きそうな(もしかしてもう、泊まっているかも)宿もあり。

 裏道から大通りへ出る路地にもすき焼き割烹みたいな建物(ただこちらはもう、営業はしていなさそう・・・)があり、なにか町の歴史を感じさせてくれた。
 besshoueda (129)通りに出る角に肉屋があった。そこを覗いたら「塩茹で豚ばら肉」(=>こいつ、結構いけました)というものがあった。でそいつを購入した際、
 「隣のすき焼き屋さんもこちらでやっているんですか?」 と聴いた。
 「あー、もう20年以上前に廃業しました。金もかかるのでそのままにしてますけどね」
とのお話。多分、このあたりでまだ養蚕が盛んだったころには相当の賑わいだったのだろう。
 (と、思わせる建物が残っているのはうれしい)

 besshoueda (131)もうひとつ、上田ではいつも覗いてみる店がこの"Arkansas"、最初に来たときがちょうど米国のかの州へ行った後だったので、ついつい立ち寄った。その時に店名の由来を聞いたのだが、あまり意味はなさそう、なんとなくつけたみたいだった。その際にこ こでいいシャツを見つけて買ったので、以後行くたびに覗いてはいる。でもその後、実はあまりそそられるものはなかったのだが、今回はあったかそうなライナー付きコートがあったのでそいつを購入。先ほどの蔵屋さんといい、この店といい地域に根ざした店がどんどん新しい風を運んできているのは旅行者にとっても楽しいものだ。

 さて、恒例の「最後の一浴」。
 これもまた前回も入らせていただいた、上田温泉「祥園」さんの別館「寿久庵」で。
besshoueda (133)  こちらは17度の冷鉱泉の沸かし湯。でも意外にこういった、沸かし湯のほうが下手な温泉よりPC260210もよかったりする。ここは、舟の形の湯船と長方形の湯船があって(多分)日によって男女入れ替えで使っているよう。
  またしても湯気の中で写真はだめですが、最後に駅前の湯(歩いても5分くらい)でのんびり旅の疲れを癒して帰るオッサンだった。
                <旅した日=2012年1月21-22日>


mackkmackk55 at 21:16│コメント(2)トラックバック(0) | 

2012年03月08日


besshoueda (25)  毎年1月は北陸行きと決まっていたのだが、「十右衛門」が休業してからそれもなくなった。 そして、いろいろ大変だった年末年始を過ぎた頃、カミサンがつぶやいた。
  「あー、花屋でゆったりしたい~」
  そう、のんびりするにはいいかもとオッサンも異存なし。
  まずは宿の予約だ。
  往復の交通費も考えて最近よく使っている高速バス(温泉直通がある)のことも頭をよぎったのだが、とりあえずはお手軽なJRの宿泊+往復新幹線のパックで空きがあるか聞いてみる・・・と、「空きあり」だったのでそいつで行くことにした。

 besshoueda (4)上田駅には昼過ぎに到着、まずは駅前の蕎麦屋「よろづや」へ。
 前回来た際にここで頂いた馬刺しが旨かったのだ。(もちろん蕎麦も)
 というわけで早速、熱燗とそいつを注文する。besshoueda (5)
 
 だが!「今はないんですよ」だって。
 聴くと例の生肉騒動のあとから、仕入が困難になったというのだ。
 「冷凍ものはあるんですが、それは使いたくないので」
  仕方なく、馬肉煮を頼む。(まあ、それなりに美味しかったが、やはり生の馬刺が食いたかった・・・・・・)
  〆は三色蕎麦。とろろ、なめこ、くるみの3つのつゆで頂く。

besshoueda (8)   上田からは元東急の1000系電車で別所温泉まで。この車両は地下鉄日比谷線への乗り入れ用車両besshoueda (9)だった。日比谷線といえば、同県内の長野電鉄にも営団3000系が走っている(須坂で南千住や中目黒の行先表示の車両を見たのはいつだったか)し、あちらには同じ元東急の8500系も走っていたっけ。そういえば屋代線も廃線とのこと。寂しい。
 市内にも雪が残っていたがちょっと走った塩田平の田園地帯は雪で覆われていた。この地方に積もるほどの雪が降るのは最近ではあまりないことだそう。やはり、今年は雪の多い年なんだろう。

besshoueda (18) 旅館「花屋」は大正時代からの老舗宿、なによりその建物が素晴らしい。6500坪の広い敷地には中庭を囲む形で木造建築が並び、それぞれが渡り廊下でつながれている。
  besshoueda (21)玄関をくぐるとそこは洋風の応接間、ゆったりしたソファbesshoueda (19)からは中庭が見渡せるbesshoueda (31)。そして随所に家紋である「桜」があしらわれている。

 
  besshoueda (32)besshoueda (33)besshoueda (34)besshoueda (41)
 
 


besshoueda (43)
   館内の照明はすべて白熱灯であったかい光があふれている。
 雪をかぶった中庭を眺めつつ、部屋へと案内された。 besshoueda (48)
besshoueda (38)besshoueda (46)
  
  
  

   別所温泉へは日帰りも含めるともう7回目くらいか。
 今日は早めの到着なので、たっぷり時間があるのだが、外歩きはせずゆっくり宿で過ごすことにする。
 
 で、まずはお湯へ・・・・
 ここには3種類の浴室がある。1階に大理石風呂、2階には展望風呂(この二つは今は時間で男女交代制)そして男女別の露天岩風呂だ。

 まずは1階の風呂へ。
 ここはほぼ別所温泉_A016正方形の(4-5人くらいでいっぱいの)小さな湯船がひとつの浴室とそれより一回り大きな長方形の湯船と10人くらい浸かれそうな大きな湯船の2つがある浴室に分かれている。脱衣所もそれぞれにあり、確か最初に来たときは間に壁か仕切りのようなものがあってそれぞれ男女別になっていたと記憶している。(その代わり2階の風呂は通常時混浴だったような・・)
 その時一番印象に残ったのが、この一番小さな湯船。
  なぜだかこの風呂だけものすごい湯花があって、湯感もとっても新鮮だったのだ。besshoueda (17)別所温泉_A019besshoueda (14)besshoueda (16) (湯気が凄かったので写真は×ですが)
  この日は早い到着ということもあって、それぞれの湯船をほぼ独り占め状態で満喫。
 besshoueda (63)besshoueda (61)
besshoueda (64)  もちろん露天も堪能。
  午後のひと時を風呂→部屋→風呂→部屋とのんびりすごさせてもらった。20120121_145831_40



 そして、いよいよ夕食の時間だ。  (この先はその2へと、先送り・・・


mackkmackk55 at 22:34│コメント(0)トラックバック(0) |