2012年01月
2012年01月24日
<2日目> 朝日岳(1,896m)から茶臼岳(1,915m)へ
2011年10月16日 雨のち曇り
三斗小屋温泉大黒屋7:50-8:50隠居倉9:00-熊見曽根(9:30)-9:53朝日岳10:00-峰の茶屋跡(10:45)-11:25茶臼岳11:45-12:20ロープウェイ山頂駅
いやな予感が的中。翌日も朝から雨だった。
でもこればかりは仕方がない。
とりあえずは隠居倉を目指して出発する。
距離は短いのに三斗小屋と隠居倉の標高差は400m以上ある。起きたばかりの体と頭には結構つらい。
さて、「煙草屋」の前を通り階段を上がっていくと「温泉神社」がある。数年前に建替えられた立派な社殿だ。
ダケカンバとミヤマカエデの間を登っていくと、温泉の源泉がある。
源泉はどこでもそうだが、ぼこぼこと湧くさまは本当に地球が息をしているよう。もちろんここで目にできるのはちょっとした地中からの出口だけ、その奥には想像もできないほどのエネルギーがあふれているのだろう。地震はさすがに御免蒙りたいが、その大地の運動がなければきっと人は生きていけないに違いない。あらためて我々人類も自然の一部であり、そこで生かされているのだと思ってしまう。
このあたりの遠景、晴れていれば絶妙の彩なのだが(笹と楓とダケカンバの織り成す様がまるでタペストリーのようなのだ)この日はあいにくの雨だったのが残念・・・・・
源泉を過ぎるときつい登りが待っている。
ここから尾根筋までの約30分が、この日の正念場だ。
最後の踏ん張りどころを越えて尾根に出ると・・・ここも晴れていれば絶景なのだけれど・・・やはり霧の中。
それでも、周りの植物を愛でながら隠居倉から熊見曽根への尾根道を歩く。
ここからの紅葉の眺めも楽しみにしていたのだが、いかんせん天候が・・・・
「昨日は向こうから見えていたのにねぇ」
「うーーん、残念。」
でもそれもまた山。
熊見曽根を過ぎると朝日岳の鞍部までは下りにかかる。
そこにザックを置いて朝日岳を往復。
今回はじめてのピークということですね。
(山頂で喜ぶT君夫妻を見て、ああよかった・・と思ったオッサンでした)
その先は下から見えるギザギザの尾根の部分の通過。
鎖場もあるのだが、下から見るほど険しい道ではない・・・が、この天候。
要注意で通過する。
それにもまして大変なのが、登山者の多さ。
ツアーなどの団体とすれ違うとかなりの時間待っていることになる。
(まあ、それも仕方ないですね。)
その剣呑?な場所を通過し尾根を左に巻いていくともう、昨日昼食を摂った「峰の茶屋」だ。
ちょうど昨日から24時間後にここを通過、そして茶臼岳へ向かう。
頂上直下で右に折れて、ぐるっと火口をめぐる道を行った。
山頂は大勢の登山客+観光客で大賑わいだった。
まあ、でもそれもまたいい。
ここで宿の弁当(おにぎりです)を頂く。
頂上から降りていくとだんだん天気がよくなってくる。
青空も出てきているし、何より眼下の那須高原が明るい!
でも今までいた山のほうを見るとまだ黒い雲に覆われている。
(そんな風に気候の違いを感じるのもまた山のよさかも・・・ですね)
空を見ながら、足元の砂礫地をロープウェイの山頂駅まで下っていった。
そして最後の一浴、をどうしようかと思っていたが
道路も渋滞だし、とりあえず大丸温泉まで歩いていくことにした。
ここには秘湯の宿の「大丸温泉」もあるのだが、
以前にもお世話になった「ニューおおたか」さんのお湯へ。
親父さんもいらっしゃって、紅葉の様子など話をさせていただくが、今は息子さん?ご夫婦が仕切っているよう。ちょっと温泉の手入れがもう少し・・・って感じだったが(それは大変な作業だとは思う)歩いた後のお湯は!やはり気持ちいい。
帰りはA子さんの機転で予定より1本前のバスに乗車。
渋滞にあっても駅前の蕎麦屋でもう一杯を楽しむ余裕の一行であった。
2011年10月16日 雨のち曇り
三斗小屋温泉大黒屋7:50-8:50隠居倉9:00-熊見曽根(9:30)-9:53朝日岳10:00-峰の茶屋跡(10:45)-11:25茶臼岳11:45-12:20ロープウェイ山頂駅
いやな予感が的中。翌日も朝から雨だった。
でもこればかりは仕方がない。
とりあえずは隠居倉を目指して出発する。
距離は短いのに三斗小屋と隠居倉の標高差は400m以上ある。起きたばかりの体と頭には結構つらい。
さて、「煙草屋」の前を通り階段を上がっていくと「温泉神社」がある。数年前に建替えられた立派な社殿だ。
ダケカンバとミヤマカエデの間を登っていくと、温泉の源泉がある。
源泉はどこでもそうだが、ぼこぼこと湧くさまは本当に地球が息をしているよう。もちろんここで目にできるのはちょっとした地中からの出口だけ、その奥には想像もできないほどのエネルギーがあふれているのだろう。地震はさすがに御免蒙りたいが、その大地の運動がなければきっと人は生きていけないに違いない。あらためて我々人類も自然の一部であり、そこで生かされているのだと思ってしまう。
このあたりの遠景、晴れていれば絶妙の彩なのだが(笹と楓とダケカンバの織り成す様がまるでタペストリーのようなのだ)この日はあいにくの雨だったのが残念・・・・・
源泉を過ぎるときつい登りが待っている。
ここから尾根筋までの約30分が、この日の正念場だ。
最後の踏ん張りどころを越えて尾根に出ると・・・ここも晴れていれば絶景なのだけれど・・・やはり霧の中。
それでも、周りの植物を愛でながら隠居倉から熊見曽根への尾根道を歩く。
ここからの紅葉の眺めも楽しみにしていたのだが、いかんせん天候が・・・・
「昨日は向こうから見えていたのにねぇ」
「うーーん、残念。」
でもそれもまた山。
熊見曽根を過ぎると朝日岳の鞍部までは下りにかかる。
そこにザックを置いて朝日岳を往復。
今回はじめてのピークということですね。
(山頂で喜ぶT君夫妻を見て、ああよかった・・と思ったオッサンでした)
その先は下から見えるギザギザの尾根の部分の通過。
鎖場もあるのだが、下から見るほど険しい道ではない・・・が、この天候。
要注意で通過する。
それにもまして大変なのが、登山者の多さ。
ツアーなどの団体とすれ違うとかなりの時間待っていることになる。
(まあ、それも仕方ないですね。)
その剣呑?な場所を通過し尾根を左に巻いていくともう、昨日昼食を摂った「峰の茶屋」だ。
ちょうど昨日から24時間後にここを通過、そして茶臼岳へ向かう。
頂上直下で右に折れて、ぐるっと火口をめぐる道を行った。
山頂は大勢の登山客+観光客で大賑わいだった。
まあ、でもそれもまたいい。
ここで宿の弁当(おにぎりです)を頂く。
頂上から降りていくとだんだん天気がよくなってくる。
青空も出てきているし、何より眼下の那須高原が明るい!
でも今までいた山のほうを見るとまだ黒い雲に覆われている。
(そんな風に気候の違いを感じるのもまた山のよさかも・・・ですね)
空を見ながら、足元の砂礫地をロープウェイの山頂駅まで下っていった。
そして最後の一浴、をどうしようかと思っていたが
道路も渋滞だし、とりあえず大丸温泉まで歩いていくことにした。
ここには秘湯の宿の「大丸温泉」もあるのだが、
以前にもお世話になった「ニューおおたか」さんのお湯へ。
親父さんもいらっしゃって、紅葉の様子など話をさせていただくが、今は息子さん?ご夫婦が仕切っているよう。ちょっと温泉の手入れがもう少し・・・って感じだったが(それは大変な作業だとは思う)歩いた後のお湯は!やはり気持ちいい。
帰りはA子さんの機転で予定より1本前のバスに乗車。
渋滞にあっても駅前の蕎麦屋でもう一杯を楽しむ余裕の一行であった。
2012年01月12日
今年ももうその 30分の1 が過ぎました。
年始に頂いた賀状の文面にはほとんどの友人、知人から昨年の悲惨な出来事のこと、そして今年に向けた気持ちがあふれていました。それでまた、あらためて日本人に生まれてよかったと感じてしまいました。まだまだ課題は多く残っていますが、きっと乗り越えられると信じられる気持ちになりました。
(それをいいことに為政者がやりたいことをやり続けるのはごめん蒙りますが)
僕自身は昨年末に義母が亡くなったので年始の挨拶は欠礼してしまったのです・・・・が・・・・もし、書くとしたら同じような言葉をつづっていたでしょう。
そんな年末年始も過ぎ、僕の生活も少しずつ日常に戻ってきました。(それは、まだ100%とはいきませんが)
このブログも4日にアップしたのは昨年ほぼできていた下書きに手を入れただけでしたが、これからまた普通のペースで書いていきたいと思っています。
遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。
<== mackk
年始に頂いた賀状の文面にはほとんどの友人、知人から昨年の悲惨な出来事のこと、そして今年に向けた気持ちがあふれていました。それでまた、あらためて日本人に生まれてよかったと感じてしまいました。まだまだ課題は多く残っていますが、きっと乗り越えられると信じられる気持ちになりました。
(それをいいことに為政者がやりたいことをやり続けるのはごめん蒙りますが)
僕自身は昨年末に義母が亡くなったので年始の挨拶は欠礼してしまったのです・・・・が・・・・もし、書くとしたら同じような言葉をつづっていたでしょう。
そんな年末年始も過ぎ、僕の生活も少しずつ日常に戻ってきました。(それは、まだ100%とはいきませんが)
このブログも4日にアップしたのは昨年ほぼできていた下書きに手を入れただけでしたが、これからまた普通のペースで書いていきたいと思っています。
遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。
<== mackk
2012年01月04日
<1日目> 山麓駅から三斗小屋まで
2011年10月15日 雨時々曇り
ロープウェイ山麓駅9:50-10:45峰の茶屋避難小屋11:25-12:12ひょうたん池12:20-三斗小屋・沼原分岐(13:35)-14:55三斗小屋温泉大黒屋
八幡平から帰って1週間後の週末には、夏に白馬を共にしたT君夫妻と那須に行ってきた。
もともとはその次の週で予定していたのを、T君の仕事の都合で2週続けての山歩きとなったのだった。
当日は天気予報どおりの雨、黒磯駅ではそれほどではなかった雨脚もロープウェイ山麓駅に着く頃には激しい降りとなってきた。当初は三本槍から大峠を経由して一回りするコースを予定していたのだが、この雨では当然展望は望めないし清水平から三本槍まではぬかるみの中を歩くことになる。その先でも渡渉が3回も待っている。というわけで、とりあえずは翌日の天候回復を期して姥ヶ平からの道を行くことにした。
雨が少し収まるのを待って山麓駅を出発。
駐車場のある峠の茶屋までは舗装された遊歩道を歩く。
ありがたいことに少しずつではあるが雨は弱まってくれてきている。
茶屋の先の登山口からは階段状の急登、狛犬や「山ノ神」もあっていよいよ山に入っていく感じになる。
雨は降ったりやんだりを繰り返してはいるが、歩き始めた頃を思えば御の字といったところ。
時々あたる薄い日差しに紅葉が映える。
結果的に1週早めたのは正解かもしれない。
と、途中何度もその紅葉を愛でながら峰の茶屋までの登り道を歩いてった。
いつもは強風吹き荒れる峰の茶屋だがこの日はそうでもなかった。
避難小屋の外にも大勢の登山者がいて、三本槍への道を聞かれたりもした。
大きな(80ℓくらい?)ザックを下ろしている若者グループもいたので、「どこまで行くの?」と聴くと、やはり甲子温泉だという。途中のテン場のことも聴いたら三斗小屋にあるという。
「3、4張分しかないんですけどね」とのこと。
全然気が付かなかったのだが後でその場所はわかった(いままで何回か通っていたのだが、テントを見たことがなかったので気が付かなかっただけだったんだ)。
そこからは茶臼岳のお中道のような道を牛ヶ首手前の分岐まで歩いていく。山側にはおどろおどろしい噴気孔がいくつもある。右側は紅葉の絨毯が美しい。この頃には雨もほぼおさまってくれて、これから降りていく姥ヶ平やひょうたん池も見えてきた。
そんな風にほとんど水平の道を景色を楽しみながらゆっくりと歩いていく。
牛ヶ首手前の分岐から姥ヶ平までは急な下り坂。ここを登ったときは結構息が切れたことを思い出す。広い砂礫地の姥ヶ平からは再びほぼ平坦な道。10分ほどで右にひょうたん池への分岐となる。時間はたっぷりあるのでここにも寄り道。池への道は木道を修理中?のようでちょっとぬかるんだところもあったが、おそらくこの秋の豪雨による損傷の修理なのだろう。池そのものは何てことない小さな沼地だが木々の間から見える景色はすばらしい。ちょうど雲も切れてきて、茶臼の頂上や隠居倉から熊見曽根までの稜線とその裾野にひろがった樹林の美しい姿が拝める。
「明日はあそこを歩くよ。むこうからこっちを見た光景もすばらしいから・・・」と、T君たちに話す。
翌日の山行への期待を胸に分岐まで引き返し、再び落ち葉の道を下っていく。
沼原・三斗小屋分岐で右に折れ、そこから途中の沢に架かった橋までかなりの急傾斜を下っていく。ここは好きな道だ。歩いている登山者も少なく、静かに山の森を満喫できる。イタヤカエデとダケカンバが主の木々の葉は上から見るのとは違い、だいぶ枯れかかっているよう。
山のもみじは遠くから見るのと近くで見るのとではまったく印象が違うのだが、それもまたそれぞれ味わい深いものがある。
下りきったところの橋を渡ると少しだが登りにかかる。
その先で、A子さんがストンと落ちた?モグラか何かがあけた穴 (なんせ落ち葉に覆われているので,まるで落とし穴のよう) に片足がそっくりはまってしまったみたいだ。 一瞬皆あせったが何事もなく、笑い話のようなできごと(A子さんごめんなさい)で済んだのは幸いだったのだが、山では思いがけないことがあるのはやはり肝に銘じていなければいけない。
休憩の後、峰の茶屋から直接降りてくる道へとぶつかると、ほどなく三斗小屋温泉に到着する。
以下は「山の温泉ガイド」からの引用
・・・2時間歩かなければ行けない秘境に湧く温泉、1142年発見。大正以前、板室宿から三斗小屋宿、野際新宿と続く会津中街道に人馬の往来があった頃は主に湯治と白湯山信仰の行者で栄え た歴史がある。最盛期(明治元年頃)には柏屋・大黒屋・三春屋・佐野屋・生島楼の5軒が営業していたが、その後戊辰戦争(1868年)での全戸消失などが あり、現在は明治44年に黒磯駅前より進出した煙草屋と大黒屋の2軒のみとなっている。・・・
現在の場所は会津中街道の時代にあった地点より少し北東側にある。当時(温泉があったとして)の源泉と今のそれが同じだったのかどうかはわからないが、この地に宿場があったのは地理的にも納得ができる。
2軒の宿が現存するのだが、オッサンが泊まるのはいつも「大黒屋」。「煙草屋」には大きな露天があるというのでそれも捨てがいたいものがあるのだが、その名にもかかわらず”全館禁煙”とのことなので、”必然的”にこちらを選ぶことになるのだ。
大黒屋の本館は明治2年(戊辰戦争の翌年)の建造だそうで、その風格は「いかにも」の感があるのだが(しかしその時、すでにこの地に建造されていたのだろうか・・・)今回は初めて新館へ通された。その新館も木の香りのする、いい造りだった。
さて、宿に到着後とりあえず帳場で缶ビールを買ってきてのどを潤した後は待望の温泉へ。
ここには小さな岩風呂(温め)と木の浴槽(熱め)があって1時間後ごとの男女交代制。
<泉質はアルカリ性単純泉、さっぱりとした切れのいい湯だ>
僕らが向かったときは男性が岩だった。(でもよく考えたら交代時間まであと10分ほどしかない)
まあ、それでも何はともあれと温かい湯に浸かる。
温湯なので10分では物足りなかったのだが、それでも気持ちよい湯浴みをして部屋に戻った。
し、かーし・・・奥方2名がなかなか戻ってこない。「何かあったのか・・・・」と心配しているうちに、15分ほど過ぎてからなんとも気持ちよさそうに戻ってきた。こういうところでは女性は強いですね(他にも何人かの女性の方がいたそうで・・・)。
それからは、カミサンが”サプライズ(本人弁)”持参の「燗番娘」x4とA子さん用のワインをザックから出してプチ宴会となった。
T君もA子さんもそのあっためることができる日本酒を知らなかったようで、世代のギャップを感じてしまった。
そのまま飯に突入、ここの夕食は山小屋風で質素だがおいしい。(プラスのおかずとしてベーコンの缶詰も持参)特にお櫃のご飯は山の上とは思えないほど・・・で、数年前にここから帰ってからは家でもお櫃ご飯にしているほどだ。
その後は、それぞれ先ほどとは逆の温泉に浸かりに行く。木組みの大風呂はちょっと熱めの湯が掛け流されている。窓の外は渓流に面していてその光景は素晴らしいのだが、この時は夜のしじまの中。でもそれもまた山の湯らしい夜だった。
そしてこの部屋、新館というだけあって夜でも隙間風はなく温かいのだが、それにしても温かすぎる。ふつう、この時期はダウンを着ても結構寒いのに・・・もしかして明日も雨か・・・と思うほど。
そんな不安を抱きながら眠りに入るオッサンであった。
<続く>
2011年10月15日 雨時々曇り
ロープウェイ山麓駅9:50-10:45峰の茶屋避難小屋11:25-12:12ひょうたん池12:20-三斗小屋・沼原分岐(13:35)-14:55三斗小屋温泉大黒屋
八幡平から帰って1週間後の週末には、夏に白馬を共にしたT君夫妻と那須に行ってきた。
もともとはその次の週で予定していたのを、T君の仕事の都合で2週続けての山歩きとなったのだった。
当日は天気予報どおりの雨、黒磯駅ではそれほどではなかった雨脚もロープウェイ山麓駅に着く頃には激しい降りとなってきた。当初は三本槍から大峠を経由して一回りするコースを予定していたのだが、この雨では当然展望は望めないし清水平から三本槍まではぬかるみの中を歩くことになる。その先でも渡渉が3回も待っている。というわけで、とりあえずは翌日の天候回復を期して姥ヶ平からの道を行くことにした。
雨が少し収まるのを待って山麓駅を出発。
駐車場のある峠の茶屋までは舗装された遊歩道を歩く。
ありがたいことに少しずつではあるが雨は弱まってくれてきている。
茶屋の先の登山口からは階段状の急登、狛犬や「山ノ神」もあっていよいよ山に入っていく感じになる。
雨は降ったりやんだりを繰り返してはいるが、歩き始めた頃を思えば御の字といったところ。
時々あたる薄い日差しに紅葉が映える。
結果的に1週早めたのは正解かもしれない。
と、途中何度もその紅葉を愛でながら峰の茶屋までの登り道を歩いてった。
いつもは強風吹き荒れる峰の茶屋だがこの日はそうでもなかった。
避難小屋の外にも大勢の登山者がいて、三本槍への道を聞かれたりもした。
大きな(80ℓくらい?)ザックを下ろしている若者グループもいたので、「どこまで行くの?」と聴くと、やはり甲子温泉だという。途中のテン場のことも聴いたら三斗小屋にあるという。
「3、4張分しかないんですけどね」とのこと。
全然気が付かなかったのだが後でその場所はわかった(いままで何回か通っていたのだが、テントを見たことがなかったので気が付かなかっただけだったんだ)。
そこからは茶臼岳のお中道のような道を牛ヶ首手前の分岐まで歩いていく。山側にはおどろおどろしい噴気孔がいくつもある。右側は紅葉の絨毯が美しい。この頃には雨もほぼおさまってくれて、これから降りていく姥ヶ平やひょうたん池も見えてきた。
そんな風にほとんど水平の道を景色を楽しみながらゆっくりと歩いていく。
牛ヶ首手前の分岐から姥ヶ平までは急な下り坂。ここを登ったときは結構息が切れたことを思い出す。広い砂礫地の姥ヶ平からは再びほぼ平坦な道。10分ほどで右にひょうたん池への分岐となる。時間はたっぷりあるのでここにも寄り道。池への道は木道を修理中?のようでちょっとぬかるんだところもあったが、おそらくこの秋の豪雨による損傷の修理なのだろう。池そのものは何てことない小さな沼地だが木々の間から見える景色はすばらしい。ちょうど雲も切れてきて、茶臼の頂上や隠居倉から熊見曽根までの稜線とその裾野にひろがった樹林の美しい姿が拝める。
「明日はあそこを歩くよ。むこうからこっちを見た光景もすばらしいから・・・」と、T君たちに話す。
翌日の山行への期待を胸に分岐まで引き返し、再び落ち葉の道を下っていく。
沼原・三斗小屋分岐で右に折れ、そこから途中の沢に架かった橋までかなりの急傾斜を下っていく。ここは好きな道だ。歩いている登山者も少なく、静かに山の森を満喫できる。イタヤカエデとダケカンバが主の木々の葉は上から見るのとは違い、だいぶ枯れかかっているよう。
山のもみじは遠くから見るのと近くで見るのとではまったく印象が違うのだが、それもまたそれぞれ味わい深いものがある。
下りきったところの橋を渡ると少しだが登りにかかる。
その先で、A子さんがストンと落ちた?モグラか何かがあけた穴 (なんせ落ち葉に覆われているので,まるで落とし穴のよう) に片足がそっくりはまってしまったみたいだ。 一瞬皆あせったが何事もなく、笑い話のようなできごと(A子さんごめんなさい)で済んだのは幸いだったのだが、山では思いがけないことがあるのはやはり肝に銘じていなければいけない。
休憩の後、峰の茶屋から直接降りてくる道へとぶつかると、ほどなく三斗小屋温泉に到着する。
以下は「山の温泉ガイド」からの引用
・・・2時間歩かなければ行けない秘境に湧く温泉、1142年発見。大正以前、板室宿から三斗小屋宿、野際新宿と続く会津中街道に人馬の往来があった頃は主に湯治と白湯山信仰の行者で栄え た歴史がある。最盛期(明治元年頃)には柏屋・大黒屋・三春屋・佐野屋・生島楼の5軒が営業していたが、その後戊辰戦争(1868年)での全戸消失などが あり、現在は明治44年に黒磯駅前より進出した煙草屋と大黒屋の2軒のみとなっている。・・・
現在の場所は会津中街道の時代にあった地点より少し北東側にある。当時(温泉があったとして)の源泉と今のそれが同じだったのかどうかはわからないが、この地に宿場があったのは地理的にも納得ができる。
2軒の宿が現存するのだが、オッサンが泊まるのはいつも「大黒屋」。「煙草屋」には大きな露天があるというのでそれも捨てがいたいものがあるのだが、その名にもかかわらず”全館禁煙”とのことなので、”必然的”にこちらを選ぶことになるのだ。
大黒屋の本館は明治2年(戊辰戦争の翌年)の建造だそうで、その風格は「いかにも」の感があるのだが(しかしその時、すでにこの地に建造されていたのだろうか・・・)今回は初めて新館へ通された。その新館も木の香りのする、いい造りだった。
さて、宿に到着後とりあえず帳場で缶ビールを買ってきてのどを潤した後は待望の温泉へ。
ここには小さな岩風呂(温め)と木の浴槽(熱め)があって1時間後ごとの男女交代制。
<泉質はアルカリ性単純泉、さっぱりとした切れのいい湯だ>
僕らが向かったときは男性が岩だった。(でもよく考えたら交代時間まであと10分ほどしかない)
まあ、それでも何はともあれと温かい湯に浸かる。
温湯なので10分では物足りなかったのだが、それでも気持ちよい湯浴みをして部屋に戻った。
し、かーし・・・奥方2名がなかなか戻ってこない。「何かあったのか・・・・」と心配しているうちに、15分ほど過ぎてからなんとも気持ちよさそうに戻ってきた。こういうところでは女性は強いですね(他にも何人かの女性の方がいたそうで・・・)。
それからは、カミサンが”サプライズ(本人弁)”持参の「燗番娘」x4とA子さん用のワインをザックから出してプチ宴会となった。
T君もA子さんもそのあっためることができる日本酒を知らなかったようで、世代のギャップを感じてしまった。
そのまま飯に突入、ここの夕食は山小屋風で質素だがおいしい。(プラスのおかずとしてベーコンの缶詰も持参)特にお櫃のご飯は山の上とは思えないほど・・・で、数年前にここから帰ってからは家でもお櫃ご飯にしているほどだ。
その後は、それぞれ先ほどとは逆の温泉に浸かりに行く。木組みの大風呂はちょっと熱めの湯が掛け流されている。窓の外は渓流に面していてその光景は素晴らしいのだが、この時は夜のしじまの中。でもそれもまた山の湯らしい夜だった。
そしてこの部屋、新館というだけあって夜でも隙間風はなく温かいのだが、それにしても温かすぎる。ふつう、この時期はダウンを着ても結構寒いのに・・・もしかして明日も雨か・・・と思うほど。
そんな不安を抱きながら眠りに入るオッサンであった。
<続く>