2011年02月
2011年02月23日
ユルユルの北アの後、残りの青春18きっぷをどうしようかと思っていた。結局標題のとおり月山に行くことになったのだが去年もまったく同じ時期に(同じ理由で)登ったのっだった。ここは3回目、ただ過去二回は雪に雨、はたして今年は?
「ムーンライトえちご」で新潟へ到着、村上行の快速に乗り換える。以前は村上まで「ムーンライト」が運んでくれていたのだが、数年前から味気ないロングシートの車両に頼ることになってしまった。(運用上の都合だとは思うのだが、このあたりはむしろ秋田まで行ってしまうことも考えてほしい)
さて村上での乗り換えだが、次の酒田行きは同じホーム前方からの発車、みんなわかっていて車両一番前の出口に集中する。大垣の乗換えほどではないが、やはり海側のボックス席狙いでホームを走る。(車掌さんも承知で、走らないよう放送が入るのだけれど......)
村上~酒田間は羽越本線の中でも気動車運用が盛んな区間で、日本海にも近く鉄道旅行好きには楽しい区間だ。
鶴岡着は8時少し前。
(鶴岡から今回はレンタカーを利用、なんせ肘折温泉まで行きますからね。)
そしてまたしても.....高速の出口を間違え、(相変わらずカーナビに頼っているとこういうことになる) 小一時間の無駄をすることに....(懲りないオッサンである。)登山口に着いたのは10時過ぎとなってしまった。
ところで月山へ一番簡単に登るのがこの姥沢口。まずはリフトでほいほいと標高1,500mまで上がってしまう。
3度目の正直?か今日は快晴。先に登っていく人たちの姿もはっきり見える。まずはリフト上駅から姥ヶ岳へと向かう。昨年もここまでは何とか晴れてくれていたのでほぼ同じ感じだ。東北の山は標高はそれほどでもなくとも雪深いので高山植物が豊富で楽しい。ニッコウキスゲ、チングルマ、イワギキョウが美くしく咲き誇っている。姥ヶ岳頂上からは朝日連峰がうっすらと見えるし、西に目をやれば庄内平野が一望だ。
姥ヶ岳で一服した後、月山頂上へと向かう。まずはいったん湯殿山からの道との分岐へ下っていく。この間もウメバチソウやハクサンイチゲなどの花が迎えてくれる。
そしてリフトから直接頂上へ向かう道との合流点「牛首」へ....ここから後は登りの連続で、一気に頂上へと向かうのだが山頂へ近づくにつれ人口密度(?)が増してくる。山頂直下の祠を越えひと登りすると頂上台地に出て、頂上小屋の脇を抜けると山頂神社である。
でも、もうここは3回目。拝観料?を取られる神社参拝はパスして、昼飯。東には今夜泊まる予定の肘折への道が伸びている。本当はこの道を降りて行きたい......
でも、とても今日中にはたどり着けないだろう。(もっとも車も下にあるしね・・・) しかしずっと見渡すと本当にいい道みたい。うーん、いつか下から登ってみるのもいいかも.............
カーペットのような緑を愛でながらゆっくり下る。リフト利用だと3時間もあれば往復できるのでまだまだ登ってくる人も多い。人気の山だけあって途中渋滞もあるが、それもたまにはいいもんだ。
分岐の牛首からは木道、なだらかな起伏を繰り返し時々後ろを振り返りながら歩いていく。夏山に終わりを告げる、トラノオやカラマツソウを目にして「さあ、これからは秋山だ!」と気合が入る。
姥ヶ岳との分岐を過ぎると先ほど登ってきた道、リフト上駅が間近に見えてくる。今回は気温もちょうどよく、風もそこそこで上々の山歩きだった。
去年はリフト下駅で生ビールを堪能したのだが...今年は(当然ながら)封印。焼きとうもろこしを齧って、いざ温泉へ。
とりあえずナヴィの目的地に肘折を入力。すると......予想到着時間17:30! まだ、2時過ぎなのに.....??? うーむ、こいつはわざわざまた鶴岡に戻り最上川沿いを走るコースを指定している。
そいつは無視。迷わず予定通り国道458号線を通る最短ルートを行くことにした。 このルート、事前に調べたところによると、数週間前の豪雨で一時不通になっていたが現在は通行可能とのことだったのだ。
寒河江でR112と別れR458に入る。途中には”ようこそ肘折へ”の看板と”現在通行可能”の標識、「よしよし」と思いつつ順調に走行する。山越えと言うことは地形図でわかっていたのでだんだん道が細くなるのも気にならなかった。(舗装はしっかりしていたしね)
標高が上がってくると場所によってはもう紅葉している木もある。夏と秋をいっぺんに味わえるねぇなどと上機嫌だった。
行政区分を越え大蔵村に入ると道はダートになる。まあ、これもほぼ予想通りだ。途中には葉山への登山口もあり、ここにもいつか登ってみたいと山心が掻き立てられる。
しかし、進んでいくうちに道はますます険しくなり林道状態。車幅ぎりぎりの道が曲折と急傾斜を伴いながら続いていく。そんな道なのでほとんど対向車とすれ違うことはなかったのだが一度だけ、あった。そこはこちらから見て左カーブの場所なのだが、その左側はガードレールなんぞない深い谷間だ。なんとか交わしたが、冷や汗物だった。(ダート好きには楽しいと思いますが、一般的にはお勧めできません・・・旅館に着いたときその道のことを言ったら、地元の人も使わないとのことでした--でも、野生の雉が道の真ん中にいたり、珍しい蝶も目にしたりとそれはそれで良かったのですが...)
さてそんなこんなで着いた肘折温泉だが思っていたより賑わっている。もっと鄙びた感じを想像していたのだが.........でもそれはそれでよし。とりあえず今夜お世話になる宿「元河原湯」さんへチェックイン。
到着が遅れた(17:30頃)ので共同湯へは行けなかったのは残念だが、とりあえず温泉街をとろとろ歩いてみた。
たどり着いたのは銅山川沿いの道の最奥にある、その名も「源泉公園」。
公園といっても広い敷地があるわけでもなく肘折ダムの脇に源泉があるだけだなのだが、そのまわりを囲んで座れるベンチが素晴らしい。腰から背中にかけて温泉の熱が石の板を通して伝わってくるのだ。特にこの日の登山後にダート走行の腰には最高だった。
宿に戻ってからは極上の温泉を堪能、銅山川を眼下にゆっくり浸かる。
そして夕食.....
で、当たり前のようにこれだ。
もうひとつの楽しみは、この宿のご主人が信楽まで行って作ってもらったというこの貸切風呂。着いたのが遅かったせいで、翌朝の楽しみとなったのだが.....
翌日は苦水川沿いの黄金温泉「金生館」へ.......湯治宿らしい佇まい、なんか懐かしさを憶える。気さくな感じ(だけれどお顔は何故か外人ハーフっぽい?)のおばさんが応対してくれた。
ここのお湯は良かった。ちょっと黄色がかった源泉が生き生きとしている。3畳ほどのこじんまりとした内湯と開放感あふれる露天が何かほっとした気分を与えてくれる。まさにこういうお湯が温泉の原点だろうと思わせる。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉ということだそうで、ポピュラーな日本の湯だ。
入浴後も懐かしいアイスモナカなどを食し、多分お孫さんであろう男の子が取ってきたトンボ(20センチはあるオニヤンマ!)を自慢しているのを一緒に逃がしてやったりと、自分の子供時代を思い出しながら過ごさせてもらった。
その後は「日本一美しい村」を標榜するこの大蔵村の四ヶ村棚田などを見てから山形市内へ......
前年も山形市内の温泉の素晴らしさを堪能したのだが、車ではなかったのでいけなかった温泉があった。それは、ラーメン屋に併設されているという「大の目温泉」。
実はここの”イカゲソラーメン”が食いたかった。ただ、ここにくる途中にも”イカゲソ”の看板は多く見かけた。ここが発祥かもともと山形にはあったのかはわからないのだが、なぜ山形でイカゲソなのだろう???
うーむ、確かにうまい! でも、失敗したのは醤油味にしたこと。これは絶対味噌に合う! (もともとこの店は味噌が売りです)
もちろん、隣にあるここの掛け流しのお湯も抜群だった。
2011年02月12日
「大人の休日きっぷ」が使える週末、青森まで新幹線も延びたことだし乗ってみようと思っていた。津軽のストーブ列車も気になったが、どうせならまだ通ったことのない青函トンネルを越えて函館まで行こうと計画した。
当日(1月15日)東京の天気は曇り。ただ北日本には雪雲があってあまりいい天気ではなさそう。まあ、温泉でのんびりが目的の旅、雪見の露天もいいのでは.......と、一応折り畳み傘を荷物に入れて自宅を出た。
中央線で東京駅へ。が、神田を過ぎもう着くと言う頃に車内アナウンス、「東北新幹線はただいま不通です」!!。
「何だ何だ?」 と思いつつ新幹線乗り場へ向かうと案の定、多くの人たちが......。そして
「8時20分発のやまびこ盛岡行きだけ運転します」 との放送。
とりあえずそれに乗ってしまうことも頭をよぎったが、もう1分しかない。当然満員だろうし、果たして盛岡まで行ってもその先があるだろうか....と思い、とりあえず様子を見ることにする。
待合室も人でいっぱい、なんか小山あたりで架線に雪が付着しているらしい。少し待てば動き出すだろうと思いつつただじっと待つのみ。
10時を過ぎた頃、さすがにどうしようかと考え始める。今動いても小山からここまで来て折り返すには1時間以上はかかるだろう。そこにさらに「信号系統も故障」との放送。
「何やってんじゃ、JR東日本!」
と、思ったが仕方ない。ここで善後策を考える。
上越新幹線は動いているのでそちら方面に行き先を替えるか。とはいっても、何も情報がないのでとりあえず行ったことのある宿に電話。運よく「空きあり」とのことだったので急遽目的地変更、そして当初泊まる予定の宿にキャンセルの電話をしているそばから、乗る予定だった「はやて19号」はじめ何本かの運休が決まったとのこと。
ならばと上越新幹線の次の列車は....と見ればあともう1分で発車だ。とにかく乗ってしまおうと階段を駆け上がり出発ぎりぎりの「とき」に乗り込んだ。
今晩泊まる所と自由席もなんとか確保して、やっと一安心。とはいってもまったく予定外の行程で、新潟から先は皆目見当つかずだ。少し落ち着いた大宮を過ぎたあたりで接続のダイヤなどを聞きに車掌室に行ってくる。
新潟からの乗り継ぎ特急「いなほ」はずっと後までないとのこと。車掌さんが申し訳なさそうに言うには
「この列車、臨時なんで連絡悪いんですよ」
ついでに、東北新幹線のことも聞いてみる。
「架線についた雪の影響で、信号線のほうに負荷がかかったみたいです」
とのことだった。
調べてくれて1時間ほど待てば村上行きの普通列車があるという。だが、結局坂町からの米坂線への乗り継ぎは16:50発。ならば、何度か行ったことのある村上で1時間ほど時間をつぶそうかと思い、とりあえず、その時間をメモして席に戻った。
トンネルを抜けると文字通りの雪国。さて雪の村上でどうやって1時間過ごそうかと考えている間に思い出した。そういえば村上から(旅館の最寄り駅である)越後下関までは、確か路線バスがあったはず.....
もう一度車掌室へ行き、その時間を調べてもらう。が、時刻表にその路線の記載はない。それでもバス会社の電話番号をお聞きして、ついでに坂町発の列車に間に合う「いなほ」の新潟駅出発時刻も教えてもらう。
(とても親切な車掌さんでした・・・・・色々ありがとうございました。)
そうこうしているうちに列車は越後平野を疾走、あっという間に新潟に到着した。ここでひとつハプニング、改札を出たオッサンだが怖い山の神がついて来ん。 ??と後ろを振り返るとなにやら駅員と話中。聞いてみると前に改札を抜けた人が切符を持っていってしまったらしい。ここで新潟駅発行の業務連絡書というのを作ってもらい、後はこれで旅を続けてくれとのことだった。(その後は珍しがる駅員さんもいましたが順調に使用できました)
駅を出て、まずは教えてもらった村上のバス会社に電話をいれ、バスの時刻を聞いてみた。だが、土曜日の午後便は夕方までないという。 それなら仕方がない。2時間以上あるので、この辺で何かうまいものでも食おう、と駅前の観光案内所で近くの寿司屋を教えてもらい、そこに直行。(古町までいってもよかったのだが、この雪の中=地元の方には失礼だが=移動するのはかったるいのでお手軽駅前コースを選択したのだった)
とりあえず熱燗と刺身の盛り合わせを注文。酒は「麒麟山」との由、越後の酒らしく燗をつけてもきりり、さっぱりの銘酒だ。そして出された盛り合わせ.............
まずは海老の透明感にびっくり!ボタン海老とのことだが、こんな透き通ったのは見たことない。もちろんお味は最高でした。ほかにもノドグロ、カレイ、そして佐渡の寒鰤(これも脂はのってるのにさっぱりしこしこ)と、とても東京では味わえないものばかり。まあ、だいたい日本海沿岸の町の寿司屋はどこに行ってもうまいに決まっている。鳥貝のバター焼き、名前は忘れた(すみません)が岩船であがったカワハギの一種など、思う存分海の幸を堪能。これだけでもここまで来た甲斐がある。
腹も心も満たされていよいよ宿へと向かう。鷹ノ巣温泉は荒川温泉郷の最奥にあり、荒川にかかる吊橋を渡った先に2件の湯宿がある。今回は駅から迎えの車で連れてきてもらったのでこの吊橋もそのまま車で渡ったが、乗用車やバスで来た場合は歩いて渡るしかない。
「鷹ノ巣館」へは3度目の来訪。最初は20年以上前の夏だった。今の本館ができる前で1階の一番奥の部屋だったが、夕食中に激しい夕立があり少しの間停電になった。真っ暗な中、雨上がりにヒグラシの音が響いていたのを憶えている。それも懐かしい思い出だが、昨年再訪したときには本館も新しくなっていて隔世の感があったのだった。でも、最初に行ったときから温泉の良さは変わっていない。
この宿は離れの部屋がメインで、本館には3室しかないのだがオッサンは3回とも本館部屋にご逗留(?)だ。離れにはそれぞれ風呂があるとのことだが、そのおかげか、いつも風呂では貸切状態、他のお客さんとの会話はないがそれはそれでゆっくりできていいものだ。
さて、楽しみの夕飯。主寝室の隣にテーブルの部屋があり、そこで頂くのだが、これが考えもしなかった正月献立でなんかうれしい。
だがここでははずせないものがある。(相変わらずで恐縮だが)骨酒だ。骨酒フェチ?のオッサンは岩魚はもちろん、山女に鮎とそれぞれ何度か味わってはいるのだが実はこれまでで一番うまい!と思ったのがここのカジカ酒。
目の前の荒川で獲れるカジカがとても香ばしくてほかでは味わえない。実は、東京駅で足止めを食っているとき、真っ先に思い浮かんだのがこのカジカ酒だったのだ(笑)。
翌朝ももちろん、温泉三昧!
そして、ゆっくりと朝食。
この日は坂町を11時過ぎの電車に乗る方がいるとのことで駅まで一緒に連れて行ってもらうことにした。10:30頃の出発というのでゆっくり温泉を堪能。
さて、駅についてからこの先どうしようと、時刻表をにらんで沈思黙考。新発田に出て月岡か出湯の温泉に浸かって帰ることも考えたのだが、次の「いなほ」で酒田まで行き、そこで1時間の待ち合わせのあと陸羽西線の快速で新庄にいけることがわかり、そちらを選択。酒田で昔行った寿司屋に行ってもいいし、タクシーなら雪の山居倉庫もいいかも....
とりあえず、海側の指定席を確保し列車を待つ。窓口ではこの時点で「7分ほど遅れてますが、」と言われたが、雪もそれほどではないしそのうち取り返すかもと思っていた。
だが、結局酒田には30分近く遅れての到着。寿司どころではなく駅横のそば屋で軽い昼飯をとっただけだった。
14:00発の陸羽西線快速「最上川」は0番線、実はオッサン坂町の駅で時刻表を見ながら驚いたのが、この列車の速さだった。昔反対側の新庄から酒田までは2時間近くかかったのを覚えているのだが、時刻表によれば1時間もかからない、14:51着だ。この間52キロはあるので表定速度は60キロを超えている。もちろん途中、通過駅も多いのだが....
ここの路線はほぼ最上川に沿っているが川が見られるのは少しだけ。しかもこの日は降りしきる雪に覆われて北側の窓はまったく視界無し、それでもこのキハ110は快足を飛ばしてくれた。 秋田からの列車の連絡で7分ほど遅れての出発だったが新庄着はほぼ時刻表どおり。
うーん、やはり日本の鉄道は素晴らしい! と、前日のことはすっかり忘れて、新幹線に乗り継いだオッサンだった。
当日(1月15日)東京の天気は曇り。ただ北日本には雪雲があってあまりいい天気ではなさそう。まあ、温泉でのんびりが目的の旅、雪見の露天もいいのでは.......と、一応折り畳み傘を荷物に入れて自宅を出た。
中央線で東京駅へ。が、神田を過ぎもう着くと言う頃に車内アナウンス、「東北新幹線はただいま不通です」!!。
「何だ何だ?」 と思いつつ新幹線乗り場へ向かうと案の定、多くの人たちが......。そして
「8時20分発のやまびこ盛岡行きだけ運転します」 との放送。
とりあえずそれに乗ってしまうことも頭をよぎったが、もう1分しかない。当然満員だろうし、果たして盛岡まで行ってもその先があるだろうか....と思い、とりあえず様子を見ることにする。
待合室も人でいっぱい、なんか小山あたりで架線に雪が付着しているらしい。少し待てば動き出すだろうと思いつつただじっと待つのみ。
10時を過ぎた頃、さすがにどうしようかと考え始める。今動いても小山からここまで来て折り返すには1時間以上はかかるだろう。そこにさらに「信号系統も故障」との放送。
「何やってんじゃ、JR東日本!」
と、思ったが仕方ない。ここで善後策を考える。
上越新幹線は動いているのでそちら方面に行き先を替えるか。とはいっても、何も情報がないのでとりあえず行ったことのある宿に電話。運よく「空きあり」とのことだったので急遽目的地変更、そして当初泊まる予定の宿にキャンセルの電話をしているそばから、乗る予定だった「はやて19号」はじめ何本かの運休が決まったとのこと。
ならばと上越新幹線の次の列車は....と見ればあともう1分で発車だ。とにかく乗ってしまおうと階段を駆け上がり出発ぎりぎりの「とき」に乗り込んだ。
今晩泊まる所と自由席もなんとか確保して、やっと一安心。とはいってもまったく予定外の行程で、新潟から先は皆目見当つかずだ。少し落ち着いた大宮を過ぎたあたりで接続のダイヤなどを聞きに車掌室に行ってくる。
新潟からの乗り継ぎ特急「いなほ」はずっと後までないとのこと。車掌さんが申し訳なさそうに言うには
「この列車、臨時なんで連絡悪いんですよ」
ついでに、東北新幹線のことも聞いてみる。
「架線についた雪の影響で、信号線のほうに負荷がかかったみたいです」
とのことだった。
調べてくれて1時間ほど待てば村上行きの普通列車があるという。だが、結局坂町からの米坂線への乗り継ぎは16:50発。ならば、何度か行ったことのある村上で1時間ほど時間をつぶそうかと思い、とりあえず、その時間をメモして席に戻った。
トンネルを抜けると文字通りの雪国。さて雪の村上でどうやって1時間過ごそうかと考えている間に思い出した。そういえば村上から(旅館の最寄り駅である)越後下関までは、確か路線バスがあったはず.....
もう一度車掌室へ行き、その時間を調べてもらう。が、時刻表にその路線の記載はない。それでもバス会社の電話番号をお聞きして、ついでに坂町発の列車に間に合う「いなほ」の新潟駅出発時刻も教えてもらう。
(とても親切な車掌さんでした・・・・・色々ありがとうございました。)
そうこうしているうちに列車は越後平野を疾走、あっという間に新潟に到着した。ここでひとつハプニング、改札を出たオッサンだが怖い山の神がついて来ん。 ??と後ろを振り返るとなにやら駅員と話中。聞いてみると前に改札を抜けた人が切符を持っていってしまったらしい。ここで新潟駅発行の業務連絡書というのを作ってもらい、後はこれで旅を続けてくれとのことだった。(その後は珍しがる駅員さんもいましたが順調に使用できました)
駅を出て、まずは教えてもらった村上のバス会社に電話をいれ、バスの時刻を聞いてみた。だが、土曜日の午後便は夕方までないという。 それなら仕方がない。2時間以上あるので、この辺で何かうまいものでも食おう、と駅前の観光案内所で近くの寿司屋を教えてもらい、そこに直行。(古町までいってもよかったのだが、この雪の中=地元の方には失礼だが=移動するのはかったるいのでお手軽駅前コースを選択したのだった)
とりあえず熱燗と刺身の盛り合わせを注文。酒は「麒麟山」との由、越後の酒らしく燗をつけてもきりり、さっぱりの銘酒だ。そして出された盛り合わせ.............
まずは海老の透明感にびっくり!ボタン海老とのことだが、こんな透き通ったのは見たことない。もちろんお味は最高でした。ほかにもノドグロ、カレイ、そして佐渡の寒鰤(これも脂はのってるのにさっぱりしこしこ)と、とても東京では味わえないものばかり。まあ、だいたい日本海沿岸の町の寿司屋はどこに行ってもうまいに決まっている。鳥貝のバター焼き、名前は忘れた(すみません)が岩船であがったカワハギの一種など、思う存分海の幸を堪能。これだけでもここまで来た甲斐がある。
腹も心も満たされていよいよ宿へと向かう。鷹ノ巣温泉は荒川温泉郷の最奥にあり、荒川にかかる吊橋を渡った先に2件の湯宿がある。今回は駅から迎えの車で連れてきてもらったのでこの吊橋もそのまま車で渡ったが、乗用車やバスで来た場合は歩いて渡るしかない。
「鷹ノ巣館」へは3度目の来訪。最初は20年以上前の夏だった。今の本館ができる前で1階の一番奥の部屋だったが、夕食中に激しい夕立があり少しの間停電になった。真っ暗な中、雨上がりにヒグラシの音が響いていたのを憶えている。それも懐かしい思い出だが、昨年再訪したときには本館も新しくなっていて隔世の感があったのだった。でも、最初に行ったときから温泉の良さは変わっていない。
この宿は離れの部屋がメインで、本館には3室しかないのだがオッサンは3回とも本館部屋にご逗留(?)だ。離れにはそれぞれ風呂があるとのことだが、そのおかげか、いつも風呂では貸切状態、他のお客さんとの会話はないがそれはそれでゆっくりできていいものだ。
さて、楽しみの夕飯。主寝室の隣にテーブルの部屋があり、そこで頂くのだが、これが考えもしなかった正月献立でなんかうれしい。
だがここでははずせないものがある。(相変わらずで恐縮だが)骨酒だ。骨酒フェチ?のオッサンは岩魚はもちろん、山女に鮎とそれぞれ何度か味わってはいるのだが実はこれまでで一番うまい!と思ったのがここのカジカ酒。
目の前の荒川で獲れるカジカがとても香ばしくてほかでは味わえない。実は、東京駅で足止めを食っているとき、真っ先に思い浮かんだのがこのカジカ酒だったのだ(笑)。
翌朝ももちろん、温泉三昧!
そして、ゆっくりと朝食。
この日は坂町を11時過ぎの電車に乗る方がいるとのことで駅まで一緒に連れて行ってもらうことにした。10:30頃の出発というのでゆっくり温泉を堪能。
さて、駅についてからこの先どうしようと、時刻表をにらんで沈思黙考。新発田に出て月岡か出湯の温泉に浸かって帰ることも考えたのだが、次の「いなほ」で酒田まで行き、そこで1時間の待ち合わせのあと陸羽西線の快速で新庄にいけることがわかり、そちらを選択。酒田で昔行った寿司屋に行ってもいいし、タクシーなら雪の山居倉庫もいいかも....
とりあえず、海側の指定席を確保し列車を待つ。窓口ではこの時点で「7分ほど遅れてますが、」と言われたが、雪もそれほどではないしそのうち取り返すかもと思っていた。
だが、結局酒田には30分近く遅れての到着。寿司どころではなく駅横のそば屋で軽い昼飯をとっただけだった。
14:00発の陸羽西線快速「最上川」は0番線、実はオッサン坂町の駅で時刻表を見ながら驚いたのが、この列車の速さだった。昔反対側の新庄から酒田までは2時間近くかかったのを覚えているのだが、時刻表によれば1時間もかからない、14:51着だ。この間52キロはあるので表定速度は60キロを超えている。もちろん途中、通過駅も多いのだが....
ここの路線はほぼ最上川に沿っているが川が見られるのは少しだけ。しかもこの日は降りしきる雪に覆われて北側の窓はまったく視界無し、それでもこのキハ110は快足を飛ばしてくれた。 秋田からの列車の連絡で7分ほど遅れての出発だったが新庄着はほぼ時刻表どおり。
うーん、やはり日本の鉄道は素晴らしい! と、前日のことはすっかり忘れて、新幹線に乗り継いだオッサンだった。