2011年06月08日
5月4日(宿泊) 海潮温泉「海潮荘」
今宵の宿は海潮(うしお)温泉「海潮荘」。
名前とは違って松江駅からバスで40分ほどの山中にある。
途中の標識には「雲南市」とあり、思わずここは中国か!と叫びたくなってしまうが(いや、確かに”中国地方”ではある・・・)平成16年の町村合併の際、出雲の南という単純な発想で名づけられたらしい。
バス停から橋を渡って路地を行くと数軒の住宅の先に3つの旅館があり、その一番奥が「海潮荘」。ちょっと古びてはいるがなかなか感じのよい外観だ。
館内は外回りとは違い、和風モダンなあしらい。掃除も行き届いている。
この日は連休料金で1泊2食で一人2万円という、普段の僕にはありえない金額!(ただ、玉造温泉をはじめ周辺のよさそうな宿はみんなもっと高かった)
通された2階の部屋は中庭に面した10畳間、窓からは新緑がすばらしい。
庭には川からの引き水の小川が流れていて、散歩道が作られているという。
早速その中庭へ......
そんなに広くはないのだが、そのせせらぎをはじめとして人工的な感じはなく自然を活かした造りとなっている。
旅館の中庭というより、ちょっとした植物園のような趣だ。
緑を愛でたあとは待望の温泉・・・・・
ここも時間で男女入れ替え制。早い時間は男性用が広めの風呂。
脱衣所からは内湯と露天それぞれの入り口があるが、まずはこじんまりとした内湯で一浴。
含石膏芒硝泉の湯はやわらかくやさしい。
完全掛け流しではないが、それなりの量の源泉投入もされているようで湯感はいい。
大きな岩が配された露天ではさきほど歩いた庭の緑と川向こうの山の木々の葉がのんびりと浸かる身体と心を癒してくれた。
そしてこの風呂の構造が面白い。
内湯との仕切りの観音扉の向こうが露天、湯船はつながっている。
よく見るとむこうの湯船(今は女湯ですね)との間も同様で、大きなひとつの湯船なのだった。
さて、もうひとつの楽しみは夕食。
予約の際、囲炉裏端の料理にするか懐石にするか聴かれたので今回は後者を選んでいた。
こちらで有名なのが「宍道湖七珍」。
スズキ、シラウオ、コイ、ウナギ、モロゲエビ、アマサギ、シジミのことを言うらしい。
順番は違うが「すもうあしこし」と覚えるそうだ。季節の関係もあるのですべてを一回で食べるのは難しいのかもしれないが、この日は蜆はもちろんのこと、ウナギ(ウザク)とスズキが抜群だった。
食後には、地下にあるもうひとつの風呂へ...
階段を下っていった先には小さな湯船が満々と湯を湛えていた。
こちらはおそらく源泉そのまま。
やはり、こじんまりしている分お湯は新鮮だ。
湯花もふわふわ浮かんでいる。
そんなこんなで久しぶりののんびり湯三昧を楽しんだ一夜だった。(無論翌朝もしかり・・・・で朝風呂の贅沢のあとの飯=飲んだ翌日の温泉粥は抜群=もまた美味かった。)
<==その2 その4==>
2011年06月06日
5月4日 出雲大社と”畑電”の旅
<==その1
降り立った出雲市駅は味気ない高架ホーム。そういえば途中の松江もそうだった(米子はしっかりと地上にありましたが)。そんな思いは余所者のわがままだと十分承知しているのだが、やはりなんとなく興がそがれる。確かに市街地は交通量も多いし、平面交差を避けるためには仕方がないのだろう。たぶんここからは列車もずっと地上を走っていくに違いない。そういえばサンライズの車内で話した自転車携行のカップルはこの先乗り継いで太田市駅まで行き、石見銀山から松江まで自転車で戻って来ると言っていた。(そんな旅もいいですね)
ホームからは、着いたらまず夜汽車の疲れを癒すため?に浸かってみたかった「らんぷの湯」が見える。(今回は時間がないからと却下されました・・・・)
駅舎は大社を思わせる堂々とした構え。
ここから出雲大社まではバスのほうが早いのだが、もちろん一畑電鉄(通称バタデン)で行く。電鉄出雲市駅はJR駅から少し松江方向に戻ったところにある。(おやっ、こちらも高架ホームだ)
まずは窓口でパーフェクトチケット(3,000円)を購入。電車と出雲、松江周辺のバス(空港バスも可)に3日間乗り放題のお得な切符だ。お決まりの観光施設割引もついている。時刻表をくれるのも嬉しい。
大社へは途中川跡(かわと)駅で乗り換え。
大社線は本線から西へ盲腸腺のように伸びていて、ここで本線の上下電車と大社線の電車3本がそれぞれ待ち合わせするダイヤ編成になっている。
ここまでの車両は首都圏の人間には懐かしい京王の5000系だったが、ここからはもう少し古びた見慣れない車両だ。それもそのはず元南海とのこと(サッチーの旦那さんのことではありません)。
ところで車両前部には「ワンマン」の表示があるのだが、さきほどの本線もこの支線も車掌さん?が乗っている。正式には”電車アテンダント”と呼ぶそうだが、切符の受け取り・確認業務のほかに沿線の案内もしてくれる。なんとか乗客を増やそうと導入したようだが、観光客には嬉しいサービスだ。
連休中とあって車内はかなりの混雑だった。
立ちっぱなしだったが川跡からは10分ほどで出雲大社駅に到着。
とても凝ったつくりの駅だ。半円形の天井やステンドグラスの採光など、ヨーロッパの地方駅を思わせる。留置線には「レールウェイズ」で活躍した”デハニ50系”もいたが、それは後の楽しみにしてまずは出雲大社へ。
駅から大社までは歩いて5分ほど。途中、土産物屋や飲食店などいろいろな店もあり楽しいが、車道は車でびっしりだった。やはり西日本は震災の影響がないんだなあと思いつつここにいる自分も同じか・・・と考えもしながら複雑な心境で坂道を登っていった。
ここはずーーっと前、高校時代の夏休みに来たのだが、ほとんど記憶がない。なぜか日御碕の灯台とウミネコだけは鮮明に頭に残っているのだが・・・
正面の大鳥居をくぐると松林の参堂で、少し下ってまた登り返す道。
多くの参拝者で、当たり前だが関西弁が目立つ。
”縁結び”の神様として有名な大社だがこの縁というのは別に男女の縁というだけではない。
まあ、考えてみればこの世の中すべては縁につながれている。
そう、縁という言葉を「つながり」と考えれば人類だけではなく森羅万象すべての関わりに結びついていくのだろう。
神楽殿前には参拝のための長い列ができていた。
ここでは「二礼四拍手一礼」という作法だそうで、それに従って参拝。
本殿には入らず、ゆっくりと来た道を戻る。
出雲の神話をたどればきりがなくなるのだが、ここで面白かったのは(おそらく以前はなかった)大国主命の彫像。
「ムスビの御神像」というそうだが、波の上に乗ってやってくる魂を迎える様を表現している。
この日は奉納神楽も行われていて、なかなか楽しかった(ただの物見遊山、信仰心なくていかんですね)。
腹ごしらえに出雲そばを頂き、再び大社駅へ。
こんどはゆっくりと「デハニ」を見学。
そういえば映画「レールウェイズ」を見たのがほぼ1年前。たぶんここに停まっている車両は使われていたものではないと思われるのだが、(映画のこともあるのだけれど)やはり昭和の時代を思い起こされるこのフォルムが懐かしい。
川跡行きの電車の反対側には急行型車両も停まっていた。
本当はこれに乗って松江まで行きたかったのだが、急行は1日1往復だけなので時間が合わず断念。
こちらも京王の改造とのことだが、昔風の(たぶん転換)クロスシートに座ってみたかった。
大社駅を出発した電車はまた来た道を引き返し、川跡まで。車窓には先ほども見えた「出雲ドーム」。
そこで再び本線に乗り換え。
久々のローカル私鉄の旅。
ゆっくりと流れる車窓を見ながら過ごす時間は普段のあわただしい生活を忘れさせてくれる。
要所ではアテンダントさんのガイドもある。また畑電の各駅にはそれぞれ壁画があってこれも楽しい。ほとんどは出雲の国物語をモチーフにしたものだが、時々??ってなものもある。
一畑口でのスイッチバックでは(映画では中井さんが走って交代していましたが、さすがにそれはなく)、安全確認しながら、でも少ーし早足での交代だった。
車窓に宍道湖が見えてくるとますます旅情をかきたたられる。
なにかもわーっとした空気のなかで、過ぎていく風景と時間が堪らない。
映画のロケ地のことも解説してくれる。主人公の実家に使われた家(実際に1ヶ月借り上げたそう)や最寄の「いのなだ駅」などをはじめここまででも変電所や車庫(ここにもデハニがいたのでたぶんこちらが映画に使われた車両かな?)など興味深い車窓風景だった。
そんな風に1時間。 電車は松江しんじ湖温泉に到着。
このあとは海潮温泉に向かう。
その3==>
2011年05月29日
西方向へ行く際は飛行機を使いがちで、列車という選択肢が頭の中から消えていたのだ。
今回はちょうど1ヶ月前にたまたま別の用事で出かける途中に立ち寄ったみどりの窓口で、「あと数席あります」とのことで運よくチケット購入。連休なのでほぼあきらめてはいたのだが(さすがに5月2日は無理で3日の出発となったのだけれど)、久しぶりの夜行寝台の旅が実現した。
定刻22:00、「サンライズ」は東京駅を出発。
早速、列車内を探検。まだ落ち着かない車内だがそれも旅立ちの様子。
ちょうど、車端のツインのドアが開いていたのでこちらも拝見。 ちょっと階段が急だがなかなかいいつくりだ。
途中に見た、ノビノビ座席も夏場ならいいかも(安いしね)・・・・・・
昔の客車寝台は何度も乗ったことがあるが、まったく違うイメージ。電車寝台はおそらく日本の583系が最初でほかにはあまりないと思うのだが、さすがに通路を含めて全体的にいいインテリアでまとまっている。
探検しているうちに10号車のラウンジにたどり着く。ここでゆっくりと持参の酒・ツマミを片手に夜の車窓を堪能する。ここは5+5(だったかな?)の席しかないので、早く行った僕らはラッキー。(こちらがのんびり車窓を楽しんでいる間にも多くの乗客たちがやってきては帰っていきました。)で、戸塚を過ぎたあたりで後の方に譲って部屋へ...
偶然だったが、取れた車両は「喫煙車」。ヘビースモーカーにとっては嬉しい。
部屋のベッドの脇にもちゃんと灰皿がある。
<いまどき列車に乗りながら一服できるなんて・・・・・うふっ>
(うーーん、しかしこれはタバコのみにしかわからない感想だろう・・・そういえば以前アムトラックでも車掌さんのアナウンスで”Smoking Stop"といわれた==>たぶんその車掌さんもスモーカー?、途中駅のホームではいつも同じメンバーで顔なじみになった)
熱海を過ぎ日付が変わるころから少し眠くなる。沼津あたりではもううとうと、そのまま翌朝目覚めるともう姫路近くだった。
吉井川の流れを横目に朝のぼんやりした気分のうち
あっという間に岡山到着だ。
ここでは前7両の「サンライズ瀬戸」が切り離されて先に出発する。
ホーム反対側には快速マリンライナーも停まっている。
だが、とりあえず飯確保のため、駅弁購入、
食べたかった鰆寿司はまだなく、ごく普通の幕の内。
(まあ、おいしかったです)
さて、ホームでは、大勢の人が切り離しの現場を見ている。
昔はこんなに人がいたことがない!
やっぱり、鉄道ファン?が増えているのだろうか....
そしてここからは陰陽連絡線のひとつ、伯備線で米子に向かう。
少しずつ勾配を上っていくがかなり走っても川の流れは列車の進行とはと反対側の流れ、
そう思っているとアナウンスが入った。
「次の上石見駅(だったと思いますがあやふや・・・すみません)が分水嶺です」
そしてそこからはそれまでの高梁川ではなく、日野川に沿って山を下りていく。
でも、やはりこのあたりは山も迫り、川の流れの脇に集落がある、いかにも日本の山村の趣だ。
むろん、それは旅する人間の感想であり、ここで暮らす人々にとっては台風などの際には大変な苦労をするとは思う。
そうしてだんだん平地に降りていくとまもなく米子。
米子からは山陰線で出雲市へと向かう。
伯備線でも出会ったのだが、途中「スーパーやくも」とのすれ違い。
車窓に宍道湖が見えてくるともう、出雲市駅も近い。
そしてほどなく定刻9:58に出雲市に到着。
予想以上にゆったりのんびりできた「サンライズ」の旅だった。
その2==>
2011年05月22日
PC君を送り出した翌日の4月30日、新宿の全労済ホールに「思い出のブライトンビーチ」を観に出かけました。20代のころはよく行っていた演劇もその後はトンとご無沙汰でしたが、今回は大好きなニール・サイモンの本ということで足を運びました。
舞台は不況下の1930年代、ニューヨークはブルックリンのブライトンビーチというところ。ユダヤ系の人々が住む住宅地だ。ニールの自伝的脚本「BB三部作(ほかは”ビロクシー・ブルース”と”ブロードウェイ・バウンド”)」といわれる中での少年時代のストーリーです。
ニールの分身ユージーンと両親に兄スタンリー、そして母親の妹ブランチとその娘2人が同居するジェローム家。そろそろ思春期にさしかかるユージーンの語りでストーリーは進んでいきます。
グラブを手にヤンキースの選手になることが憧れのユージーン、でも作家になる夢もある。そしていとこのノーラへの恋心が混ざり合ってまだまだもやもやの気持ちのなか、家族のさまざまな出来事が語られていきます。兄スタンリーの職場でのイザコザや叔母ブランチの恋、父ジャックの戦争に対する気持ちなどいろいろなエピソードがつづられますが、一番は母ケートとその妹ブランチの間の葛藤。
夫を亡くし仕方なく同居している病気がちなブランチと姉ケートとの心の動きが手に取るようにわかります。でも最後はやはり「お父さん」の出番。随所に笑わせてくれるところがでてきて、本当に引き込まれるファミリー・コメディでした。
また、エンディングも秀逸です(大声で笑っちゃいました)。
ニール・サイモンの作品はどれも人間愛というか、ヒューマニズムが溢れていて笑ったり、涙ぐんだり時にはほっとしたりするんですが、やっぱり生きていることは素晴らしいこと!って最後に気づかせてくれます。(特に今回はあの悲惨な出来事の後だったから余計でした)
そして、生の役者さんの声もすばらしい。久しぶりに行ってよかったです。
帰宅後、2冊あるニールの自叙伝を引っ張り出して拾い読みしました。そこでの両親のエピソードのひとつを最後に引用したいと思います。
「ある晩。姉の家に遊びに行っていた母が11時頃帰宅した。ドアを開けると家中が真っ暗だった。父が家にいるのはわかっていたので、母は変だと思った。廊下の電球をつけたとたん、母は恐怖に悲鳴をあげた。床に男が倒れている。が、じっくり見つめたら、それは死体ではなくて、父の背広、ジャケット、ズボンが人の形なりに並べられ、足のところには靴、頭の部分には帽子がおかれていた。(・・中略・・)母のために付け加えるなら、彼女は怒らないで、ゲラゲラと笑いだし、ベッドにいた物言わぬ父の横に滑り込みながら、まだ笑っていた。」
こんな家庭がニールを育んでいったのでしょうね。
また、いろいろ演劇も見に行きたくなりました。
新宿での公演はとっくに終わっていますが、まだ鎌倉や小金井などで上演されるみたいです。
2011年05月16日
実は3日にMCJから電話が入り、こちらが指摘した症状
(再起動の際にBIOSロゴ画面で停止)
が工場では出ていないという電話を受けていました。
???♪なんでだろう~なんでだろう♪
と、思いながらも当日は出かける前だったので詳しくは聞けませんでした。
ただ、
「念のため、マザーボードの交換をすると現場では言っていますがどうします?」
とのこと。
もちろん「お願いします」と返事して待っていたわけです。
その間、10年前に購入したノート(メビウス)の再生に取り掛かったのですが.....
(普通、送り出す前にやることですよね・・・・その辺が泥縄(笑))
しばらく使ってなかった無線LANはまったく問題なかったのですが、
肝心のPCが...
やっっっったら遅い!!!
常駐する輩を排除し余計なソフトを削除してもかったるい動きです。
結局OSから再インストールする決意を固めました。
で....そのCDを見つけるまでまた?日間。
OSのアップデートをしましたが、やはり今の環境だとメモリ不足になることも(予想通りですが)判明。
だが、またしても難関。
量販店でもこのノート用メモリ(144pin SODIMM)はあまりなく、しかーーもやったら高い。
なんせ256Mで9千なんぼでっせぇ、512Mは3万もしますのんや
(似非関西弁・・・・すんません)
というわけでどうしたもんかと思っていましたが、
ネットでバルクメモリがあったことを思い出し、購入。(価格は大体10分の1)
まったく問題なく認識、これで10年前のノートもサクサク動くようになりました。
とはいっても、肝心の新PCが帰った翌日にメモリが届くという、情けない結末!
ところで新規赴任者!ですが.....
まったく問題なく動いています(とはいってもまだ簡単なことしかやっていませんが)
MCJの作業記録には、さまざまな項目が書かれていましたが
「BIOS設定で、USB Legacy Support を無効に設定することで、ご申告症状の改善が見込めます。
今回は無効に設定いたしました」
とのこと。
(恐る恐る)再起動をかけてみたところ、またしても
BIOSロゴで停止.....
と、思いきや
ちゃんと立ち上がりました。
あーあ、ほっと一息。
でした。
まだまだ他の(XP仕様)ソフトの実証はしていませんがとりあえずの退院報告でした。